一夜明け、今日はTokoさんを獏原人村に連れて行くことになっている。
朝食が済んだ頃を見計らって小松屋さんに迎えに行く。
昨日は暗くてよく分からなかった風景がはっきり見えて、いろいろ驚かされた。
まず、廃屋になっていた縫製工場が除染作業員の飯場になったのは知っていたが、その建物が消えてプレハブっぽい「ビジネスホテル」になっていた。
ホテルといっても実質は飯場だ。
で、うちはここの敷地内にあった物置を借りていて、そこに人形に使う布やら昔録音したオープンリールテープやらがまだ残っていたのだが、その物置ごと消えている。
後で聞かされた話では、火事で全焼して今の建物に建て替えたのだとか。建物のオーナーは土建業者に土地ごと売ったという。
その話も驚いたが、もっと衝撃的だったのはそこで最近変死事件があったという。
ここに宿泊していた除染作業員の一人が車に乗ったままホテル裏手を流れている川に転落して死んだのだそうだ。しかも服を着ていなかったという。
その話は、その後この日村で会った誰に聞いても知っていた。
しかも、それがまったくニュースにならなかったと聞いてさらにゾッとした。
念のため、帰ってからネットで検索したが、全然出てこない。やはり「地元紙でさえ記事にしなかった」というのは本当らしい。
代わりに
⇒こんなのがヒットしたが……(刃物で脅し車奪う? 自称除染作業員を銃刀法違反容疑で逮捕)。
借りていた物置から荷物を引き出せないでいたのは、知らないうちに飯場になってしまっていて除染作業員が住み込んでいたからでもある。そこに入っていって物置を開けて荷物を運び出すというのはかなりはばかられたというか、気が進まなくて、ついついそのままになっていた。すぐに必要なものは残っていなかったし。
だからまあ、火事で燃えたのは仕方ないとしても、その変死事件はなんなんだろう。しかもニュースにならないというのは……。
除染作業の現場とはどういうものなのか?
今年の5月、県外から除染作業員として福島入りした人の
ブログが⇒ここにある。
除染作業員とはどんな人たちなのか、現場では何が起きているのか、リアルに伝わってくる。
冷徹な目でリポートを続けるこの人は謎の人だが、「優れたジャーナリストが誕生する過程を見ているような気がする」と評した人もいる。前にも日記で紹介したような記憶があるが、ここにまた一部を引用させてもらう。
命惜しみで除染はやれず-福島入り168日目
除染作業員の多くは長生きに頓着しない。早死にしたいと思っている人はいないだろうが、健やかな老後をイメージ出来る人もさしていない。
60才オーバーの作業員もいるが、彼らにしても今の生活費を求めているという側面が強い。
現場に入ってすぐの頃を思い出せば、「長生きする気がない。若いうちにカネを作って、そのまま楽しく死ねればいい」という会話を聞いた。周囲の人間もさほど驚いた様子はない。
今春の段階では高度なスキルは求められず、ただ健康でありさえすれば(それすらも怪しい部分はあった)、除染現場に入ることができた。
除染現場で毎日作業していると、ミスが多く邪険にされる作業員もいる。そいつは「もう疲れたし退場になったらなったでいいんだ」という。
また「もっと線量が高くて報酬のいい現場はないか。ダラダラ働いて被ばくするなんて割に合わない」という作業員もいた。
要するに将来に希望の持てない人たちなのだ。
だから今を食いつなぐ職業として除染を選んだ。放射能の影響は聞いているが関係ない。
地元でドカタするより日当は高い。どうせ明日に期待していないのだから、数年から数十年後の将来など知ったことではない。
そう言えば自宅の除染があった友人は、作業員に「将来のため、子どもたちのために除染しているんじゃないの」と語りかけをしたという。
作業員は戸惑いの表情を浮かべていたというが、やはり同じようなメンタリティなのだろう。
希望を持てない人たちが、地元に戻りたいと希望する人たちのために仕事する。
膨大な予算が注ぎ込まれた除染は、希望のない人を引き寄せ、希望を持った人たちのために命を削る。
(ブログ「いからしま報告」より)
除染で大金が動くことで、いろんなところで滅茶苦茶なことになっている。ここにはとても書けない話もいろいろ聞いた。
これから先、耕す予定もなさそうな農地(事実上の耕作放棄地)を除染名目でせっせと掘り返しているが、そんなことに億単位の金を注ぎ込むなら、他にいくらでも金をかけるべきものはある。そのことは除染をしている人も、させている人も、してもらっている人も、みんな気がついている。でも、異議を唱えることはない。
大きな矛盾やデタラメの温床のようになってしまっている除染の現場。「将来のために自分も何かできないか」と、真剣に考えた末に除染作業員になった人もいるだろうが、現場に入ると考えていたのとはあまりにも違う現実に直面し、↑こんな風に悩む日々……。
日本中で「福島はもういいよ」という気分が支配的になっている。
そこで何が起きているのか、もう見たくもないし考えたくもない。自分の生活を守る、今のささやかな幸せを維持することだけで精一杯。沖縄の問題と同じで、「大変らしいけれど、自分には影響が及ばない場所の悲劇」として切り離す。
その無関心は、大金を動かしてボロ儲けしている一部の連中にとってはとても好都合だ。
やりたい放題。今のうちにしっかり儲けておこうとデタラメを加速させる。
「福島」は痛めつけられただけでなく、今まで以上に利用されている。
金は怖い。
自分は何がしたいのか、どう生きたいのか、よほどしっかり気持ちを持ち続けないと、目の前の金に翻弄され、無為な時間だけが過ぎていく。
椏久里やゑびす庵で、ちゃんと生活や心を建て直している人たちの姿を見てきた後だけに、どこか架空の村というか、生活感がなくなった村の風景を見て気持ちが重くなった。
その後、いよいよ獏原人村へ。荒れた獏林道をプジョーで通るのは2回目。最初のときは途中であまりにも道の凸凹がひどすぎて腹を打つので諦めて引き返した。あのときは両親を乗せていたのだが、結局、お袋は原人村を見ることなく死んでしまったんだなあ。……などと思い出しながらえっちらおっちらと獏林道を進み、なんとか原人村に着いた。