- 3月13~14日にかけて、圧力抑制室の水が沸騰寸前になり、吸い上げられなくなる。結果、原子炉の冷却が不能になった。取れる対策は、隔離時冷却系の水源を復水貯蔵タンクに戻してそこに消防ポンプで水(淡水)を追加していくことだったはずだが、それをやらなかった。
- 14日11時01分。3号機が爆発。そのあおりで、圧力抑制室(SC)のベント弁が故障。ウェットベントの道を閉ざされる。
- 14日16時16分の段階で、東電本社も現地本部も2号機の圧力抑制室の水温が138度Cであることを確認していて、これ以上ポンプで吸い上げれば減圧されて沸騰してしまい、吸引できなくなることは明らかだったのに、そうした基本的な認識ができずに放置して事態を一気に悪化させた。
- 14日16時34分 消防車から給水させるために逃し弁を開放。結果、原子炉圧力が54気圧から一気に5.5気圧に下がり、原子炉の水が沸騰して水位が下がる。これを続けたために18時頃には炉心が完全露出。水が漏れていなかった2号機をも空焚き状態にしてメルトダウンに導いた。
- その後、原子炉内では空焚きの燃料が溶けて原子炉の底に残っている水に落下し、原子炉内で小規模な水蒸気爆発が連続して起こる。結果、原子炉圧力が乱高下した。
- 夜20時頃には1号機同様、ついには原子炉が底抜けとなる。
- この状態になってしまっては、交流電源で低圧注水系(1700トン/時)、炉心スプレー系(1000トン/時)、格納容器冷却系(1900トン/時)を使わなければならないが、地震発生後3日も経っているのに、交流電源がまだ使えない状態だった。注水能力が桁違いに低い消防車のポンプなどではどうにもならないことは明白なのに。
- 15日0時02分。放射能を除去できない(もろに外に出す)ドライベント弁(格納容器の排出弁)を小開。
- 15日早朝6時頃、圧力抑制室近くで爆発音という報告があるが、ベントの音か4号機の爆発の音を聞き違えた可能性あり。
- 東電は圧力抑制室が破損したと主張するが、データでは2気圧が維持されているので、圧力抑制室破損は虚偽報告の可能性大。
- 15日朝8時頃から格納容器ベント弁を開いてドライベント開始。高さ120メートルある排気筒から高濃度の放射性水蒸気を大気中に大量放出。これを予告も報告もせず、多くの住民が知らされないまま被曝。
- ベントして圧力を下げたため、2号機では格納容器底に燃料ペレット群が散逸せずにまとまって落ちた。そのため格納容器もすっぽりと底抜けして、そこから大量の汚染水が今もなお地下に流れている。
※解説
東電は、このドライベント(今回の放射能汚染で最大規模の被害をもたらした)を人為的な操作によるものであることを隠すために「2号機の圧力調整室付近で爆発音」「圧力調整室が破損して放射性物質が漏れた」という報告をしているが、もしそうだとすれば建屋が壊れていなかった2号機建屋内には水素が充満するはずだし、なによりも発電所敷地内は高濃度の汚染で死の世界になるはず。
そうなっていないということは、汚染物質が120メートル上空(排気筒経由)で外に出たことの証拠。
1、2号機共用の排気筒への配管が高濃度汚染していることも、排気筒経由の人為的ドライベントが行われた証拠。
東電は、風向き(すでに陸側に風が吹き始めていた)を無視してドライベントをして、しかもそれを公表しなかったために住民に大量被曝をさせたことが重大犯罪であることを認識しているからこそ、圧力調整室の破損という嘘の情報を流して免責を印象づけようとしたと考えられる。(以上、槌田敦説)
(感想)
残留熱除去系に付属する非常用復水器機能のパイプを取ってしまったことに関しては、
別の意見を書いている人もいる。
そのへんは一般人には判断しづらいところだが、2号機でいちばんの問題は、「放射能が抜けてしまった」ではなく、「人為的に弁を開いて放出した」というところ。それを曖昧にしている東電。
■3号機
- 3号機では津波第二波でも一部の非常用ディーゼル発電機は生きていた。
- だから高圧注水系を使えばよかったのに、温度、圧力、水位などのデータが得られず「原子炉の状態が分からなかったために」判断できず、使わなかった。
- 14日の爆発は水素爆発ではなく、燃料プールで臨界が起きて核破裂~その熱による水蒸気爆発。
- オレンジ色の閃光は3000度C以上の温度の爆発だったことを示すが、水素爆発ではそこまで温度は上がらない。
- 14日、正門付近や免震棟で中性子線が測定されていたこともその証拠(テレビ会議の記録などにそれに触れる発言が複数残っている)
- それを隠すために、東電は中性子線データを、当初は「0.001μSv/h以下」としていたのに、突然、一桁高い「0.01μSv/h以下」に変更して「変わっていない」と主張。0.01μSv/h以下の中性子線の変化をすべて隠蔽した。
- 14日11時1分に免震棟での測定で0.2μSv/hと発電所保安班が発言している(テレビ会議に記録)が、東電は変化量を2分刻みにして、11時0分と11時2分の値しか発表していない。
※解説
槌田敦氏がかつて所属していた理化学研究所は、第二次大戦末期に初歩的な原爆開発を行っていた。
それは、10%濃縮ウランを水で減速して臨界させ、その熱で水蒸気爆発を起こさせるというもの。
減速材が水では大型化し、重すぎて飛行機で運べないため(爆弾としての)実用性は低い。しかし、まさにそれと同じ原理で3号機使用済み燃料プールは「初歩的原爆」と化した、と言える。(以上、槌田敦 説)
■4号機
- 4号機の爆発は数日にわたって何度も続き、4号機建屋は少しずつ崩壊していった。これが1号機と同じ水素爆発であるはずがない。
- 4号機燃料プールはほぼ健全に保たれていて、水も入っていたから、3号機のように燃料プールで臨界~水素爆発が起きたわけではないことは明らか。
- 4号機ではシュラウド交換作業が行われていたはずだが、その作業ピットで爆発が起きるはずもない。
- 残る可能性としては、原子炉本体(圧力容器=炉心)で何かが起きたと考えるしかない。
- ここは空っぽの(水だけが通常時は入っていない最上部まで入っていた)はず。東電も空になっている4号機原子炉の写真を公開しているが、なぜか隣の燃料プールのように瓦礫だらけになっておらず、きれいすぎる。
- 同時期に撮影されたという隣の燃料プールは、大小さまざまの瓦礫が落ちて、海水注入により水底には泥がたまり、汚れている。蓋の開いた空っぽの原子炉であったなら、燃料プール同様に瓦礫だらけ、泥だらけでなければおかしい。
- 発表された原子炉の写真にはシュラウドも写っていないから、新旧2つのシュラウドは隣の作業ピットに並んで置かれているはずだが、その写真は発表されていない。そもそも本当にシュラウド交換をしていたのか? そのつもりもなかったのではないのか?
- 東電はテレビ会議の中での、15日、4号機建屋5階で起きた爆発のことに触れたと思われるやりとりの中身を公開拒否している。
- 以上のことを踏まえれば、残る可能性は、東電が発表していた4号機点検工程表とは違うことをしていた……つまり、3月11日時点で原子炉にはすでに次の稼働のための燃料が架装されていたと思われる。
- その燃料が、地震で制御棒の何本かが下に抜け落ちてしまい、部分的に臨界を始めてしまった。その結果、小規模な水蒸気爆発が連続的に起きて、吹き上がった熱水が蓋が開いたままの原子炉上部から激しく吹き出し、その熱と圧力で4号機建屋の壁や天井を次々に破壊していった。
驚愕すべき推論だが、確かに、あれが水素爆発だとする東電の説明よりははるかに理にかなっていると思う。
この推理を後押しする補完データ、情報は他にもある。
- 3月28日、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校で、大気中から硫黄35を高濃度で測定
……硫黄35は塩素35に中性子が衝突して生じる。これが検出されたということは1Fのどこかで臨界事故があったことを示唆している。
- 4月12日、4号機の使用済み燃料プールの水からヨウ素131が大量に検出される
……このヨウ素131はどこから来たのか? 3号機の爆発で飛んできたなら3号機は水素爆発ではなく核爆発(核破裂による水蒸気爆発)、4号機の中で作られたとすれば4号機で臨界が起きていた証拠。どちらも都合が悪いため、東電は説明しない。
さらに意味深なのは、東電が4号機燃料プールに存在する燃料集合体の本数をコロコロと変えて発表したこと。
- 3月16日 783体と発表
- 4月12日 1331体に変更(548体増えている)
- 5月10日 1535体と再変更(さらに204体増えている)
548体というのは、原子炉に架装する総本数と一致する。つまり、3月16日には本当のことを発表したが、原子炉にすでに架装していた548体は燃料プールにまだあります、と訂正したことになる。
204体というのは未使用燃料の数。
通常、原発の定期点検では、最後の工程として徐々に出力を上げていく「調整運転」を約1か月続けた後に検査を受けて、それに合格してから通常営業運転に切り替えるという決まりなのだが、実は、3.11の時点で、大飯原発、泊原発の2つが、定期検査を受ける前の「調整運転」をフル出力でやっていて、その「調整運転」のままズルズルと発電を続けてその電力で商売をしていた。その間に発電した電気は「営業」ではないから、税金も払わなくていいらしい。
保安院は「最終検査以外の過程は踏んでおり、検査忌避とも言えない。最終検査は電力会社の申請で行うもの。検査を受けるよう指導する予定はない」(原子力発電検査課)と言う。
自治体側の態度もあいまいだ。北海道の高橋はるみ知事は先月22日の記者会見で、定検で停止中の泊1号機について「1号機も(調整運転中の)3号機も定検中というのは変わらない」と発言。調整運転の停止は求めないが営業運転にも移行させない考えを示した。
福井県も「(大飯1号機は)定検中だが、すでに動いてしまっている」(原子力安全対策課)と、国と関電にげたを預ける。
(朝日新聞 2011年7月6日「原発、検査中なのにフル稼働 泊・大飯、手続き先送り」)
おそらくこうした悪習は電力業界と保安院の間では常態化していて、東電もこの調子で、計画より前倒ししてフル稼働させるためにちゃっかり燃料を積み込んでいたのではないか。それがバレると大飯や泊原発の不正もバレてしまうためにひた隠しにしたのではないか……というのが槌田敦氏の推理だ。
一つ嘘をついてしまったために、次から次へと嘘をつき続けなければならなくなる。国や関係省庁、保安院や今の規制委員会も、こうしたとことんデタラメな原子力業界の内情をこれ以上表に出したくないために口をつぐむ……。
読んでいてほとほと嫌になると同時に、恐怖を覚えた。
大手メディアの情報では真相が分からないどころか、どんどん嘘を信じ込まされるということは、日々感じているが、ネットの情報でも、なかなか本当のところまでは踏み込めない。
僕が知る限り、この説を以前から支持していたのは
⇒ここくらいしかない。
もうひとつ、重要なことなので書いておきたいが、福島第二原発でも同様の事態が起きたが、一部の電源が生き残っていたなど、1Fよりはまだマシな状況だったために、所員たちの踏ん張りで大惨事に至らずにすんだ。
では、2Fではどういうことが起きて、どのように対処したのか……それを明らかにすることで、1Fの反省や、今後起こりうる原発事故への対策がはっきりしてくるはずなのに、まったくと言っていいほど2Fのことは報じられない。それではダメだ。
おそらく、2Fでは1Fのような失敗をせずに、正しい対処をしていたからなんとか収拾できたのだ。それを明らかにすると1Fでのダメダメぶりがはっきりしてしまうために情報を出さないのだろうか。
この冊子を通読して分かることは、あのときの東電の対応がいかにお粗末で、間違いだらけだったか、ということだ。
熱くなって爆発するのを避けるには海水(塩水)でもなんでも水を入れなければいけない。水が入らないのは内部が高圧になっているからで、なんとしてでも圧力を下げなければならない。圧力を下げるためにベントもやむをえない。爆発するよりはマシだ……。
……このようなイメージは、今も多くの人たちの頭を支配している。イメージとしては分かりやすいからだ。
で、現場の対応を見る限り、現場を守るプロたちも似たようなイメージに支配され、パニックの中で右往左往していたことがうかがえる。
しかし、
やらなければいけない対応はそうではなかった。
原子炉が空焚きになってしまったら、消防車のポンプで注水するなどということはもはや無力。なにがなんでも本来のECCS(図のように複数の系統が用意されている)を機能させることが必須であり、必要なのは外部電源だった。
ドライベントは絶対にしてはいけなかった。チェルノブイリのような水蒸気爆発よりはベントのほうがはるかにマシと思いがちだが、水を通さないで汚染水蒸気をそのまま外に出してしまうドライベントによる被害がどれだけすさまじいものかは、今回のことでよく分かったはずだ。
そういう基本的な認識がないまま、注水注水、ベントベントとパニクっていた現場や官邸。こうした人たちに原子力発電を運営させる資格がないことは明らかだ。
原子力発電は、仕組み自体は極めて単純で、熱を発生させて水を蒸発させ、その蒸気の力で発電機を回す、ということにすぎない。
その熱が莫大であり、暴走させると手がつけられないこと、しかも内部は運転開始と同時にどんどん放射性物質で汚染されていくというところが問題なわけで、事故が起きたときの対応も、物理学の基本にのっとって行われなければならない。
ところが、
運転員が習熟しているのは物理学ではなく運転マニュアルなのだ。
マニュアルが不備なら非常時には対応できない。マニュアルがない場合の対応は、装置全体を物理学的に理解していることが必須だが、どうもそのへんが、運転員も所長も、ましてや経営者や本社の偉いさんたち、政治家、官僚たちも含めて、全然できていなかったのではないかと思わざるをえない。
まともな物理学者であれば、たかだか電気を作るためにこんな欠陥システムを組んではいけないと理解するから、原子力を使うことに反対する。
それが学者としての正直な人生だろうが、正直な人生を歩もうとする限り、国策に反する危険人物とされ、ブラックリスト入りし、研究や出世の道を閉ざされ、そのせっかくの頭脳、能力が、社会的に生かされない。
出世欲が強く、自分が生きている間だけ金と地位が守れればいいと思うような人たち(政治家、経営者、官僚、学者……)がそれぞれの分野でトップに座り、一般人が想像もつかないような倫理観崩壊を続け、そこから自分を免罪するために一種の思考停止に陥り、結果として建て直しができないほどひどい(悪意に満ち、ずるがしこい、しかも杜撰な)システムが、国家権力に守られながら構築される。一度できあがってしまうと、庶民の力で解体することは極めて困難だ。なぜなら、庶民もまた、その社会システムや悪習にしっかり組み込まれ、身動きできなくなっているから。
「フクシマ」はそれを我々一般人にも分かるように如実に示した。大変な犠牲と損失を払って。
それなのに、「フクシマ」以後のこの国は、過ちを修正するどころか、今まで以上に倫理観や合理性を崩壊させ、滅亡の道を突っ走っている。
日本はまともな国だ、そうであるはずだ……というのは、戦後世代、修羅場を経験せず、極端な経済成長(というよりは経済の異常膨張)の中で大人になった我々の幻想にすぎない。
おそらく、日本だけでなく、世界中がそうだ。人間社会というものは、太古の昔からこの程度にひどかったのだ。権力、金力を得た者が、そのうまみを保持し続けようとすると、こういうことになる。
社会が成熟することなく、ひどいまま、人間は石油文明と虚構の巨大数経済力というお祭り騒ぎ的エネルギーを得てしまった。それを捨てることが怖い。なんとかなるんじゃないかと思いたい。少なくとも自分が生きている間はなんとかなるのではないかと思い込もうとする。
だから、とことん墜ちるところまで墜ちないと、世界を破壊し尽くし、ごまかしがきかなくなるところまで行き着かないと、必要な変化は起きないのだろう。
今の若い人たち、これから生まれてくる人たちは大変だなあと思うが、それは今の日本における話であって、つい数十年前は日本でも、戦場で飢え死にしたり、意に反して人殺しを強要されたりといった不幸な一生を過ごすことは普通にあった。能力を封じ込められて一生を棒に振らされるなんてことは、あたりまえのことだった。才能を発揮して、充実した人生を送れる人は奇跡のような幸運の持ち主だった。
そう思えば、これ以上悲観的にならずにすむのだろうか?
救いようのない処方箋ではあるが……。
いや、なにがなんでもあんなひどい時代に戻してはいけない、と、真剣に社会と向き合うことが一人一人に求められている。もう一刻の猶予もないのだ。
いつになったらそれに気づくのだろうか。