今年はタヌパック阿武隈(川内村の家)の売却などがあり、年末年始にずいぶん走行距離が伸びた。前回の車検(このとき持ち込みでオイル交換している)から5000kmくらい走ってしまったので、このへんでオイル交換しておいたほうがいいなあと思い、前回と同じオイルとフィルターをアマゾンで取り寄せた。
またエディのところで交換してもらおうと思って電話するも、出ない。時間を置いて3回かけたが出ない。ケータイも固定電話も。
しかたなく翌日午後早い時間帯に直接行ってみたが、いない。
まあ、オイル交換くらいどこでもやってくれるだろうし、この際、また新しい修理工場に行ってみようと思いたち、散歩のときに目にとまっていた工場に行ってみた。
土曜日だが社長がひとり作業をしていて、お願いすると、やっていた作業を中断してオイル交換してくれた。
ヒバカリ
今日で8月も終わり。
前半は史上稀に見る猛暑、後半は太陽が全然出てこなくて冷夏。身体がついていかない。
人間だけでなく、野生生物や植物もかなり苦労しているに違いない。
朝、ゴミ出しに行ったら、道路の真ん中でヒバカリが死んでいた。轢かれたのだろう。
今年は夏に入ってからはあまりヘビを見なかった。猛暑の影響だろうか。カエルたちはラッキーだが、急に寒くなったので、まだカエルになっていないオタマはこのままちゃんと変態できるのか心配だ。
ヒバカリは身体が小さい。せいぜい30cmくらい
続・ビッグバンセオリー
飯を食いながら、いつものように『まれ』と『ビッグバンセオリー』を見る。
クオリティの差に悲しくなる。
佐野研二郎事件でも痛感することだが、日本の文化全般がとことん荒廃している。作り手の気概を感じないだけでなく、選ぶ側(プロデューサーや発注者)の精神が荒廃している。
こんなときだからこそ、『ビッグバンセオリー』のクオリティが羨ましい。
今日はシーズン5の最終回だった。

スキンシップが大嫌いなシェルドンが思わずエイミーの手を握っている。びっくりするエイミー
いつにもまして面白かったし、最後↑はちょっと感動さえした。
……と満足して、いつものようにChuck Loreeの Vanity Card (最後に一瞬映し出されるコラムのような文章)を一時停止して読むと、珍しく、
Chuckが素直な文章を書いている。

馬鹿みたいって思うだろうけど、今夜の放送回最後のシーンを書いているとき、僕は泣きそうになった。
リハーサルのときも、スタジオでやったときも、そして編集室で完成版を見たときにも泣きそうになったんだ。
これってなんなんだろうね。
この登場人物たちが、友達がとてつもない旅に出ていくのを見守るとき、無意識のうちに手を握り合ってしまうという、そのことって、人間としての何か根源的なものを表しているからなんだろう。
こんなことを書いてしまったついでと言ってはなんだけれど、いい機会だから、ビッグバンセオリーを見てくれている視聴者のみなさんに感謝の気持ちを告げたい。
一緒に、思いきり笑って、そしてちょっぴり泣いてくださっていたら嬉しい。隣の誰かと手を握り合って……なら、なお嬉しい。
来年また会いましょう。
まさにこの「人間としての根源的な何か」を大切にする心を、日本のメディア界、芸能界は忘れているのだろう。
アメリカはいろいろな面での病巣も深いけれど、こうした文化面での奥深さ、豊かさ、自由さは本当に羨ましい。
今の日本は、いいものを作ろうという心が失われ、上からOKをもらえる体裁をいかに簡単に繕うかという技術だけで物事が進んでいる。
そのことを恥じないどころか、すり寄る技術を身につけることが「プロの仕事」だと勘違いしている者たちが多い。クリエイターだけでなく、ジャーナリズムやアカデミズムの世界もそうだ。

↑それにしても、この「ご無体な」っていうフレーズ、いつ以来だろう、耳にしたのは。翻訳者のセンスもナイスだね。
ところで、iPod touch6を買ったのをきっかけに、この日記ページも含めて、管理しているWEBサイトを徐々にモバイル対応させていかないといけないなあ、と、重い腰を少しだけ上げることにした。
しかし、頻繁に更新する日記をPC版とモバイル版に分けるなんてのはとてもやる気がしない。やるならスタイルシートの振り分けくらいだなあ……と考えていたが、それもおっくうでなかなか着手できなかった。
本日はその第一歩。
本文のフォントをスマホで見たときに少しでも大きく見えるように、スマホ用のCSSを別に作って、振り分けることにした。
スマホで小さな文字を一生懸命読んでくださっていたみなさん、少しは読みやすくなったでしょうか?