2015/09/28の3
のぼみ~
ほんと、見飽きたでしょうが……。
み~は放っておいてもいいのだが、のぼるはちょっと目を離すと屋根に飛び移ってしまうので見張っていないといけないのが面倒。
性格の違いが面白い。
で、この動画をFBにUPしたら、ちっころさんがさっそくこんな写真を返信してきたのでご紹介。↓
ちっころさんちの「みどり」さん。お寺(ちっころさんちはお寺)の境内に出没していた野良猫を時間をかけて懐柔?し、最後は捕まえて獣医さんのところに連行し、何度も引っかかれたり噛みつかれたりしながら、目下なんとか家の中で一緒に暮らしているらしい。
あまりにも偉そうにしているので、ちっころさんは「ミド先生」と呼んでいる。
同じ茶虎だけど、自分と同じだって分かっているのかなあ。自分の顔は見えなくても身体の模様は分かるのかな。

こいつ似ているな……と思っているかどうか……
今日のオマケ 数学は芸術か?
テレビに放送大学の美学だか美術史だかの授業が映し出されていて、そこから「芸術のための芸術……」というようなフレーズが聞こえてきた。
純粋芸術と大衆芸術。あるいは、純粋に芸術的な行為としての美術や音楽に対して商業美術(音楽)という言葉もあるけれど、そもそも芸術ってなんなんだろう。
先日、テレビのクイズバラエティ番組で、ヴァイオリニストの葉加瀬太郎が問題をプロデュースし、一部の問題は自分の演奏で出題するという趣向のをやっていたのだが、なかなかいいお勉強になった。なおかつ、やはりクラシック音楽作品の定番って、メロディの価値がすぐれているなあと再認識させられた。
やはり、残りの人生、体力や気力がどんどん落ちていく中で、純粋にメロディの価値を追求したいと思った。
演奏して楽しい、とか、いい音色だとかではなく、オタマジャクシの並び方だけを追求する。
孤独だが、それがいちばん自分にとっては価値の高い生き方ではないか、と。
そこで改めて思った。
数学は芸術だろうか?
「美しい数式」とか「きれいな解き方」といったものは、芸術なのではないだろうか。
幾何の定理なんかも、最初に発見して証明した人の行為は芸術なのではないだろうか。
メロディの価値を追求するというのは、そういう「数学的美学」に近いことかもしれない。
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「福島問題」の本質とは何か?
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『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書 240ページ)
『裸のフクシマ』以後、さらに混迷を深めていった福島から、若い世代へ向けての渾身の伝言。
複数の中学校・高校が入試問題(国語長文読解)に採用。大人にこそ読んでほしい!
第1章 あの日何が起きたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能より怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる
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『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社 単行本352ページ)
ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実、メディアが語ろうとしない現実的提言が満載。
第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?
第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実
第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった
第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様
第5章 裸のフクシマ
かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛
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