その後、たちまち空が暗くなり、大粒の雨が降ってきた。
夕方、お茶休憩で録画しておいた番組を見たのだが、これがやはり重かった。
イギリスBBSが制作したドッグショーや「純血種」ブリーダー業界の実態を告発するドキュメンタリー。NHKのBSで放送されたのを録画してあったもの。これは続編で、第一弾はこの番組の3年前に放送されている。
インタビューされたひとりの獣医師は、ブルドッグだのチワワだのといった「犬種」は神が創造したものではなく、人間が自分たちの勝手な趣向や欲望に任せて作りだしたものだと言う。
ブリーダーたちにとって犬は商品であり、その犬種の特徴とされている外観から少しでも外れている子犬が生まれれば「規格外」の不良品だとして殺してしまう。
その「処分」を獣医師にやらせようとするが、まともな獣医師なら健康体で生まれた子犬を「犬種の特徴がはっきり出ていない」という理由だけで殺すことに協力などしない。
番組に登場する女性ブリーダーのひとりは、そうした子犬の処分に協力しない獣医師たちのことを「犬のことを何も分かっていない」と非難する。
このあたりから相当気分が悪くなるわけだが、番組はさらに「犬種」や「純血種」とは何か、ドッグショーで優勝する犬とはどういう犬かということを懇切ていねいに教えてくれる。
現在一般に知られている犬種の外見特徴は、その犬種が作られた当初は今とは相当違っていたという。
例えばブルドッグなら鼻面が短く顔の皮がたるんでいることが特徴とされているが、その特徴を際立たせるために特徴が強く出た個体をかけ合わせ、さらには効率化するために近親交配を重ねていった結果、今の姿になっていったのだという。
近親交配を重ねたことによって、種としての健全性はどんどん失われていった。
ダルメシアンはまだら模様をくっきりさせるための近親交配をやりすぎて、尿酸値を正常に保つ遺伝子を失った。ダルメシアンの愛好家はそのことを承知の上でダルメシアンの子犬を購入し、その後は尿酸値を抑える薬漬けの飼育をすることになる。そうしないとたちまち尿路結石になり、膀胱が破裂して悲惨な死を迎えるからだ。
その「失われた正常な遺伝子」を取り戻すために、ポインターとかけ合わせてできた子犬には尿酸値を抑える遺伝子が取り戻せていた。その子犬をさらにダルメシアンと掛け合わせ、何世代後かには見た目はダルメシアンそのものの犬ができた。
この「ダルメシアン」には尿酸値を抑える遺伝子があるために健康な一生を過ごせる確率が高い。しかし、その健康な遺伝子を持つダルメシアンをアメリカから輸入することに、イギリスのダルメシアンブリーダーの団体は反対した。「何世代か前に別の種と交配した雑種だから」という理由で。

あまりにも不健全な形にしてしまったことを反省して、元の形に戻す努力をせよ、とこの獣医師は主張する

例えば、ブルドッグという犬種は闘牛ショーのために人間が作りだした犬種だが、当初のブルドッグは今よりずっと鼻面が長かったし、皮膚の皺もそれほどではなかった。↑左が初期のブルドッグ、右はドッグショーで優勝したブルドッグ。
牛と闘わせるために鼻面を短くして上を向かせたという説明は嘘なのだという。要するに「こういう形のほうが面白いから」という人間の趣味、嗜好で極端な形に変化させられていった。

シャーペイやナポリタンマスティフ、パグの皺も、今のような極端なものではなかった。↑左が初期のシャーペイ。顔の皺が特徴とされたが、今ほど極端(右)ではなかった。
皮膚に深い皺があると、皺の間に細菌が繁殖して化膿する。外からは見えないので飼い主は気づかない。

パグは顔が短く皺が深いとドッグショーで優勝するが、そのために生きるために最も基本的な呼吸が極めて困難になってしまっている。

パグは他にも、口のサイズに対して舌が長すぎる(これも呼吸困難になる原因)、眼窩が浅すぎるため圧力がかかると目玉が飛び出す恐れがある、口が小さすぎるために歯がまっすぐに生えない、鼻腔の粘膜部分が小さすぎるため体温調節ができない(暑くもない日に熱中症にかかる)、わずかにしか残っていない粘膜組織が気道を塞いで呼吸困難を引き起こしている、などなど問題がありすぎる。

パグのぺしゃんこの顔を作りだすために極端な交配を続けたため、呼吸や体温調整という生きるための基本的な能力を奪ってしまった。
イギリスでは気道がふさがって呼吸ができなくなった犬の手術代だけで年間1億8000万円が使われている。
獣医師たちはブリーダーが作りだした奇形動物を生き延びさせるための補修部隊のようになってしまっている。
短頭種(ブルドッグやパグなど)のブリーダーはもはや健康な犬の繁殖ができないということがイギリス、ドイツ、アメリカのデータではっきり分かっている。
以上は獣医師たちの証言、主張の一部をまとめたもの。
ネコに比べ、犬は遺伝子が「ゆるい」生物種だったがために、大変な不幸を強いられるようになってしまった。沼正三の『家畜人ヤプー』を思い出した。
加えて、日本では捨て犬猫や飼育放棄された犬猫を大量殺戮している。
この状態を許しているのは法的な整備の問題以上に、結局は人間の精神の問題が根底にある。
ただ、欲望との折り合いをつけるという面では、性産業や煙草やドラッグよりも「教育」が効果を上げる余地が大きいのではないだろうか。
本来なら捨て犬捨てネコを拾ったり、ご近所で生まれた子犬・子猫をもらって育てていたような人たちが、ペットビジネスにのせられて、いつしか犬猫はペットショップで買ってくるもの、洋服のように種類や色を自分の好みで選べるのがあたりまえだと思い込まされてしまっていることが大きい。
例えば、仏教界とかが、大々的になんらかの教育的な動きをしてくれればずいぶん状況がよくなるんじゃないか、とも思う。
小学校の教育の中に、生命とは何か、圧倒的な力を持った生物種である人間が他の生命と共存していくということはどういうことか、などなど、深いテーマを、入り口だけでもいいから提示して考える機会を与える、というのもありだと思うが、教師の質と力量が問われるだろうなあ。
これは犬猫の問題ではなく、人間が生きていく上での根本的な問題だ。