吽の頭は平べったいが角だと思う。阿は宝珠。このタイプは江戸時代の一時期のみ出現した。
『諸職画鑑(しょしょくえかがみ)』の影響ではないかということは拙著『狛犬かがみ』に解説したとおり。
『諸職画鑑』は寛政6年(1794)12月に刊行された。
江戸版は恵斎北尾政美(けいさい・きたお・まさよし)・画、須原屋茂兵衛(すはらや・もへえ)・板、春風堂野代柳湖(しゅんぷうどう・のしろ・りゅうこ)・刻 となっている。
「世に和漢の画本多しといへども皆諸の名画の写しのみにして日用の間に合ぬなり。今此画本は絵の入用の諸職人のため 或は画こゝろある人を早く画道に入しめんが為に北尾恵斎先生の工風せられ置きしを予ひそかに此一巻を見てこひ求め 則諸職画鏡と題し梓にちりばめ広く世に行はせしむ 寛政七年乙卯初春 申椒堂主人誌(印)」
芸術家用ではなく、大工や鏝絵が描き、石工など、職人さんたちが絵を描くときの手本となるように編纂された。初版では「画鏡」となっていたものが、後に「画鑑」と改題されたらしい。
ここに掲載されている狛犬図が奇妙なものだったために、江戸時代の一時期、本来の獅子・狛犬様式とは違う狛犬があちこちで彫られたのではないか……というのが、宝珠型狛犬誕生秘話として推理できる。
『諸職画鑑』にある狛犬図
本来、獅子は向かって右側で角がなく口を開き、狛犬は向かって左側で角があり、口を閉じているのが正しい獅子・狛犬の様式。ところがこの図では、阿像に角があり、吽像に宝珠がのっている。こんなものは宮中様式ではない。言わば間違った図が職人用のイラスト集に掲載されてしまったのだ。
この虚空像尊の狛犬は文政10年(1827)だから、『諸職画鑑』刊行の33年後。
宝珠型狛犬は『諸職画鑑』以降に流行ったというのが僕の説だが、それに矛盾していない。ところが、面白いことに、宝珠は阿像にあり、吽像のほうが角っぽく見える。阿像に角があるのは間違いだという訂正情報が入ったのか、それとも単にいい加減にやったのか……。
よくよく見ると、吽像も短い角ではなく(あるいは角が折れたり摩耗したりしたのではなく)、宝珠に見える。阿も吽も宝珠? ダブル宝珠型か? であれば、ますます興味深いというか、貴重な作例だ。
ともあれ、宝珠型狛犬としてはとてもいい出来だ。