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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ』 1994

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 1994年執筆分

 ◆1994年3月から12月までの原稿◆

「思いきり生電話」は胃潰瘍の元である?


「午後は○○思いっきり生テレビ」(TBS)が始まった頃、みのもんたは「平成の桂小金治」になれるか……というようなことをある週刊誌のコラムに書いた覚えがある。桂小金治氏は今では、朝のワイドショー番組に、外したノリの保守的頑固じいさんキャラクターとしてちょこっと登場するだけになってしまったが、かつては『桂小金治アフタヌーンショウ』(NET=現テレビ朝日)のホスト司会者として絶大な人気を誇っていた。長髪のフォーク兄ちゃんをつかまえ「バカ野郎、甘ったれるんじゃない!」「親を何だと思ってるんだ、このすねっかじりが」などなど、武勇伝も数多い。
 はたしてその後のみのもんた氏はどうなったか?
 名物コーナー「思いっきり生電話」で、「奥さん65歳? 女盛り。恋しなきゃだめよ」「身体が弱い弱いってあなたね、どこがどう弱いの? 中途半端な気持ちで障害者手帳がどうのとか言うのはやめなさい」などなど、それまでのテレビショッピングのよいしょおじさんや、プロ野球珍プレーシーン解説の名口調とはまた違った独自の境地を築きつつある。「ほんとのこと言うとね、こういう電話受けるのがいちばん不愉快なんだ」と、受話器をたたきつけるように電話を切ったこともある。これは予想以上に「平成の小金治」の風格を備えてきたかに見える。
 しかし、どうもこのところこのコーナー、違う部分で非常に後味が悪いことが多い。
 例えば、義理の父親の暴力に耐えかねて、病弱な祖母の家に逃げ込んだ14歳の少女からの電話。話を聞けば聞くほど悲惨な状況だ。それに対して、みの氏はじめスタジオの出演者は誰もまともな相談相手になれない。
 かと思うと、夫が突然蒸発し、夫の両親が離婚を勧めてくる。どうも、夫の両親は夫の行方を知っていて、離婚に持ち込もうとしているのではないか……なんて電話もある。それに対して「新しい人生を見つめて」って、そういう問題じゃないでしょが。夫の生死も分からず離婚もクソもない。事実解明が先ですね。 電話の相談内容は当然事前にチェックしているはず。だとしたら、なぜこうしたことにまともに答えられる弁護士などをゲストに呼んでおかないのか。ゲストの無能さや浮き世離れした感性を視聴者が知って「バカだね」と楽しむという趣向だとしても、あんなにぞろぞろ揃えておくことはないと思うのだよ。
 あの中学生の少女がその後どうなったのか、僕はとても気になっている。「困ったらまた電話してきなさい」と言っておいて、そういうケースも見たことがない。このままでは「平成の小金治」も不発弾になるぞよ。
 

●近況・作曲家・小説家。春になると眠くて、食欲が出て、気がつくと体重がついに「危機ライン」を突破。空腹を我慢しながらこの原稿を書いている。目下600枚の長編を執筆中。夏頃には出版される予定。



重箱の隅シリーズ1 言葉を巡るあれこれ




 何もそんなことにまで……というような細かいことにいちいちめくじらを立ててしまう、大好評「重箱の隅シリーズ」待望の第1弾である。(なぜ第1回で「大好評」「待望の」なのかは追及しないように)
●3月24日、BS2で『名探偵登場・ルーク教授』というのをやったのだが、(あの『超人ハルク』のビル・ビクスビー主演。ビルさん、先日亡くなったのだよね。ご冥福をお祈りします)、吹き替えの大誤訳を発見。ルーク教授がコンピューターに事件のデータを入れて犯人を割り出そうとするシーンで、データの一つに「means」という項目があった。殺人事件のことだからこれは当然「殺害手段」とか「死因」という意味なのだが、これを「意味」と訳しているから、それこそ意味不明の翻訳になっていた。 結構ベテランの人が日本語版を制作しているのだが、それでもこういうことってあるのねえ……と、重箱の隅をホジホジ。
●改編期になると必ず出てくるNG集もので、『同窓会』というドラマのNGをやっていた。台詞をとちるっていう例のやつだけど、その台詞っていうのがこんなやつ。「考えてみたら男と男の関係が男と女のそれよりランクが上に考えられた時代だってあったんだよな」「そうだね。こういうのって絶対的価値なんじゃなくて、時代時代でうつろってく相対的な……」って、そんな評論文みたいな会話を若い男がするか? こりゃNGになってあたりまえ。
●今週からこのコラム、写真を入れるんだそうだ。これだけじゃあ写真を選べないだろうから、最後に写真用に1つ。
『刑事コロンボ』シリーズはコロンボの声の吹き替えをやっていた小池朝夫さんが亡くなり、新シリーズでは小池さんの物まね上手な石田太郎氏が引き継いでいる。ところが、どういうわけか深夜でやっていた昔のコロンボシリーズも、石田氏で吹き替え直しているのがあった。どういうことなんだろ。それと、ピーター・フォークがバーテンに扮するCMも、最近本人の英語バージョンのものから、石田氏の吹き替えバージョンに代わった。コロンボのみならず、ピーター・フォーク=石田太郎というイメージ戦略を本格的に進めていると見た。
 でも、石田氏は、もともとはああいうしゃべり方ではないんだよね。他の役のときはまるで違う声だもの。つまり、石田氏はこれからずっと小池さんの亡霊を引きずって生きていくことになるんじゃないのかな? それってどういう気持ちなのか、石田氏の本音を知りたいものだ。


●近況:一昨日、約600枚の長編の第1稿を提出。ぼんやりした頭で庭を見ると、おお、桜が咲き始めているではないか!
わしの長くて辛い冬の時代もそろそろ終わりにしたいものじゃ。今年こそは一花咲かせましょうぞ。




間の悪いところも含めて「テレ東らしさ」よ永遠に




 僕が学生の頃の話だが、旭川大学に進んだ友人N君がこんなことを言っていた。
「北海道はいいよお。でも、唯一我慢できないのは、東京12チャンネル(現テレビ東京)が見られないことかな。『空飛ぶモンティ・パイソン』と『ゴング・ショー』が見られなくなったことによる文化的飢餓感の増大は相当なもんだぜ」
 12チャンネルは草創期から実にユニークな局だった。歴代の名番組をざっと追ってみると、まずは『帰ってきた酔っぱらい』の大ヒットの後を受けて、フォーク・クルセダーズがホスト役を務めていた『花のフォークタウン』という番組。まだプロになる前のオフコース(小田和正、鈴木康博、地主道夫の三人によるオリジナルメンバー)や、広島から上京してきたばかりの吉田拓郎なども出ていた。あれはよかったなあ。
 N君もファンだった『空飛ぶモンティ・パイソン』というのはイギリスBBCの作ったパロディ番組で、タモリはこの番組の幕間のつなぎ役の一発芸でデビューした。
 アメリカの超人気番組『マイアミバイス』や『ファミリータイズ』などを頑張って買い付けたのも偉かった。結果として日本では視聴率が散々だったにせよね。
 この局はよくも悪くも「間の悪さ」と「予算不足」が特徴である。例えば看板番組の『テレビチャンピオン』や『浅草橋ヤング洋品店』なども、予算不足による開き直りが独特のいい味を出している。「大食い選手権」なんか、出てくる食い物がわんこそばとかラーメンとか駅弁とか、あんまり予算がかからないようなものばかり。凝ったセットは作れないから、いきおい野外ロケが多くなる。しかも収録を無理して一日で終わらせようとするから、いつも最後は真っ暗な戸外でやる。寒くてグラスの中の水が凍ったなんてこともある。いいなあ。(これをフジやテレ朝がやると、中途半端に金かけてしまうから、余計なゲストをやたら呼んで、グルメ番組と大食いとバラエティをいっしょくたにしたバカ企画で、大食い本来の面白さを台なしにしたりする)
 でも、今年のロッテルダムマラソン中継のように、「泣き虫朝比奈」がようやく日本記録を更新し、日本人女子初の二時間二十五分代に突入した記念すべきレースを、中継ラインがつながっているにも関わらず、『腰痛の予防』や『演歌の花道』でつぶしてしまうという間の悪さはとっても困る。
 その後のスポーツニュースでも、プロ野球を先にやるなんて、テレ東の自殺です。
 朝比奈もつくづく間の悪い子だねえ。

●近況:新潟にある築三十年のボロ別荘に今年初めて行ってみた。杉の外壁があちこち痛んでいて、節穴から外が見えるところも……。ぱっとサイデリア~♪でもしたいところだけど、金がないから、夏になったら自分で補修するかなあ……。




重箱の隅シリーズ2 謎といちゃもんと不快表明




 細かいところをほじほじする重箱の隅シリーズ第2弾である。
 まずはCM編。「ウィング付きなのにテープのゴミが出ない」の謎である。
 TVライフの読者は若い女性が多いらしいので、このフレーズをちっとも謎に思わない人が多いかもしれないが、これほど男にとって謎の多い広告コピーはない。
「ソフトギャザーで横漏れなし」はまだなんなく分かる。実感としては無理だけど。しかし、「ウィング付きなのにテープのゴミが出ない」となるとお手上げである。
 そもそも「テープのゴミ」とは何か? テープがあれにひっついている粘着テープのことだとすると、「テープのゴミ」とは「粘着テープに糸くずなどがひっつく」ということなのか? それとも「テープそのものがゴミ」という意味なのであろうか? さらには「ウィング付きなのに」という「A but B」の逆説論法からすると、「ウィング付きじゃないアレは、テープのゴミが出ない」という大前提を含んでいる気がする。分からんちんすきーである。
●次に、新番組『投稿!特ホウ王国』(日本テレビ<日>後7・30)について。
 この番組、基本的にはとっても面白いのだが、ガセネタ投稿者に「お仕置きえんま君人形」を送るというのが分からん。それじゃあお仕置きになってないっての。えんま君人形が欲しくてガセネタ投稿者が増えるのは必至。もっともそこがまた面白くなる要素だろうけれど(ガセネタこそ面白い)。
 それにしても、「黄色い新幹線を見た」という主婦につき合ってマンションのベランダから線路を見下ろすこと数日間……って取材は嫌みだったね。JRに問い合わせれば一発で解明できることでしょうが。
●最後は5月4日の『スーパーワイド』(TBS後3・00)へ一言。
 カラスが通行人のおばちゃんを襲って怪我をさせたというニュース。「あんな鳥、役に立つんでしょうか。駆除できないなんて」とぼやくおばちゃんに、「それは違う。人間もやはり自然の中で生きているわけだから……」とコメントしかけた出演者の一人、あなたは正しい!
 それなのにカメラには無視され、コメント途中で話題を切り上げられてしまった。スタッフの事なかれ主義を垣間みた、非常に不快な一瞬だった。
 カラスは路上に落ちた雛を守ろうとしたのである。「役に立つ」などという尺度でしかものを考えられない愚かなおばちゃんから。
 ちなみにカラスがいなければ、ゴミ問題はもっと深刻化しているかもしれない。



●近況:連休中は家に篭もってお仕事をしていた。出版情報の雑誌を読んでいたら、あらら、赤星たみこさんがあの室田武一橋大学教授と共著でエコロジー本を出版しているではないか。これはさっそく買ってこなくては……と本屋へ向かうも、出版社も題名も忘れていた。悲し哀し。


◆私信◆WINDOWSはどーにも不安定で困る。マウスカーソルを追っかける猫というのを入れたら、一太郎がバグってしまった。チューチューマウスは問題ないのにねえ。やっぱり猫とネズミの共存は難しいのか?
 最近OS2もテレビで盛んにコマーシャルしている。OS2に乗り換えようかな。OS2で一太郎for WINDOWSは動くのだろうか?
 さーて、これからテニスだテニスだ。今日は睡眠も十分だし、よく晴れてるし、短パン履いて頑張っちゃおっと。




「アリはしつこい害虫」か? ~テレビによる情報操作




 ニュースを見ていると、政局や経済動向、犯罪などに混じって、必ず「だからなんなんだ?」と言いたくなる「季節ネタ」「一息ネタ」というのが混じる。これにはいくつかのパターンがあって、「どこどこの××が今年も一斉に花を咲かせ、観光客の目を楽しませています」という「花もの」、「どこどこの小学校で、プールに放していたコイを児童たちが手掴みで掴まえて集め、夏のプール開きに備えました」といった「魚もの」などはとくに目に付く。どうもニュース番組には、「花が咲くのと生きた魚を手掴みで掴まえるのは無条件に『いいこと』である」という原則があるらしい。
(掴まえられたコイはどうなるのだろ?) この「魚の手掴み=いいこと」という価値観は、ニュース番組製作者の頭の中に強力にインプットされているらしく、ひどいときには、川をせき止めた観光用の釣り堀がオープンしたというようなことでも、なぜか「ニュース」として取り上げる。
「作物もの」「名産もの」というのもある。先日ニュースを見ていたら、北海道の夕張メロンの初セリで、2玉入りパックに26万円(1玉13万円ですな)の高値がついたというのを「ニュース」として流していた。
 そのメロンがデパートの食品売場に並べられて「1玉13万円」で売られている映像も流される(なぜか儲けはゼロだ)。
 これなどはとんでもない情報操作というか、ニュースが商売に荷担している好例だろう。このニュースを見た人たちは「夕張メロンって高価なものなんだなあ。八百政さんじゃ1玉9000円で売ってたけれど、あれなんか安かったんだなあ」と思いこまされてしまうわけだ。勘ぐれば、夕張メロン協会(そういうものがあるかどうか知らないけど)がデパートに金を渡して、わざと高値でせり落とさせ、ニュース的価値を作り出したんじゃないかともとれる。全国ネットでの広告費だと思えば安いものだ。 ニュースではないが、最近心底腹が立ったのは、ある殺虫剤のテレビCMでの「アリはしつこい害虫です」というコピー。
 こういう「言いきり」って、「JAROってなんジャロ」みたいなのにひっかからないのだろうか? 子供がこれを見て(……という言い方はよくないな。大人こそ……だな)、知らず知らずのうちにそう思いこまされることの恐ろしさ……。
 これこそ絶対許せない「情報操作」だ。 アリがいない地上で、人間が生きられると思ったりしたら、それこそおわりだな。
そういう時代が近づいてきたのかなあ……。

●近況:アポロ11号の乗組員が初めて月面に立った翌朝、授業で「これからはあのお月さんにゴミがあるんだと思って生きていかなきゃならないんだぜ」と言った国語の先生が亡くなったという知らせがさっき入った。先生のその言葉の意味が分かるまで、僕は20年以上かかった。遺志を継げれば……と思う。

◆編集者への私信◆
 原稿遅れてしまってごめんなさい。ちょっといろいろとあったもので。
 今日は7月に出る小説の原稿を出してきました。タイトルは『天狗の棲む地』というのに決まりました。僕は気に入っていませんが……。
 今気がついたけれど、これって写真が困りますね。コイの手掴み映像とか……? いっそのこと、タヌキの写真でも使いますか? 遅れた上に悩ませてすみません。




上質な笑いを育てるも殺すもテレビマン次第でっせえ




 かつて『お笑いスター誕生』というオーディション番組があった。とんねるずやB&B、怪物ランド(どこいっちゃったんだろうなあ、そういえば)はこの番組のチャンピオンになって売り出したし、バブルガム・ブラザーズの一人(名前忘れた)は、僕の頭の中では今でもこの番組の3~4週あたりで落ち続けていた小柳トムである。
 なぜあれほど面白い番組をつぶしてしまったのか理解に苦しむ。最近、規模も演出もぐっと落ちるが、『ガハハキング爆笑王決定戦』(テレビ朝日)という同じような番組が日曜の昼に現れて、毎週欠かさず見ていた。
 初代キングの「爆笑問題」、2代目キングの「フォークダンスDE鳴子坂」ともに、本当の意味で面白い、久々の逸材だった。
 ところが何の前触れもなく、この番組は『Jリーグ A GOGO!』とかいうJリーグ小判鮫番組に取って代わられ、夜中の1時に30分番組に縮小され移動した。
 しかも、現在2組の「キング」たちは本来の漫才や創作コントをやる代わりに、しょーもない企画ものコントやおねえちゃんとの絡みコントをやらされている。
 またかよォ~と思う。こういうの、やめようよ。とんねるずもウンナンも、もう本来の創作コントをやるのを見ることができない。下品な「客いじり」や、粗製濫造の台本作家が書いたしょーもないコントをみんなでわいわいやらされてるだけだ。売れてしまえばそのパターンでいいんだという認識、改めようよ。絶対よくないよ。
(ちなみに、この番組出身ではないが、僕のひいきのバカルディなんか、その裏の『ギルガメッシュないと』で、モザイクばしばしの裸ねえちゃん相手に、苦しそうに突っ込んだりぼけたりしている。ホリプロは彼らの芸風を全く理解していないよなあ)
 才能あるお笑い芸人の卵たちは、必死でネタを考え、芸を磨く。ところが、それを育てる側のテレビがいい加減な態度だと、たちまち彼らの芸は荒み、伸びるものも伸びないまま使い捨てにされることになる。
 その意味で、今のところ僕がいちばん気に入っているのは、たまーに深夜にやる『赤坂お笑いオールスターライブ』(TBS)である。こういう演者本来の持ち味をしっかり見せてくれる番組がなぜ定着しないのか、不思議でしょうがない。あれに比べりゃ吉本の素人集団なんぞ……ん?
『赤坂~』や『ガハハ』の面々よ、今は辛いだろうが、打倒吉本わけわからんちんすきー素人集団で頑張れ。わしは味方じゃ。


●近況:最近、編集者から「『』や……を多用する文章は低能女子大生の作文以下だ」と言われた。あたしの文章はやたらと「」と……が多い。……なんて、ワープロの辞書に登録して、ほとんど句読点代わりに使ってるもんなあ。好みの問題という気もしないではないが、まあ、自分の文章を見直してみるいいきっかけにはなったかな。

◆私信◆
 あんまり眠くて、ついつい5時まで寝てしまった。明日、校正者からの赤入れゲラをもらって、木曜日にゲラ戻し。ファイルでゲラを戻すというのも、まさにパソコン時代だなあ。最近は作家が写植屋さんを兼ねている気がする。それにしても最近導入したVJE-デルタというFEPは調子が悪い。すぐにWINDOWSがいかれてしまう。困ったちゃんだ。



心のこもらないNHK流お役所仕事に激怒





 今の両国国技館ができた直後、NHKのアナウンサー・阿部宏さんに公開前の国技館の中を案内していただいたことがある。
「ここが力士用のトイレです。洋式ですねえ。お尻のサイズに合わせて特注だそうですよ」などなど解説までしていただいた。
 阿部さんに限らず、相撲中継担当のアナウンサーはみな研究熱心で感心させられる。
 ところが、そんなNHKも、時にはまったくやる気のない「お役所仕事根性」丸出しのスポーツ中継をやることがある。
 先日の陸上日本選手権の中継はひどかった。例えば最大の注目種目・女子1万メートルは、中継のない大会初日の金曜日に行われたのだが、これは当然VTRで翌日の放送のときに紹介されると思っていた。しかし、全然やらないし、話題にも出ない。
 2日目では走り幅跳びで波乱があった。日本記録保持者の森長が、最後の最後に伏兵の学生・志田にわずか2センチ逆転されたのだ。優勝は100メートルの日本記録保持者でもある朝原だし、このままでは森長はアジア大会代表(各種目2名まで)に漏れることになるかもしれないという波乱。しかし、その逆転シーンを、中継時間内の出来事にも関わらず映し出さなかった! 
 最悪なのは最終日。中継が始まったとき、トラックでは男子3000メートル障害の決勝が行われていた。俯瞰のカメラに、点のように選手たちが小さく映っているのが一瞬見えた。ところがなんと、競技を中継もせずにアナウンサーと解説者の顔を延々と映し出し、「今日の見所は……」なんておしゃべりを流しているのである。
「今日の見所」は、皮肉にもそのときトラックで行われていた3000メートル障害だった。ケニアから留学している高校生・ジェンガが、日本記録を上回り、ジュニア世界記録を打ち立ててしまったのだ。
 セナの死やジーコの引退で特別番組が組まれる一方で、遠い異国の地から東北の日本人ばかりの高校に留学している高校生が、日本で大人を相手に。
 ジュニア世界記録を出した晴れ舞台を、中継ラインがつながっているにも関わらず、天下のNHKが映さない……一体どういう国なんだ、日本は?
 多分、男子3000障害は中継の予定外だったのだろう。その後、VTRさえ流さないところをみると、はなからカメラはレースを中継することを放棄していたとしか思えない。何が起こるか分からないスポーツ中継での「台本通り」のお役所仕事。「心」のない仕事場を見せられることほど悲しく腹立たしいものはない。


 ■近況:久々の小説単行本が出ます。7月21日マガジンハウスより『天狗の棲む地』発売!「現代のニッポンに天狗がいた! 山女が出現した!」……という文字が踊る赤い帯が目印。650枚の長編ハードカバーで1300円。表紙もオシャレでかっこいい。主人公の名前「有紀」というのは、日産の長距離選手・田村有紀ちゃんからもらった。俺、ファンなんだよなー。

◆私信◆
 21日は問題の精神病院ライブだ。無事に終わるといいが。タヌパック・スタジオに待望のハードディスク・レコーダーが入った。これで下手な演奏も結構ごまかせるかも。でも、原稿書きが忙しくて、まだ十分にいじれないでいるのよ。これを使って、来月にはCDを作る予定。





『ハーディング物語』の摩訶不思議さ





 毒ガス事件のミステリーにも、村山首相誕生のドラマにも背を向け、なぜか今回はしょーもないネタでいくぞ。
 7月3日に放送された『ハーディングvsケリガン疑惑の殴打事件・隠された真実』という映画(テレビ東京)の視聴率はいかほどだったのだろう? 私はたまたま見てしまったのだが、まことに不思議な代物であった。
 映画というからには、アメリカ本国ではこれは劇場公開されたんだろうか?
 だとしたら物凄いスピードで制作して公開したということになる。それをいち早く仕入れてきたテレビ東京も偉い。「とりあえずアメリカで評判のものには手を出す」テレビ東京の面目躍如である。拍手。(もっとも、日曜の昼間に放送するというのが正解なのかどうかは極めて疑問だが)
 内容はさらに摩訶不思議なものだった。 まず、ごく最近の事件を忠実に再現した(少なくとも制作側はそのつもりのはず)ものなのに、実写映像が皆無。雑誌の表紙を飾るスケーターの写真や、オリンピックでの例の「靴紐ほどけちゃったんだからしょーがないでしょ抗議」の場面まで、全部俳優が演じているという徹底ぶりだ。(伊藤みどりのそっくりさんには笑った笑った)
 随所でトーニャの父、トーニャの母、トーニャの友人、かつての花形スケーター、FBIの捜査官、あるいは昔フットボールの選手だったが怪我をしてからはどん底生活をしている男性などという人々が「証言」をするのだが、これも全部俳優の演技。つまり、証言やコメントそのものは実際に本人から取ったのかもしれないが、画面ではそれを役者が喋るのだ。妙な感じだ。
 UFO事件ドキュメント番組などによくある目撃者の証言風景を物まねするというパターンが一時流行ったけれど、これはあれ以上に違和感ありありなのだ。役者がみんな三流で演技がわざとらしく(しかも吹き替えはもっと誇張している)、一体これはなんなんだ? という思いのまま、ついつい最後まで見てしまった2時間であった。
 しかし、こういうものを冗談ではなく実際に作ってしまうアメリカという国は面白い国だ。これ方式で日本でもやってみたらどうだろう。『村山vs小沢、疑惑の対決 そのときトミーは決断した!』とかジェフ君(これは本人起用)と聖子のそっくりさんとの『真実の愛』とかね。
 しかし、全員三流役者で固めて政界ドラマを作るというのはやっぱりダメかな。実際のほうが面白いから、誰も見ないもんな。


●近況:『天狗の棲む地』の表紙を見てびっくり。素っ裸のおねえちゃんが空中に浮いているという図。お椀型のおっぱいがもろに劇画チック。いいのかなあ。確かにそういうシーンは出てくるのだが、これはあくまでも「文学」ですからね。現代人の心の奥に潜む闇をもえぐる感動巨編なんだから……。

◆私信◆
 CD『狸と五線譜』ついに完成。明日CD製作会社に原盤と版下を持ち込む予定。とりあえずは500枚プレスするのだよ。欄外でその読者プレゼントの告知させてもらえないかな? とりあえず10枚つうことで。
 オリジナル音楽9曲+自然界の音いろいろの60分。



「無気力解説王」安治川親方の大物ぶり





 ちょっとタイミングがずれてしまうが、相撲の話題を一席。それも、若ノ花の女を見る目の悪さとか、舞の海の小結昇進おめでとう、というような話ではない。現役を退き、解説者役をやっている親方たちの話。
 それにしても力士というのはなんでああも話が無内容なのだろうか。若貴のパパ・二子山(元・先代貴ノ花)とか、みづえの旦那・松ケ根(元・大関若島津)なんかも、かっこはいいんだが、話すとがっかりさせられる。解説者というよりは相槌役だもん。「××は嬉しい勝ち越しですね」「そうですね。嬉しいですね、この勝ち越しは」「今場所は下半身が安定していたような気がしますが」「はい。下半身が安定していましたね」……と、終始こんな調子。
 明るいキャラクターでいかにもNHK好みの北陣(元・麒麟児)にしても、他の親方連中があまりにひどいからまだましに見えるだけで、決して内容のある話をしているわけじゃない。あれなら、意味もなく下手な川柳をひねる出羽錦のほうがずっとよい。
 そんな中で、最もとてつもないのが安治川(元・横綱旭富士)である。
 この人、横綱時代はそれなりに風格があったのだが、髷を切って背広を着て数年、今ではどう見ても新宿歌舞伎町を徘徊している用心棒のお兄さんだ。
 テレビに出てきてもニコリともせず、ぼそぼそと文句をたれるだけ。そもそもテレビというものを全く意識していない。飲み屋のカウンターでくだ巻いているおっさんと変わらない(しかも滅茶苦茶暗い酒ね)。
 例えば7月10日、名古屋場所中日の『大相撲ダイジェスト』でのやりとりより。「小錦はいい相撲でしたね」「まともにいったら勝てないの分かってていくほうが悪いでしょ」(小錦に押し出された三杉里に)
「朝乃若がなかなかうまい相撲を取りましたね」「相手が不細工なだけでしょ」(ちなみに不細工といわれたのは魁皇でーす)
「旭道山、惜しくも足が滑りましたか」「滑るなら足袋履かなきゃいいのにねえ」
 ……なんとかフォローしようとするアナウンサーも、何度も絶句していた。
 この人が解説者としてテレビに出てきた当初は、なんじゃこりゃと呆れ返っていたのだが、最近は呆れるのを通り越して、一種の感動を覚える。凄い。これはもう、さわやか北陣などとは対極にいる解説者のデカダン革命児である。
 安治川のやる気のない、面白くなさそうな声の愚痴を聞きながらビールを飲む……これからの相撲の楽しみ方はこれです!


●近況:
オリジナル音楽CD『狸と五線譜』が完成! オリジナル音楽9曲+タヌキやウシガエルの声、雷鳴、せせらぎなどの自然の音で構成される六〇分弱の作品集。ご希望の方に送料込み1000円(図書券、定額小為替、切手代用可)で送ります。発売中の小説単行本『天狗の棲む地』もよろしく!

◆私信◆
 8月中は「タヌパックスタジオ越後」(別名幽霊屋敷)に行っている期間が長くなると思います。この前、ちょこっと行ったら、蛍が飛んでいた。蛍なんて見たの何十年ぶりだろ。


関東・関西テレビ文化比較論




 本誌21号に深夜番組の特集記事が載っていたが、あれは見方を変えると「関東・関西テレビ文化の差異」を読みとれる興味深いデータだった。
 まず、僕のような関東在住の人間には、『こえぴょんフー』とか『山田雅人の失恋レストラン』『ハイヒールのどんなんかな予備校』『ニュースわからんチー』といった番組はことごとく分からんチーである。
 そもそも関東の感覚からすると、失礼ながら山田雅人やハイヒールが番組タイトルに名前を組み込まれていること自体がびっくりぴょんフーである。
 これらの番組は見ることができないので想像するしかないが、まさしく「関西」の色に染まっている番組なのだろうなあ。
 両方で放送されている番組でも、放送時間帯によって「関東色」「関西色」に分けられる。
『進め!電波少年』は関東では日曜夜10時半、関西では木曜深夜0時55分で、これは関東色。逆に『たかじんnoばぁー』は関西の土曜の夜11時45分に対して、関東では深夜1時35分。(そもそも関東では「たかじんって何だ?」……となる)
 関西で常時視聴率20%を超えるという人気番組『探偵!ナイトスクープ』が、関東では平日の深夜1時40分(終わると3時近い)と全く無視され、逆に、『タモリ倶楽部』は関西では平日夜中の1時5分からなのに、関東では花金の夜0時からだ。
 昔から、関東のひねった笑い、関西のこてこて笑いなどと評されるが、そんな単純なものでもないような気がする。
『進め!電波少年』のハチャメチャさは関西向きかと思えば、放送時間を見る限りそうでもないらしい(顔だけ切り取って歪めさせたりする画面の見せ方が関西風とは相いれないのか?)
 また、こてこて関西笑いが苦手な僕でも、『オールナイトフジ』よりは『探偵!ナイトスクープ』のほうが面白いと思う。それに、やたらと番組構成を細切れにしたがる東京流より、少人数の出演者がどっかと腰を下ろして延々しゃべり続ける関西流の構成のほうが落ちつくこともある。……というわけで、なかなか奥が深い「関東・関西気質の差」ではあるが、共通しているものもある。テレビ東京は『モグラネグラ』を関西に送れないが、『ギルガメッシュないと』は送っている。サンテレビの『おとなのえほん』は関東の各UHF局に送られている(僕は今までサンテレビというのはあんなのばっかりやっているのだと思っていたが、番組表を見るとそうでもないようで、ちょっとがっかりした)。
 結論。「Hは文化圏を超えて不変です」(お粗末)


●近況:
8月中は新潟の豪華別荘(別名・廃屋)に一人でこもって新作長編にとりかかる予定。夜は蛍が飛び、朝は鳥の声で目覚める。おお、これぞ人間らしい生活ではなかろうか。山のいちばん奥にあるのだが、なんと都市ガス、本下水まである。角栄の遺産か……。



NHKの嗅覚




 山奥の廃屋で、心霊画像のようなNHKの番組を見ていて、NHK独特の出演者選考基準に改めて気づいた。
 こんなものである。
1)今が旬、あるいはこれから売り出す予定のタレント。もしくは誰もが名前と顔を知っているベテラン(この場合、いずれも今は売れていなくてもいい)。
2)NHK流の演出に文句を言わず、素直に従ってくれそうな人。
3)以上の条件を満たすならば、なるべく「ほほう、こんな人が」と思われるような意外な人物。


 このうち、2)は特に重要だ。 NHKの番組作りというのは、アドリブやハプニングを嫌い、討論番組などでもやたらと事前の打ち合わせ、リハーサルを長々とやるきらいがある。それに加え、都会のセンスでは恥ずかしくてとてもやれないような演出を「ギャグ」ではなくやる。
 例えば『昼どき日本列島』が熊本は五木地方から中継したときのこと。いきなり番組冒頭で、元女子マラソン選手の増田明美が絣の着物を着、背中に人形を背負わされて「おどまぼんぎりぼんぎり~」と、『五木の子守歌』を歌いだした。民放ならこの後、パートナー役やメイン司会者が的確に「つっこみ」を入れるのだが、NHKのアナウンサーは「これはこれは、誰かと思えば増田明美さんじゃないですか」と、型通りに入っていくのである。あ~、オチがない。
 もしくは『クイズ・日本人の質問』の古舘伊知朗を見よ。民放(TBS系)の『クイズ悪魔のささやき』などで見せるような鋭いつっこみやアドリブ、十八番のシュールな比喩フレーズは見事に影を潜め、ひたすらサイドブレーキを引いたまま走行するF1カーのように歯切れの悪い司会進行に徹している。
 3)についても若干説明が必要だろう。ルー大柴や大仁多厚といった人選は一見「NHK離れ」しているように見えるかもしれないが、彼らの中に「長いものには巻かれろ」あるいは「要求されている役割をそこそこにこなせばいい」という姿勢が最初から宿っているのを、NHKはきちんと見抜いているのである。
 多分、ハマコウが彼ら程度に分別があるなら、HNKは喜んでタレントとして起用するだろう。しかし、ビートたけしは無理。そのへんの微妙な差をかぎわけるNHKの「嗅覚」のようなものは大したものだ。
一度でいい、古舘がこう突っ込んでくれるのを見てみたい。
「ほほう、これがNHK流の演出ってやつですかあ?」
 まあ、生以外では当然カットだろうけどさ。


●近況:七月に出た『天狗の棲む地』が売れていない! 新宿紀伊國屋なんか、文芸のコーナーになくて、「SF」のコーナーの隅に置かれていたりする。これでは売れるわけないよなあ。SFに分類されちゃうわけですかあれは……と文句を言っても始まらないが。
 SFは大好きだけれど、あれはいわゆるSFというジャンルではないと思うのよ>紀伊國屋さん。伝奇ミステリーとかニューホラーとか、なんでもいいんだけれどさ。


◆担当編集者への私信◆

 暑いっす。昼間は脳味噌が働かない。夕方、向かいの家のイヌ(普段全く散歩させてもらえていない可哀想なやつ)を連れて散歩し、シャワーを浴びてから夜になってはじめて書き始める。窓の外ではムササビが呻き、巨大な蛾が網戸に体当たりしてくる。こういう状況で、テレビをつけると『本当にあった怖い話』だし、書いているものは、ここを部隊にしたホラーパニック小説だし、結構俺も心臓強いのかな。さて、大工仕事でもするか……。(暑いときは肉体労働に限る)



五木寛之さんごめんなさい




「マーフィの法則」のような体験を先日、赤坂はTBSで経験してしまった。テレビにいちゃもんつけてるばかりじゃなくて、自分も「ちゃんとしなさい」という自戒を込め、今回は号外編。
 五木寛之さんがTBSラジオの『五木寛之の夜』(日曜深夜0時)で、僕の自主制作CDを2回も流してくださった。で、今度はゲストとして呼びたいとのこと。身に余る光栄である。
 勇んで出かけたのだが、収録スタジオを忘れてしまった。受付でその日のスタジオ使用表を見せてもらうと、第3スタジオとある。「あ、これですね、すみません」とさっそく3スタに向かうと、『五木寛之の夜』は18時からになっている。僕は16時30分と言われていたので、おかしいなあ、予定が変更になったのかなあ……と、自宅や編集部、はては五木さんの事務所に電話。ところが誰も捕まらないし、自宅では妻が「何も電話はないわよ」とのこと。結局何かの手違いだったのだろうと判断して、一旦外に出て時間を潰し始めた。
 ところがこのとき、別のスタジオで14時から収録を始めていた一同は「たくきよしみつが来ない」と、にわかに色めき立ち始めていたのである。
 編集者が家に連絡してもお話中(ちょうど僕がかけていたから)、ようやくつながったときには僕はTBSの外に出て書店を覗いているところだった。
 TBS内から自宅に僕が電話していることを知って、番組スタッフはTBSの主な出入口やフロアに人を配し、「髪の長い三十代の眼鏡をかけた男」を捜索し始めた。僕が出演する部分以外は順調に録り終わり、五木先生は「まだかね、たくき君は」と待ちの体勢に入っている。スタッフの顔が青ざめてくる……。
 実は18時からの3スタというのは、収録後すぐにテープを編集するためにとってあったスタジオらしい。受付でもう少し注意深く予定表を見れば、あるいは自宅にあともう1回電話をしていれば……他にもいくつかのIFがあるのだが、どれもほんのちょっとのタイミングで悪いほうに悪いほうにとズレてしまった。結局、五木さんを一時間以上も待たせてしまい、慌てて駆けつけた僕は呼吸を整える間もなくあたふたと収録開始。 収録中止という最悪の事態は免れたものの、生涯記憶に残る悪夢の1日だった。
 なんと3週に渡って僕のことを紹介してくださったのに、五木さん、本当にごめんなさい。たくき、猛省してます!
(ちなみに放送は18日みたい)

●近況:
 収録後、レストランでステーキをごちそうになりながら、五木さんからいろいろと愛の鞭を受けたのでした。
「作家なんて根本的に恥ずかしい存在なんだから、カッコつけてちゃいかん。嘆いている前に、せっせと書くしかないだろう。甘い!」はい。心を入れ替えて励みます。

◆編集者への私信◆

 ……というようなこともあり、原稿のこともすっかり忘れていました。連絡が取れなかったのも「マーフィの法則」の延長ですかね。
 12日から3日間、佐渡に取材に行く予定です。その前にちゃんと原稿入れなくちゃね。この前もらった資料をもとに、早めに1本仕上げておきます。


『何でも鑑定団』の哲学性




 物の価値とは何か? この単純にして深い哲学的命題に真っ向から取り組んだ名番組が『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)だ。
 見たことのない人のために簡単に説明すると、古美術からタレントのテレカ、化石、エラー切手などなど、およそありとあらゆる「値段があってないような物」をその道のプロが鑑定し、強引に値段を付けてしまうという新しいタイプの番組である。
 今まで類似番組がなかったということだけでもテレビ東京にしてみれば珍しく、快挙なのだが、毎回「う~ん」と考えさせられるという意味でも凄い。
 先日、番組始まって以来の高額鑑定が出た。さる市会議員が所有していた村山槐多が学生の頃に描いたという風景画だ。
 なんでも、この市会議員の母親が、近所に住む苦学生に時折食事を世話してやっていたところ、ある日その苦学生(槐多)が「お礼に」と小さな風景画を描いて持ってきたのだという。
 この絵が「最低三千万円」と鑑定された。三千万というのはオークションに出た場合、最低でもこの価格から競られるだろうという額で、実際には億単位は間違いないとか。
 これには所有者も相当驚いていたようだが、テレビで見る限り、別にどうということのない風景画である。「うちの娘が夏休みの宿題で描いたんですよ」と言われても「ああ、そうですか」と納得しそうになる代物だ。
 そもそも村山槐多とは何者なのか? 調べると、一九八六年生まれでわずか二三歳で死んだ伝説的デカダン詩人・画家とある。若くして死んだので絵はほとんど残っていない。だから価値があるのだそうだ。
 もちろん、槐多は生きているうちから「天才」と認められていたわけではない。死後、誰かが「これは凄い」と言い出したから「伝説の天才詩人」になったわけで、そのへんの仕組みというのも不思議である。評論家の評価よりも実際の「売り上げ」がものを言う現代では、こうした「伝説」はできにくいかもしれない(でも、最近では、山田かまちはそのパターンかな)。
 いずれにせよはっきりしていることは、あの絵に億の金を出すやつは、恐らく絵心なんてない成金だということ。少なくとも「絵」として気に入って金を出すわけじゃない。誰かが下した「鑑定」に対して金を出すわけだ。うーむ、物の価値とは何か? 芸術とは何か? およそ「物」には全て値段が付けられるのか? ……哲学的命題が満載されたこの番組、好きだなあ。

●近況

CD『狸と五線譜』は送料込み千円ぽっきりである。槐多が飯のお礼に描いた絵のように、僕の死後、ものすごい値段がついたりはしないのかしら? 今ならまだ間に合う。〒215川崎市麻生区東百合丘一-二九-五-四 タヌパック・スタジオ宛へ。図書券、少額切手の代用可。

*註:当初、CD『狸と五線譜』は1000円で配布していた。今は1300円+送料300円。

◆編集者への私信◆

 昼夜完全逆転で苦しい時差ボケの日々。昨日は久々のテニスにも出なかった。木曜日までにはなんとか再逆転させたい。
 先週、秋葉原に大容量ハードディスクを買いに行くつもりで、なぜか旅行用の小さなギター(ギグパッカーというのだ)を買ってしまった。ハードディスクはこれで当分お預け。




まだ甘い?『道徳の時間』




 久米宏が久々にテレビ朝日以外の番組に出演したという話題の『道徳の時間』を見てみた。「増えすぎたシカを殺していいか?」「余ったタイ米はあくまで自分で食べるべきか?」などという命題に対して、六人の解答者がそれぞれYES/NOに別れて論陣を張る。判定(正解)を下すのは、国会議員、現役教師、住職、弁護士、そして最近この手の人選では必ずウケ狙いで抜擢される飯島愛など一一人の「道徳賢者」たち。「正解のないクイズ」というふれこみだが、確かに面白かった。
 序盤、保身に終始した見地から判断する渡辺正行が一人で「正解」を重ね、このままならパーフェクトという展開になったのも興味深かった。
 ただ、一つ疑問に思ったのは設問の作り方。梅宮辰夫・アンナ父娘をモデルにした、「プレイボーイと噂の高い男から、既に成人している娘が二〇〇万円の指輪を誕生日のプレゼントとして貰った場合、親は返させるべきか、貰っておくか」というようなもの。この命題は、「親は成人した子供に対しても絶対的命令権を持つ」という大前提を含んでいるように思える。「返すように諭す」とか「諭しても返そうとしない娘を勘当する」というなら分かる。でも、「返させる」はおかしい。
(その前に、「そんな娘に育てた自分に呆れ果てる」という段階がある気もするけれど。)
 同様に、「高校生の息子が校則に反してピアスをし、退学の危機にあるとき、親として外させるか、外させないか」というのもあった。これは子供が未成年者なのだから条件が違うが、やっぱりちょっとひっかかった。その学校が公立なのか私立なのかという条件も大きい。この場合はもっと分かりやすく、「公立中学に入学して坊主刈りを強制され、それを拒否した息子と共に、学校側と闘うか否か」としてくれれば分かりやすかった。もっとも、松本明子の「放課後になってからこっそりすればいいじゃん」は名答だったけれど。
 でも、この番組を通じていちばん面白かったのは、久米宏と解答者の一人・浜田幸一のねちこい応酬だろう。「私は浜田さんだけは呼ぶべきじゃないと言ったんですが」と言う久米に、ハマコウは「ほう、久米さんは増えたシカは殺す派なのかね。その眼鏡の下の人のよさそうな目は実は冷血漢の冷たい目だったんだな」などと突っ込む。
 こうした一種の場外乱闘がいちばん面白かったというのは、はたしてこの番組成功だったのかどうか。でも、また見るよ。

●近況:
Nifty-Serveに発表した「花火用本物WAV」というのがパソコン雑誌の付録ディスクに収録され、謝礼が二万円だという。しかし、私は何をしているのでしょう? 五木さんからも「ちゃんと小説を書きなさい」と諭されたばかりだしなあ。


◆編集者への私信◆
 厳美渓→小安峡→泥湯→川原毛地獄→鬼首→鳴子……と回ってきました。一〇〇〇キロも走ったわりには、今一つの満足度。鳴子峡では夕立に遭い、不倫風中年カップルと一つ岩の下で雨宿り。ショートショートの題材になるかな。ところで、『クイズ悪魔の囁き』はどうなりました? 実物より先にテレビでご尊顔を拝すことになったりして……?

☆註:当時の担当編集者・飯村かおりさんが『クイズ悪魔の囁き』に応募するというので……。



久々の「重箱の隅」シリーズ




 番組改編期というのは何かと細かいことが目につきやすい。久々の「重箱の隅」シリーズ(たしかこれで第三弾?)だっ!
●まずはテレビ東京の『土曜スペシャル・到達無理? それでも行きたい秘境の温泉第二弾』。 徒歩でしか行けないということを強調するあまりに、わざと遠回りのルートをたどっていないかい? プロレスラー藤波は確かに祖母谷温泉を目指して白馬連峰縦走をしたのかもしれないけれど、祖母谷温泉なら、有名な黒部峡谷鉄道欅平駅からほんの三キロほどである。
 秋田の川原毛地獄の先にある大湯滝は、僕もつい先日訪れた。すぐ上の遊歩道入口に駐車場が完備されている。ちょうどヤンキー風の茶髪お姉ちゃんが、髪を濡らしてボーイフレンド数人と引き上げてくるところだった。なにも川原毛地獄の反対側の入口から入ることはないのよ。
●ドリフターズが全員一緒に収録をしないようになってからどれくらい経つだろう。この前たまたまフジ系のドリフスペシャルを見たら、エンディングで全員揃って踊る映像が大昔のもので、ズボンなんか懐かしいパンタロン型。チョーさんも志村けんも髪はまだ黒々ふさふさ。そんな昔の映像を持ち出さなきゃならんほどみなさん仲が悪いの?
チョーさんと志村けんの二人によるコントというのは、これから永遠に見られないのかもね。
●フジ系列の『いたずらウォッチング』は二〇回記念だとかで総集編。お?「騙される一般人」の役で、ジュンカッツの片割れが出ているではないか! ジェットコースターに乗っている客の役では、MANZAI-Cが出ているし、これって、若手お笑い芸人のバイト番組だったのか。 若手が出世して、過去のやらせがばれるとは皮肉だねえ。
●衝撃映像にNG集、だらだらクイズ番組(の形をとった番組宣伝)以外に何か企画はないのかよと思っていたら、よりによって日本テレビが『ダウンタウンの裏番組をブッ飛ばせ!94』ときた。二時間半、野球拳やるのはいいよ。しかし、時間帯の問題で胸さえ見せられないなら、最初からやるなっての。ラスベガスから金髪おねえちゃんの水着姿見せるために、衛星使うな。
 浜ちゃんが途中、完全に切れてしまい「あかんわ、これ。やめたやめた」と、司会を放棄してステージに寝ころんでしまったが、あれはまさに日本全国野球拳ファンの思いを代弁している。神聖なる野球拳を汚し、男の本能をおちょくったプロデューサーよ、この責任、どうとってくれるの?

●近況:
最近、テレビのCMでビートルズの『YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY』そっくりの曲を女の子が日本語で歌っているのを聴いて激怒。これ、正式なカバーバージョンか? 調べようと思っている矢先、ぱたっと放送しなくなった。消化不良である。情報求む。

◆私信◆
 FAXソフトを変えました。今度のは有名な「EASY FAX」というのだが、起動が異常に遅いのが欠点。これもそれで送っていますが、ちゃんとしてますか? とにかく、今までのよりは数倍まともなソフトだ。



超能力番組にルール作りを




 その昔、前田武彦さんが一時テレビ界から半引退のような状況になったときがあって、その頃のことを後に「ひとつには司会者として、視聴者を騙すような番組の片棒をかつぐことができなかったので辞めた」と述懐していた。
 マリックさんがブームになったとき、一万円札の再生マジックで、司会の福留アナウンサーがマリックさんに自分の財布から取り出して渡した一万円札は、事前に番組スタッフが渡しておいた札だったのではないかという指摘があったりもした。
 マーチン・セント・ジェームズの催眠術は、最初は「おおーすげえ!」とみんな驚いたが、回を重ねるごとに「またかよ」と飽きられてしまった。あの番組で催眠術にかかるタレントとかからないタレントがいるが、あの番組はタレントのテレビ局への従順度を示す踏み絵のような働きをしてしまった感もある。「へーえ、山口美江ってそうなんだー」というふうに。(うちのすぐ近所にジャイアンツの宮本投手が住んでるので、今度直撃で訊いてみようかな)
 僕はここで、大槻教授のようにこの手の現象をことごとく否定するつもりはない。ただし、超能力、超常現象、マジック、催眠術といった題材をテレビで扱うときは、やっぱり最低限度のルールってものがあってしかるべきではないかと言いたいのだ。じゃないと、娯楽番組としても、結局は楽しめないもの。
 例えば、十月十三日にフジテレビで放送した『木曜ファミリーランド/衝撃特番! 超常現象に挑む!』で、失踪者の行方を超能力者が見つけだすというのをやっていた。
 スタジオに何人もの「超能力者」が呼ばれ、失踪者の家族などから話を聞いた後、「この人は今、パチンコ屋さんにいて……」などと「透視」するのであるが、不可解なのはこの後すぐに司会者が、「そこで私たちはこの透視に従って、失踪した○○さんを探し出すべく取材してみました。VTRをどうぞ」なんぞと言って、平然とVTRが流れることである。
 これはおかしいじゃないの。
 もし、その透視が今行われたものなら、なんでその透視に従った取材VTRが既に存在するの? VTRがあるってことは、その透視はすでにずっと前に行われていて、今スタジオでやった透視はそれを再現した演技なの? だとしたら、透視の内容そのものもインチキ臭くなる。
 こんなでたらめをやっている限り、大槻教授のでかい顔もまだまだ続くんだろうな。

●近況:
 久々に原稿を飛ばしてしまった。ファイルの操作ミスで半日分の校正作業がパーに。 でもまあ、以前、百枚ちかい原稿を消してしまったこともあるから、それに比べれば軽症軽症。さて、これから近所のおばさんたちとテニスだ。

◆私信◆
 創作ってやつは、あまりにも落ちついた環境でも進まない。心が絶えずトラブっているくらいのほうが仕事はできる。
 中村八大の『知ってるつもり』を見て、またいろいろと考えてしまった。あの人って、不幸だったときの作品のほうが圧倒的にすぐれている。あまりにも早く成功してしまうというのも、悲劇のもとだな。原田真治とか××××とかタケカワユキヒデとか、天才型作曲家の多くはその後ぱっとしない。その点、ナベサダはやっぱり凄い。



テレビ局キャッチコピー考





 古い話でちょっとお間抜けだが、この夏、新潟の山奥で一人廃屋風別荘ライフを満喫していたとき、新潟放送(BSN)という民放をときどき見ていた。
 で、このBSNだが、さかんに自局のキャッチコピーを流している。「なんか変化?」というのだが、そもそもテレビ局のキャッチコピーって一体何なんだろうと考えてしまった。
 で、さっそく編集部の飯村さん(今や赤星たみこ先生の連載に登場し、有名人。「美人」の誉れ高いのだが、不幸にも僕はまだ会ったことがない)に頼んで、東京と大阪の各放送局のキャッチコピーを調べてもらった。
 まずは東京。「Virginから始めよう」(日本テレビ)、「Yes,TBS.」(TBS)、「テレビって、□。」(フジテレビ)、「あります!ドキドキ(ワクワク、キラキラなど別パターン数種)テレビ朝日」(テレビ朝日)、「○チュッ!」(テレビ東京)……というラインアップ。
 対する大阪は「PUSH!MBS」(毎日放送)、「羽ばたくKANSAI飛びたつABC」(ABCテレビ)、「ダッシュ、テレビの果てまで」(関西テレビ)、〈現在募集中〉(讀賣テレビ)、「元気なTV テレビ大阪」(テレビ大阪)だった。
 うーむ、ここでも東西言語感覚のギャップは大きいですな。失礼ながら、「ダッシュ」だの「元気な」だのってのは、もう「死語」です。今さら「地球に優しい」ってキャッチを使うくらい恥ずかしい。いわんや「羽ばたく」「飛びたつ」をや。
 東京も、TBSやテレ朝はもう少しなんとかしてほしいっす。
 ところで、これらのコピーがテレビ局の一種の「決意表明」だとするなら、制作者にこれらのコピーがどれだけ浸透しているんだろうか? 僕は「Virginから始めよう」は結構いいと思っているんだけれど、この秋の改編を見ていても、肝心の番組作りはちっとも初心に戻っていない気がして虚しい。
 また、この手のコピーは、フジテレビが最も得意としていると思うのだが、フジの過去のキャッチコピー集を見ていたら、ありましたありました。八九年秋のキャッチコピー「なんか、変化。秋のフジテレビ」。冒頭でご紹介した新潟放送がこの夏流していたキャッチコピーとまったく同じ。あわわわわ。
 しかも、現在のフジのキャッチコピーは「PUSH」だとか。これはMBSと同じ。おろろ。
 ほんとにみんな、Virginから始めてみませんか? そろそろそういう時期よー。

●近況:

「純文学」とは何ぞや? 久々にK書店の若手女性編集者と文学談義。「私は純文学以外は興味がありません」って言われてしまった。「売れる売れない」論議ばかり聞かされていた昨今、くすぐったいけれどちょっと新鮮なお言葉。


「下品な演出」を考える





 番組のコンセプトそのものはいいのに、演出や構成が下品なために見ていてしっくり楽しめないということはよくある。
『クイズ悪魔のささやき』(TBS系)と『嗚呼!バラ色の珍生!!』(日本テレビ系)の二つの番組は、一般人をスタジオに招き、不幸な体験や境遇を語らせ、賞金(品)獲得を狙わせるという点で同じコンセプトだ。
 しかし、面白さやドラマ性では圧倒的に『悪魔』が上だ。
『悪魔』では、番組進行は古舘伊知郎と和田アキ子の二人だけ。出演者が番組で賞金を得られるかどうかは、スタジオの一般人と出演者本人の才覚にかかっている。だからこそ余計な演出なしで、出演者のキャラクターの妙、珍奇で不幸な境遇のリアリティが生々しく浮き彫りにされ、番組の中で予想外のドラマも生まれる。わがままで転職を繰り返す若い男の不幸話には、観客から「帰れ!」コールが起こり、評価額0万円。同じように大学の部費を使い込んだ女子大生は一万円。太っていて職に就けないという女性がクイズに失敗したときなどは、和田アキ子が真顔で「そんなことでふてくされているから自分の人生が貧しくなるんだ」とお説教していた。
 一方、『バラ色』のほうはといえば、出てくる人々がまず怪しい。クラブのホステス、コンパニオンガールなど、ディレクターが呑んだり遊んだりしたついでに口説いたのではないかと勘ぐりたくなる出演者も多い。体験談もおしなべてインパクト、説得力に欠け、真剣味がない。
 出演者の不幸話、珍体験を評価するのは、ウケ狙い、かき回しを意識しすぎているうるさいタレントたち。それがピンポンだのブーだのとうるさく音を出す。そこには生のドラマが生まれる余地がない。これを下品な演出と言わずして何と言おうか。
 もう一つ、これも日本テレビ系で恐縮なのだが『投稿!特ホウ王国』もコンセプトはいいのだが、ときどき不要な演出でしらけさせられる。リポーターのオーバーさや投稿者が棒読みの台詞を言うことはお約束の愛嬌でよいのだが、例えば、会津若松駅に夕方大量飛来するムクドリの大群をリポートするとき、模型の鳥を使ってリポーターが襲われるというシーンをでっちあげたのはいただけない。鳥の大群=襲われる(ヒチコックの『鳥』)という発想が下品だ。あれを本物と間違えた視聴者も多かったのではないか。また、この番組、最近、ネタも『ズームイン!!朝』のネタの使い回しが多い。制作者は「バージンから始める」精神を忘れずにね。

●近況:

三つ年上の友人の結婚式の媒酌人を頼まれた。しかも、式の一週間前。「よしみつ~、突然で悪いけど仲人やってよ」。普通なら断るところだが、彼にはたくさん借りがあるので、引き受ける羽目に。はてさて、どんな式になることやら



もしA子さんが不美人だったら





 つくばで起きた母子殺人事件は、今年最も長い時間をさいて報道された事件なのだそうだ。
 ところで、たまたまあの事件と同時期に、葛飾区で、借金苦の男性が妻と娘の首を絞めて殺したという事件があった。この男性はその後、塩尻市内のホテルで首を吊って自殺しているのを発見されたのだが、この事件とつくばのN一家の事件と、構造はほとんど同じだ。それなのに報道(特にテレビ)の反応はとてつもない差があった。
 一体、何が違うのだろう?

1)容疑者の男性は[二十代のエリート医師/五十歳の自営業者]
2)絞殺された妻は[美人で離婚歴があり、水商売のアルバイトをしていた/容貌不明だが四九歳] 3)殺された子供は[三歳の娘と一歳の息子/二三歳の娘・大学四年生]……。

 情報量があまりにも違いすぎるので同一条件での比較はできないが、考えようによっては夫(父親)の借金苦のとばっちりで妻や娘が殺された葛飾事件のほうがよっぽど不可解だし、悲劇的な気もする。
 しかし、テレビは葛飾事件には目もくれなかった。殺された四九歳の主婦や二三歳の女子大生の写真が延々テレビに映し出されることもなく、私生活が暴かれることもなく、家の前が報道陣専用オートキャンプ場になることもなかった。
 もしも殺されたA子さん(読み方は同じだけれど、せめて死者へのいたわりを込めての匿名表記)が美人でなかったら、あるいは、夫がいわゆるエリートと呼ばれる人種でなければこの事件はこれほどの異常報道を引き起こしただろうか?
 つくばの殺人事件は、冷静に見れば「ありふれた事件」の一つだと思う。夫婦が憎み合い、挙げ句の果てに一方が一方を殺してしまった。その際、子供が残っては困るので一緒に殺してしまった。報道されている情報が正しく、N容疑者が本当に自供通りのことをしたのだとすればそういうことになる。つまりは、この事件は結婚生活の極端な破綻の形ということだ。殺されないまでも、不幸な結婚というのは世の中にいくらでもある。そして、それこそ「善良なる大衆」の大好きなドラマであり、テレビもそのことを熟知している。だから、過熱報道は送り手、受け手の共同犯罪ですね。N宅の玄関に置かれたお菓子や玩具の山、周辺のゴミの山は、まさにその「下品さ」の象徴だ。
 あの家は借家だそうだが、家主はあの光景をどんな思いで見ているのだろう。最大の被害者は家主さんかもしれない。



あれは「いじめ」ではなく「恐喝」事件だ



 つくばの母子殺人の後は、いじめ自殺。九四年は暗いニュースで幕を閉じた感がある。
 新年早々嫌なことを思い出させるようで恐縮なのだが、あの「いじめ事件報道」というのも、どうにもしっくりしなかった。
 どの番組でも論調は同じ。「いじめられる子にも問題があるという発言はとんでもない」「見て見ぬふりの大人の責任を問う」「彼はこんなに心優しい子だった」……といったフレーズが、合い言葉のように繰り返された。安全パイを握りしめているだけで、少しも問題を掘り下げていないのである。
 そもそも、あの事件は「いじめ」だったのだろうか? 僕は少し違うんじゃないかと感じている。「いじめ」と「悪戯」は結構境界線が見分けにくい。座ろうとするところを椅子を引いたり、持ち物を隠したりといった悪戯を子供時代に経験したことのない人はいないはずだ。しかしこれが、椅子に画鋲を置くとか、持ち物を壊すなどにエスカレートすると「ちょっとやりすぎじゃないの?」となる。さらには、悪戯行為そのものではなく、ある特定の相手を陰湿に追いつめていくというサディズムを喚起する行為に発展していくと、明白に「いじめ」と呼べるのだろう。
 そう考えた上で、あの事件を見てみると、あれは「いじめ」ではなく、恐喝という「犯罪」ではなかったのか? 自殺した子が困り果てたり阻害されたりするのを見るサディスティックな喜びよりも、金を取るという目的のほうが先行していたように見えるからだ。ならば、はっきりと「少年犯罪」として論じるべきだろう。警察が介入しにくい学校内での未成年者犯罪をどう防止していくか、犯罪行為を学校というシステムがどう取り締まっていくかという問題なのだ。そういう論点で事件を報道、解説した番組は少なかった。
「いじめバスターズ」を名乗り、いじめグループを告発する運動をしている元いじめられっ子の父親が引っ張りだこだったが、彼に「一つの論理」を代弁させることで、番組制作側は安全な観客席に逃げ込んでいた。
「いじめ対策マニュアル」を、コミカルな芝居仕立てで「テレビ化」した番組もあった。テレビマンの哀しさを見た思いがした。そこまで冒涜するくらいなら、いっそこんな企画を一つくらい実現してほしかった。「わが子がいじめを"している"側だと知った親の告白」「金を"巻き上げていた"子供たちの親たちによる覆面討論会」。そこまでやって初めてテレビの意義もある。


■近況■

 野生の山芋(ジネンショ)を貰った。調子に乗って一本まるまる食べてしまったら、大変。腹痛でダウン。腸内異常発酵でガスが逆流した感じ。なにごともほどほどが肝要ですな。でも、まだ一本残ってる。うまいんだな、これが。



この当時に書いた小説。原題は『天狗の棲む地』(マガジンハウス)↓


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