日本という国が、もはや常軌を逸したイスラム国に対し、戦争をはじめるべきかどうかという歴史的な瀬戸際に、この国の首相が個人的感情に任せて言動することほど、危険で愚かなことはない。
もし、この国の政治家や、官僚や、メディアや、有識者が、安倍首相に逆らうことをおそれて、あるいは保身という低俗な利害から、安倍首相の末期的な暴走を誰一人として止めることができないなら、間違いなく日本は道を踏み誤る。あの戦争前夜の軍国主義の暴走を止められなかった時とまったく同じだ。……まさにその通りなのだが、国民が総力戦で彼の狂気を止めなければいけないときに、狂気に加担しているメディアのほうが多いという恐怖。
いまの日本の深刻な状況は、いくら警鐘を鳴らしても、鳴らし過ぎることはない。安倍首相の危険性と異常さは末期的であり、それを制止できない日本は危機的である。
何十人っていう人たちがいっぺんに殺されて、しかも警察署を襲って殺したりしている例が多いんですね。↑普通の人たち、毎日顔を合わせて挨拶を交わし、味噌醤油を貸し借りしているような人たちが、流言飛語に惑わされて警察署を襲撃し、何の罪もない人びとを次々に殺す……なんてことはありえない、と、多くの人たちは思う。それこそデマじゃないか、と。
そういう時は、地域の人々が集団で襲っていますから、実際には誰が殺したのかははっきりしないわけですよ。そうすると結局、事件後に捕まった人というのは、独身者だったりして、捕まっても大丈夫そうな人を地域共同体の中で選んで差し出していたようです。
つまり実際に殺した人が捕まって裁判を受けたというよりは、「みんなの代表として」という例が多かったみたいですね。逮捕された人たちもそういう意識ですし、帰ってきた人たちも自分たちの地域のために頑張ってくれたと迎えたわけです。
朝鮮の人が井戸に毒を投げ入れたから、水は一切飲んではいけないと言われたのは、この日(9月3日)です。
朝鮮人が襲撃してくる、警戒のために男たちは全員出てくれ、どこからともなく言ってきて、父も狩り出されました。いわゆる「自警団」です。
(略)
あとで、すべてはデマだとわかりましたが、そのどさくさでは確かめようもなくて、こうして朝鮮人狩りが始まっていったのです。
朝鮮人を1人つかまえたといって音楽学校のそばにあった交番のあたりで、男たちは、手に手に棒切れをつかんで、その朝鮮の男を叩き殺したのです。
わたしはわけがわからないうえ恐怖でふるえながら、それを見ていました。
小柄なその朝鮮人はすぐにぐったりしました。
大震災のあとに起きたこうした事件のかずかずは、これに遭遇した人のいろんな本に、それぞれの体験として書かれていますが、それは火や激震そのものよりもずっと恐ろしく、ぞっとする人間のドラマだったと思うのです。
(清川虹子 『恋して泣いて芝居して』主婦の友社、1983年)
『朝鮮人だ』『鮮人が攻めて来た』といふ声が、とぎれとぎれに聞こえた。あまりの驚に、どうきは急に高くなった。(中略)きん骨たくましい男の方達はそれぞれ竹を切って棒にしたり鉢まきをしたりと用意に急しくなった。(中略)萬一の用意にと女子供までも短い棒をもった。
(南吉田第二小6年)
さっき逃げたところへ行くとおまわりさんが『朝鮮人が刃物をもってくるから、来たら殺してください』と言って来ました。
(南吉田第二小6年)
中村橋の所へ行くと大勢居るから行って見ると鮮人がぶたれて居た。こんどは川の中へ投げ込んだ。すると浴いだ日本人がどんどん追いかけて来て両岸から一人づつ飛込んでとび口で頭をつっとしたら、とうとう死んでしまった。其れから、家へかへって見た。すると鮮人がころされて居るといふので見に行ったら頭に十箇所ぐらい切られて居た。又くびの所が一寸ぐらいで落ちる。
(南吉田第二小6年)
当時12歳だった小学6年生が徴兵年齢の20歳になるのは震災8年後の1931年。この年、満州事変が起き、1年生が20歳になる6年後の37年、日中戦争は始まった。
「アジアの隣人を思い込みで殺してしまったことへの反省なきまま、侵略戦争に駆り出され、あるいは担った世代といえる」
裏面には「昭和四十九年九月一日、少年の日に目撃した一市民建之」と刻まれる。震災時、小学2年生だった石橋大司が50年後、私財を投じて建立した。避難する途中で目にした、電柱に後ろ手に縛られて殺されていた朝鮮人の姿に贖罪(しょくざい)の念を抱き続けていた。
心を寄せていた子どもがここにもいた-。
40人の参加者を前に穏やかな後藤の口調がにわかに強くなった。
「その反省の気持ちが歴史とともに消されようとしている」
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