2001年9月11日、ニューヨークの同時多発テロが起き、その翌日から国際社会と呼ばれる国の人人が、「アフガニスタンは首謀者をかくまった」「報復爆撃しろ」といい始めた。
(略)
10月になって空爆が実施された。現地は冬で、首都カブールは、元からいた市民ではなく、田舎から逃れてきた干ばつ避難民であふれた。その百数十万人のうち約1割は生きて冬を越せなかった。私たちは小麦粉1800㌧を運び入れ、職員20人で配布した。
空爆は激しかった。日本人の空爆の記憶は、おそらく太平洋戦争で途切れているが、最近の戦争はあれ以上に高性能で、巧妙で、非人道的な爆弾が使用される。ボール爆弾や、人間だけを死傷するクラスター爆弾が大量にばらまかれた。一方で「人道的」支援と称して食料を投下するが、クラスター爆弾とまったく同じ黄色い包みに食料を入れて落とす。それを拾いに行った子どもたちが犠牲になるなど、犠牲になったのは子どもや女性、お年寄りなど弱い人人だった。
タリバン政権が11月になって崩壊し、米軍の進駐が始まった。世界中で「極悪非道の悪のタリバンをうち破り、絶対の自由と正義の味方、アメリカおよびその同盟軍を歓呼の声で迎える市民の姿」「女性抑圧の象徴であるかぶり物を脱ぎ捨てて、自由をうたう女性たちの姿」の映像が、くり返し嫌というほど流された。この戦争に反対していた人も「そんな悪い人たちがやられるのならよかったのではないか」となり、アフガニスタンは忘れ去られていった。
実際には何ができていったか。それはケシ畑だ。タリバン政権はよくない面もあっただろうが厳格な宗教制度によってケシ栽培を徹底的に取り締まり、ほぼ絶滅していた。それが盛大に復活し、数年を待たずしてアフガニスタンは、世界の麻薬の90%以上を供給する麻薬大国となった。
解放されたのは「ケシ栽培の自由」「女性が外国人相手に売春をする自由」「働き手を失った人人が街頭で乞食をする自由」「貧乏人が餓死する自由」だといって間違いではないと思う。実際に当時、飢餓線上の人口は400万人といわれていたが、現在760万人に増えている。アフガニスタンはますます窮地に立たされている。
日本に帰ると別の惑星に来たように感じる。第一に元気がない。アフガニスタンでの最高に近い医療が受けられ、恵まれている割にみな不幸な顔をしており、自殺が多い。アフガニスタンは貧しい国で、他殺はたくさんあるが自殺はない。日本の政権については、こんなバカな政権はない。向こうではみな権力に対して従順でない気風がある。対照的に日本人ほど権力に弱い国はないと感じる。
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