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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ』 2001

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 2001年掲載分




犯罪事件報道に情 緒的解説は不要

 世紀が変わっても「世紀末」的な犯罪事件は後を絶たない。
 ところで、以前から違和感を感じているのだが、犯罪に対して、犯人の生まれ育った環境や職場での様子がどうのという報道って、どれだけ意味があるのだろう?
 何のためらいもなく人を殺す少年は、たいてい「普通の家庭」に育ち「優しくて目立たない子」だ。そのほうが意外性を持ったニュースになったのは昔のことで、今はそれがあたりまえ。点滴に筋弛緩剤を入れた看護士は、職場の給与待遇に不満を持っていたという。でも、それが犯罪の動機分析につながるのか?
 有名女優の息子が覚醒剤所持で二度逮捕された。二度目は成人になってからだ。女優がその息子をどう育ててきたかなんて関係ない。逆に、かの女優は「おまえのおかげで私は仕事が減り、大損害を被った」と、息子に損害賠償を求めてもいい。相手は子供ではなく、成人なのだから。
 山口の母子強姦殺人事件では、残された夫が、未成年の犯人に厳罰を求める姿勢が大きく報道されたが、かつての女子高生ドラム缶詰めリンチ殺人では、未成年の犯人に対する処罰の甘さが、最後はうやむやにされた感がある。遺族が強くアピールすれば、もっと報じられたのだろうか?
 犯罪に対しては、客観的な事実だけを淡々と並べてくれたほうが、視聴者は現代社会の実相を正確に見ることができる気がする。情緒に訴える要素が増えると、逆に「裁くシステムの欠陥」なども見えにくくなるのではないか。

 
■近況
 一月末に小説の締め切りがあり、気持ちの休まらない年始を過ごした。「魂はアナログ、手段はデジタル」がモットーだが、アナログの部分がどんどん浸食されて、デジタルストレスばかりたまるなあ。
(01/17)

「週刊ストーリーランド」の不思議


 前々回で、「不必要なゲスト」のことを書いたけれど、ほんとに、なんでゲストが必要なの? と思える番組が多い。『どうぶつ奇想天外!』(TBS系)なんて、動物だけ映していればいいしねえ。
 で、その最たるものは『週刊ストーリーランド』(日本テレビ系)ではなかろうか。しかし、この番組、「いらないゲスト」以前に、番組自体が非常に不思議な代物だ。
 基本的にはアニメなのだが、内容は子供相手とも思えない。『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)的なネタや、『日本昔話』的なネタ、あるいは創作落語みたいなネタをアニメにしてオムニバス形式でやっているんだけれど、なぜアニメなのかが分からない。
 江戸小咄みたいなものは、落語家が落語でやったほうがずっと面白いし、『奇跡体験!』的なネタは、きちんとショートドラマにして、かつての名SF番組『ミステリーゾーン』(原題は『トワイライトゾーン』)のようにすればいい。
 思うに、今の若い世代(この言葉が出ると、オジンだっていう証明なんだろうけど)は、アニメじゃないと見ない、ちょっとでも長い話は飽きる、難しい演出しても意味を汲んでくれない……ということを、番組制作者が熟知しているんだろう。だから、本来の形(ドラマや落語)ではなく、安っぽいアニメ仕立てにして提供する。しかも司会(!)やゲストまで出てきて「これって面白いよね」なんて代弁させている。つまり「感想文」も代筆させているわけだ。
 考えさせられるなあ……。

 
  ■近況
書き下ろし小説脱肛、じゃなくて脱稿。その前に『テキストファイルとは何か? ~知らぬで済まぬ電脳社会の常識』(地人書館)が出る。地味だけどお勧め。3月1日発売。さて、いよいよCDに着手……できるのかなあ……。
(01/01/31)

天才を生かすも殺すもTVなり


 高橋尚子選手が五輪陸上史上初の日本人女子金メダル(男子を入れても、戦後では初)を取ったのは確かにすごいことだ。でも、その後のマスコミ、特にテレビの「高橋報道」は異常だよね。
 例えば、2月4日に行われた丸亀ハーフマラソンは、高橋選手の「五輪後初レース」ということで注目を集めたが、その夜のニュースはどこも、「高橋は8位」「結果に満足」「笑顔でゴール」などと報じるばかりで、このレースの優勝者が誰かということさえ伝えなかった。まさかNHKは……と思って『サンデースポーツ』を見たら、やっぱり優勝者が誰かを伝えていない。
 ちなみに優勝したのは、一般女子の部は永山育美(デンソー)で1時間9分28秒、男子は野口英盛(順大)で1時間2分28秒。どちらも平凡な記録だけれど、やはり一言も言わないというのは優勝者に失礼だろう。
 それに、高橋に注目している一般視聴者としても、「高橋より速く走った7選手」が誰かを知りたいはずだ。
 その次にQちゃんが登場したのは2月18日の青梅マラソン。このときは女子30kmの部で1位。ニュースでは「日本最高記録」と騒いだが、これは単に、公式種目に30kmロードレースというのがないため、一流選手の記録が残っていないだけのこと。1時間41分57秒というのは、フルマラソンに換算すれば2時間23分台で、高橋のフルマラソン自己ベストに及ばない。テレビの情報に振り回されるQちゃんと視聴者は、同じ被害者かも……。

 
■近況
小説脱稿した途端、出版社が年内出版点数大幅見直しとかで暗雲立ちこめまくり。どこも不景気な話ばかりで滅入るけれど、腐らずに続けていくしかないな。とりあえず『テキストファイルとは何か?』(地人書館)をよろしく。
(01/02/13)

スポーツ選手報道バブル現象の責任


 あるニュース番組で、かつてのJリーグの顔だった前園真聖選手が、半年400万円という年俸で古巣のベルディ川崎に戻ってきたことをドキュメンタリー番組風に報じていた。98年の移籍のときは移籍金3億5000万円。その凋落ぶりを番組にしたわけだが、こうしたスポーツ選手の「転落物語」を生み出すのは、他ならぬテレビではないか?
 次の「転落物語」主人公になりそうな筆頭は、阪神から米大リーグニューヨークメッツに渡った新庄選手だろうか。
 スポーツ番組での新庄追っかけ報道はちょっと異常だ。日本ではそれほど飛び抜けた活躍をしていたわけではないのに、同じ野手として大リーグ入りしたイチローより時間を割いているほどだ。
 インターネットで「緊急投票!! 新庄の米大リーグ移籍をどう思うか」というアンケートをやっているサイトがある。「活躍するだろう」が31%、「すぐには無理だがいつかは」が21%、「頑張っても芽は出ない」「すぐ日本に帰ってくるさ」「阪神でぬくぬくやってたほうがよかったのに」「引退してタレントに出おなったほうがいい」という否定的意見が合計48%で、ほぼ半々に分かれていた。新庄過熱報道というのは、潜在的「転落物語」主人公を作り出すための罠なのではないか…と思うのはうがちすぎか?
 それに比べ、まだ大リーグで頑張っている偉大な先駆者・野茂英雄投手の報道がまったくと言っていいほどない。伊良部や長谷川の報道もない。
 これはやっぱりおかしいんじゃないの?


 
■近況
昨年春に出した『ワードを捨ててエディタを使おう』(SCC)が、めでたく完売で、急遽改訂版を作っている。出たばかりの『テキストファイルとは何か?』(地人書館)も好調。こういうご時世だから、小説よりお勉強系が売れるのかなあ。
(01/02/20)

ニュースより力のあるドキュメンタリー


 有明海の海苔不作で、再び諫早湾干拓の是非が問われている。干潟の生態系が破壊されるときには阻止できず、何か「生産物」や「収穫物」に被害があると身体を張った運動が起きる。このへんが人間の「叡智」の限界なのだろう。
 恐らく海苔不作には、熊本港の工事や筑後大堰など、いくつもの要因があるのだろう。
 報道されないが、生活排水による水質汚染も無視できない。合成洗剤やシャンプーに含まれる化学物質が水生微生物を殺すため、栄養塩の分解がうまくいかない。しかし、洗剤メーカーはテレビの巨大スポンサーだから、合成洗剤を悪玉にする報道はされない。
『ザ・ワイド』で司会の草野仁が、「襟裳の海を蘇らせるために、砂漠化した浜に木を植えた地元民の記録を見た。とても示唆に富む番組だった」と発言した。この番組はNHKの『プロジェクトX 挑戦者たち~襟裳岬に春を呼べ』のことで、私も見たが、素晴らしい番組だった。昆布が茶色くなって収穫も減った襟裳の海を蘇らせるために、伐採した海岸の林に再び木を植えた人々の壮絶な記録だ。
 ニュースでは、海苔が変色した、採れなくなった、水門を開けろ、いやもっと調査を……など、表層的なことしか言わない。自然から恵みを受けている人間が何を学ぶべきかという、一番大切なことが伝わってこない。ニュースよりも、優れたドキュメンタリー番組のほうが真実を伝えるのだと言いたかった草野氏。この発言に「スーパー仁くん」人形をあげたい。


 
■近況
ネットでファイルを公開している小説『黒い林檎』を、100部限定本として制作。実際に通販されるのはその半分くらい。通し番号付きで注文順に発送し、売り切れと同時に終了の予定。詳しくは文藝ネット(http://bungei.net)で。
(01/03/13)

夢より刺激の時代マリックさんも?


 Mr.マリックといえば「超魔術」という言葉を発明し、一世を風靡した日本を代表する一流マジシャンだ。
 マジックと超能力ブームを融合させたアイデアもさることながら、彼の卓越した技術にみんなが圧倒された。
 一時は他のマジシャン(もどき?)によるネタバラシ本が出版されたりもしたが、一流芸人に無名の芸人が嫉妬している図にしか見えなかった。
 そのマリックさんが、最近では自分からマジックの種明かしをしている。『オフレコ』(TBS)では、特番も含めてすでに二回、種明かし特集をやっている。
 これって、僕にはちょっと複雑な思いだ。マジックナポレオンズやマギー志朗は、種明かしも一つの「芸」にしているけれど、マリックさんはあくまでも「超一流」であり、孤高の世界を突き進むイメージがあったから。
 実は、一時期、天才マジシャンを主人公にした読み切り小説を書こうとしていたことがあり、マジックの番組は片っ端からビデオに録画して、繰り返し見ていた。おかげで、デビッド・カッパーフィールドやマリックさんの十八番のいくつかも、しっかり種が分かってしまった。
 例えばマリックさんが種明かし特番でも「これは秘密です」と言っていたお札にボールペンを突き通し、引き抜いても穴がないというマジック。以前に録画して、スロー再生でしっかり種を知ってしまった。でも、もちろんここでは書かない。夢は夢のままがいいと思うから……ネ。
 
 
■近況
今年は三月のうちに庭の桜が満開になってしまった。こんなことは初めて。あんなに寒い冬だったのに、変だ。年末からずっと忙殺されていて、旅行にも行けない。春が来たといううきうき気分が味わえないのは不幸だなあ。
(01/03/28)

モザイクも仮名もない「死の記録」

 かつて、リストカッター(手首きり常習者)界のアイドルと呼ばれる少女がいた。「南条あや」という名前でWEBの世界で有名になり、日記の愛読者がたくさんいた。
「公式」サイトというものもある(http://nannjou.vis.ne.jp)。彼女は99年3月30日に、薬を飲んで突然死んでしまう。本気で死ぬつもりだったのかどうかは分からない。飲んだ薬の量は一般的には致死量ではなかったが、度重なる手首切りのせいで、心臓がかなり弱っていて、耐えられなかったらしい。
 彼女の日記は、昨夏、新潮社から出版もされた。
 4月10日、NHK教育『にんげんゆうゆう』に、彼女の父親が出演し、死んだ娘のことを淡々と語った。
 印象的だったのは、この番組では南条あやの本名である「鈴木純」を使い、生前の写真なども、ぼかしなしでそのまま映していたことだ。
「公式サイト」では、本名や顔は隠されている。それが今でも彼女を一種アイドル化させているところがある。
 番組では、父親と娘との関係という視点でまとめていたため、WEBで得られる情報とはかなり印象が違っていた。どちらが実像に近いのかは分からないが、この番組を見ることによって、WEBでの「南条あや」は、相当神話化されていたのではないかと気づいた。日頃、あまりにも演出過多の番組や情報に慣れすぎてしまっているので、たまに「事実を映像で知る」体験をすると、逆に不思議な気がしてしまうらしい。皮肉だ。
 
■近況
本を作ってみた。今まで本は「出してもらう」ものだったが、初めて自分の手で本というパッケージにしてみた。これもデジタル技術のたまものなのだが、気持ちは複雑。詳細は文藝ネット(http://bungei.net)で。
(01/04/10)

「爆笑オンエアバトル」改善委員会


 お笑い芸人のまともな芸を見せる番組がほとんどなくなってしまった現在、NHKの『爆笑オンエアバトル』は非常に貴重な存在だ。
 テレビには出たくないと言う異才コンビのラーメンズ、着実に力を着けていくアンタッチャブル、ライターとしての才能を磨いているドランクドラゴンの塚地武雅やバナナマンの設楽統などなど、注目したい人材をあまた輩出している。しかし、このところ、この番組も大きな壁にぶつかっている気がする。
 ひとつは採点の不透明さだ。第3期くらいまでは、それほど感じなかったが、このところ「なぜこれがオーバー500キロバトル?」と疑問を感じるようなシーンが続出している。落ちているのが実力派と分かっている芸人たちだと、ますます疑惑が深まる。
 審査員の公募は、特定グループのファンが大量に紛れ込むことを阻止できない。年齢層も10代が多く、そろそろ方法を考え直す時期だ。
 次に、視聴者が分からない部分での「編集」。ベース1本で歌う「はなわ」は、毎回頭の1分をカットされているらしい。サービスパンダなどもかなりカットされることがあるようで、これが規定時間オーバーのためなのか、内容に不都合があるためなのか不明。
 せめて、カットした場合は、テロップで断るなりしてくれないと、視聴者は芸を正確に評価できない。
 改革案の1つとして、全出場者の全演技を、深夜枠やBSなどで放送するなどを検討したらどうだろうか。



■近況
忙しいまま春が終わろうとしている。ベランダで生まれたキジバトの雛も巣立っていった。仕事があるだけいいとみんな言うけれど、忙しさの質が問題。しかしまあ、少しずつ、前に進んでいる気はする。

(01/04/18)

警察の報道発表にひそむ落とし穴!?


 先日、佐賀県伊万里市で25歳の男性理容師が自室で刺殺されるという事件があった。
 遺体は頭部を殴られた上、背中を刺されていて、女性と一緒に写っている額縁入りの写真と、女性の筆跡で恨み言が書かれたメモも残されていた。遺体から流れ出した血が階下にまでしみ出したというシチュエーションも、まるでミステリードラマのようで、ニュース番組よりもワイドショーで大々的に報道された。
 一週間後、長崎県に住む26歳の元土木作業員が容疑者として逮捕されたのだが、不思議なのは、逮捕に至った理由が報じられていないことだ。容疑者本人は犯行を否定しているそうだから、決定的な証拠があっての逮捕のはず。
 残された女性の写真や刺身包丁は捜査攪乱目的のものなのだそうだ。警察は「事件の真相は、今後の調べで本人から確認していきたい」としか発表していないようだが、その程度で逮捕できるのか?
 なぜ逮捕に至ったのか? 事件の真相がどうであれ、まずそれが知りたい。ところが、テレビでは、容疑者の生い立ちなどを報道するばかりで、事件の真相究明には言及しない。松本サリン事件での河野さん冤罪の教訓がまったく生かされていない。オウム事件以降、すっかり「テレビの人」となった有田吉生氏までが「逮捕したからにはそれなりの理由があるはず」などと言っている始末。「それなりの理由」を追うのがメディアの使命だし、その理由が見つからないなら、報道の仕方も考えるべきではないのだろうか。
 
■近況
連休中は新潟にいたが、CSでミステリーチャンネルが無料開放されていたので結構見てしまった。なぜかイギリスのドラマが多い。イギリス作品は暗いわね。人間描写中心で、謎解きは度外視。日米の娯楽とは全然違う世界。好きだけど。
(01/05/05) 


これこそ真の報道 NHKスペシャル


 前回、報道番組やニュースが、警察発表などの表面的な部分しか報じないことを批判したが、NHKにはまだ報道の魂が残っている。
 報道番組は、娯楽番組とは目的を異にするものだ。人気がなくなれば用なしというものではない。『NHKスペシャル』などのNHKのドキュメンタリー番組は、事件や事故が人々に忘れかけられた頃に、「その後」の詳細な取材に基づく報道を行うパターンが多い。これこそが真の報道番組ではないだろうか。
 例えば、5月13日に放送された『NHKスペシャル 東海村臨界事故被ばく治療の記録』はすさまじい内容だった。
 番組の冒頭で、作業員・大内久さんの体内細胞拡大写真が映し出される。DNAが滅茶苦茶に破壊され、もはや細胞が再生しないことが説明される。人間の細胞は絶えず老いていき、死滅し、新しい細胞に置き換えられる。新しい細胞を作る設計図であるDNAが破壊されるということは、例えば皮膚は、表面の細胞がじわじわ死んでいくだけで、次の新しい皮膚ができない。皮膚が剥け、ただれていくのを見守るしかない。これほど残酷な拷問があるだろうか?
 大内さんは被ばくした瞬間、死を宣告されていた。病気や怪我と違って、細胞が再生しないのだから、治りようがない。それを承知でひたすら延命処置だけをした「医療」行為は、どう説明がつくのか?
 大内さんの死の裏にある重苦しい現実を教えたこの番組は、本当に必要な報道番組の好例と言えるだろう。
 
 
■近況
文藝ネット限定本シリーズ第二弾『鬼族(きぞく)』が出来上がった。百部限定。第一弾の『黒い林檎』は、商業出版のめどが立ってきた。地味ながら「本」をめぐる戦いは続くのだ。詳細は文藝ネット(http://bungei.net)で。
(01/05/23)

英国と米国、なんでこんなに違うの?


 このところBSやCSを中心に海外のミステリードラマやコメディばかりを見ている。ミステリーだけ拾っても、『主任警部モース』(NHKBS11)、『フロスト警部』『ミス・マープル』(CSのミステリーチャンネル)などなど。で、なぜかこれらは全部イギリス作品だ。
 共通点は、これでもかと言うほどの人間描写。主人公も分かりやすい正義の味方ではなく、上司や同僚とねちねちした駆け引きをし、様々な人間的な弱みを抱えている姿が描かれる。犯人像も複雑に鬱屈していて、犯罪の裏側がリアルに浮かび上がる。結末は救いがたいほど暗く、「こんな終わり方でいいのかよぉ」と突っ込みたくなることも。
 特に感心するのは、役者がみんな「それらしい」こと。美男美女はほとんど出てこない。医者は医者の顔をしているし、暴力犯は暴力犯の顔をしている。役者の層が厚く、番組ごとに念入りなオーディションをしているのだろう。
 これがアメリカの作品だと、美男美女が現実味のない役をこなし、派手なアクションシーンかエロティックなシーンをはさんで、そこそこハッピーエンドで終わる。
 日本のドラマは完全にアメリカ型だ。初めにスターありき。主人公は必ず美男美女。脇役も同じ顔ぶれ。だから、医者や刑事がそれらしい顔をしていないし、人間描写も薄っぺら。人によって好みは別れるだろうが、イギリスのテレビ作品には、日本が忘れてしまった大切なものがたくさんあると思うなあ。

 
 
■近況

忙しくてストレスが溜まるばかり。今、校正している本のタイトルはまさにその『デジタルストレス』というもの。いかにストレスから解放されるか……現代人共通のテーマだろうね。
(01/06/06)

メディア誘導型報道の裏にあるもの


 田中真紀子外相更迭論が、新聞やテレビ番組で吹き荒れている。私の大学同級生である某大新聞の論説委員は、ある酒の席で「田中真紀子は危険だ」と主張していた。まだ、アメリカのミサイル防衛構想がどうのというニュースが出てくる前のことだ。こちらから訊いたわけでもないのにそうした主張を始めることに違和感を感じていたら、その直後から、その新聞社をはじめ、系列テレビ局も一斉に真紀子バッシング報道を始めた。まるで、メディアを仕切る「上層部」が一斉に指令を出したかのような印象を受けた。
 他局の番組では、田中外相擁護派として名乗りを上げた田中康夫長野県知事と石原慎太郎東京都知事が「代理戦争」を始めたなどと報じた。石原都知事の「他国から足下をすくわれることになりかねない」というコメントを繰り返し流して、都知事が真紀子降ろしを始めたかのような印象を与える。しかし、その前の発言を聞くと、「パニックになったとか3時間しか寝ていないなどと軽々しく口にするのは……」と言っている。そういう言動は外相としては軽率だと言ったわけで、これは一般論に近いコメントともとれる。
「国益」とはなんだろう。国民の利益・権益という意味なら、税金を使う組織(国家機構)の根深い利権死守体質を変えることこそ、この不況の時代に最も求められている「国益保護」ではないのか。
 メディアの田中外相バッシングの裏に何があるのか、国民は十分注意して見極めなければならないだろう。
 
 
■近況

母校の上智大学で非常勤講師として何回か授業をすることになった。ついこの間、学生として歩き回っていたキャンパスに講師として足を踏み入れることになるとは……。卒業から四半世紀が経ってしまったのねえ。
(01/06/19)

どうなってるの? 番組総CM化現象

 視聴料を払っているCSやWOWOWでCMがばんばん流れるのはどういうことか?
 と憤っている昨今なのだが、地上波民放はもっとひどい、番組自体がCM化している。
 ニュース番組で「今、都内のマンションが安い!」という特集を組んでいるとする。土地が借地権のため安くなっているこの新築マンションが狙い目! なんてことを住宅情報誌の編集長が勧める。見終わった後、なんだ、要するに不動産広告を見させられただけじゃないのかと気づく。
 ネタも使い回しが多い。ここ数か月で、回転寿司店の紹介をどれだけ見たことか。違う局で、同じ寿司屋の紹介を1日違いでやっていたりする。
 痩せる、若返る、健康維持なんてテーマも、ほとんど企業CMを見せられているのと変わらない。整形美人ネタも多いけれど、ほとんどは××病院か△△△形成外科とのタイアップ番組だしなあ。昔は、整形に失敗して悲惨なことになったという特集もあったけれど、最近はまず見ない。
 あと、「部屋を片づけられない女性」というネタも多いね。うちなんかあれが普通の状態だから、なんの驚きもないんだけれど、「まあ、なんてがさつな女なんでしょ」と、女性視聴者たちに優越感を与えるのが目的なんだろう。こういう不景気な時代だと、しょーもないことでも自分のほうが「上」だと感じさせる手法が有効なのかな。
 で、最後にはプロの「お掃除隊」が登場し、1回○万円でお掃除してくれます……。ん? これも広告かぁ?
 
■近況

10月に久々の小説が出ることになった。『黒い林檎~The Secret of Black Farm』(河出書房新社)。執筆してから3年くらい経っている。さっき最終入稿が終わって、ゲラ待ち。http://bungei.net/ringo/で情報発信の予定。
(01/07/04)

古舘vs久米の次期「業界王」争奪戦?


 テレ朝独占中継の世界水泳でイアン・ソープが出場する個人種目の実況中継を古館伊知郎がすることになり、そのPRを兼ねて、開催直前の「ニュースステーション」に古舘がゲスト出演した。
 この日のニュースステーションは、異様な雰囲気がびしばし。なにせ、テーブルの真ん中には久米宏ではなく、古館伊知郎が座っている。その隣では久米宏が、やりにくそうに、また、牽制気味に古舘にときどき話しかける。
 古舘は「今日は久米さんの(ニュースステーション)去就問題にも切り込みたい」などとジャブを放ち、久米はそれをさらりと受け流す。
 二人とも、民放のバラエティ系アナウンサーから独立して、業界内でのステータスを上げていったという共通点がある。社会や政治への意識の高さでも、古舘はワンマントークショーなどを精力的にこなすなど、久米に負けない。
 この二人が並んだ図を見て、「ああ、久米宏の後は古館伊知郎があの席に座るのか」と、漠然と予想した視聴者も多かったに違いない。
 カメラが離れて、キャスターの席が後方に引いても、古舘は無言でカメラを睨み据え、久米はそれを無視するかのように横を向いている。結局、最後まで、仕掛ける古舘を久米が受け流すという構図で、二人が「激突」するシーンは見られなかった。でも、その温度差がまた、視聴者にはひとつのメッセージになっていたのかもしれない。それも含めて、番組制作上層部の意図的な「仕掛け」なのかな?
 
 
■近況

10月発売の小説『黒い林檎』(河出書房新社)が、書店・メディア向けプレリリース版を出すことになった。WEBでの公開版、文藝ネット制作のプレリリース版、出版社制作のプレリリース版と、3つの段階を経て発売へ。珍しいケースだろう。
(01/07/25)

あんまりだ! TBS世界陸上中継


 世界陸上の中継が、TBSの独占になると知り、また例の意味のないタレントのコメントや絶叫型中継につきあわされるのか……と脱力した。
 TBSの某女性アナは、4年前の大会後、某FM番組の中でこう述懐していた。
「スポーツ実況というものは、スポーツがメインである限りアナウンスが目立ってはいけないと思うんですが、今回の世界陸上に関しては、『エンターテイメントと割り切る』という局の方針で、絶叫しながらアナウンスをしました。局からは『方針通りにやってくれた』と誉めてもらえましたが、後でビデオを見ると、まるで違う自分のようでした」
 なるほど。視聴者はここまでばかにされているのだ。
 今回の中継では、多すぎるCMに加え、織田裕二と中井美穂のコメントを入れるたび、中継がずたずたに寸断された。
 女子マラソンの古館伊知郎の中継にしても、2位になった土佐礼子選手を評して、「レレレのおじさん走法」「走る純文学」など、あらかじめ用意していたのであろうキャッチコピー?を連発していたが、視聴者は完全に飽きている。為末選手が400m障害で3位に入ったとき、解説席にいた井上悟が叫んだ「行けー! 粘れ! 粘れ!」のような、心から出た本物の言葉にこそ感動させられる。
 あまりのひどさに、私はついにBSデジタルチューナーを買ってしまった。BS-iでやっていた織田・中井なしの中継を見るためだ。もしかして、これってBSデジタルを普及させる陰謀なのか?
 
(01/08/16)

フジらしさが残る『宝島の地図プロフェッショナル』

 前回書いたようないきさつで、BSデジタルチューナーを買った。いろいろ見て回って、目下、一推しはNHKハイビジョンの『爆笑オンエアバトル・パーフェクトライブ』だろうか。以前、このコラムで「完全版」を見たいものだと書いたら、「ハイビジョンでやっていますよ」と教えてくれた読者がいた。ようやく見られて幸せである。しかし、なんでハイビジョン? NHKはハイビジョンの位置づけをどう考えているの?
 次に推せるのが『宝島の地図プロフェッショナル』(BSフジ)で、「面白かった頃のフジテレビ魂」をそのまま継承している。
 かつて「フジでしかできない番組」というのがあった。深夜枠でやっていた『いとしのパブリオ』とか『カノッサの屈辱』。あるいは子供番組のふりをしていた『うごうごルーガ』などなど。
 キッチュな笑いやナンセンス、知的遊びを追求したこれらの番組は、一般に受けることはないが、一部に熱烈な理解者も生まれる。番組名についている「プロフェッショナル」には、そんな意味合いが込められているのだろう。
 最近のフジテレビには「分からないやつは放っておけばいい」という開き直りが失われていて、寂しい限りだったが、少しだけ安堵した。
 BSデジタル放送は、当初の普及予想を大きく下回っているというが、下手にこびることなく、いい意味での開き直り精神を持続させてほしいものだ。テレビという「文化保護」のためにも……ね。
 
(01/08/27)

『プロジェクトX』は、番組自身が発明

   私と同年代(40代)の男性に圧倒的な人気を誇る番組がある。NHKの『プロジェクトX 挑戦者たち』だ。戦後日本の激動期の中で、様々な「挑戦」をし、見事な結果を出してきた人々の業績を伝える番組。飲み会などでも、
「最後、社長の遺体を乗せた霊柩車が、工場の人たちに見送られるシーンは泣けたぜ」
「あそこなぁ、俺も涙が止まらなかったよ」
 などとやたら盛り上がる。
 私個人の趣味では、「広辞苑」を編纂した父子の話が好きだった。苦労して作った原稿が全部空襲で焼けたという話などは、ドラマを見ているようで、思わず引き込まれた。
 しかし、やはり「企業もの」のほうがサラリーマンには絶大な人気がある。VHSビデオの規格を作ったビクター、自動改札機を開発したオムロン、液晶ディスプレイを開発したシャープ、クオーツ腕時計を実用化したセイコー……。
 ライバル会社の社員が見たら「けっ、やたら美化しやがってよ」とケチがつきそうな演出が人気の秘密だろう。
 中島みゆきの主題歌も、私はまったく趣味ではないのだが、あのクサさがよい方向に働いているのかもしれない。飲み屋で盛り上がったときに歌いやすいし(汗)。
 スターではない人たちを主人公にして、ドキュメンタリーの形を借りながら、実は感動ドラマに仕上げる。そう、『プロジェクトX』は、NHKが生みだした「発明品」なのだ。『プロジェクトX』を作った人々の『プロジェクトX』も見てみたい。
(01/09/10)

今度こそ情報操作にだまされまい

 
 湾岸戦争のとき、油まみれの海鳥の映像が世界中に流れた。イラクは地球環境を破壊するテロリストだという論調が、またたくまに世界中に拡がった。後に、あれは「やらせ」だったという疑惑が持ち上がったが、そのときはもう、「スターウォーズ」と評されたミサイルぶち込みショーが大方終わった後だった。
 今回のアメリカの同時多発テロをブッシュ大統領は「戦争だ」と言ったが、戦争とテロの境界線はどこにあるのか。
 アフガニスタンという国は、すでにボロボロで、何もしなくても毎日人がどんどん死んでいる。地雷だらけの国土には農作物も育たず、栄養失調で動けない病人や、地雷や内戦で手足をもがれた障害者たちが苦しんでいる。しかも、アフガン人は今回のテロとはなんの関係もない。そんな国に爆弾を落とすことを「戦争」だと言えるはずがない。
「要するに武器商人や一部ハイテク産業が在庫一掃セールをしたいんでしょ」と指摘する人は多いが、テレビの画面には絶対に出てこない。
 事件の直後、日本テレビの『ザ・ワイド』で、某大学教授(中東問題専門)が「今回の事件をウサマ・ビン・ラディン氏が命じたとは言い切れない」と発言した。貴重な見解だと思ったが、案の定、その後は呼んでもらえなくなった。タリバン政権をテロリスト集団と同一視した報道が繰り返される一方、アメリカが今まで中東やアフガンに対してやってきたことは解説されない。……そう、これは確かに情報「戦争」なのだ。
 
(01/09/19)

アフガン空爆への発言は踏み絵か?


 ついに米軍+αによるアフガンへの空爆が始まった。
 例の「同時多発テロ事件」は、未だに誰も犯行を表明していない。となれば、これは米国内での刑事事件であり「戦争」ではない。するべきことは犯人を特定し、事件を解明することであるはずだ。
 テレビ報道の外側では、様々なコメントが存在する。
「見えざる相手を、確定された過去の『悪』『敵』のイメージに重ねる修辞を弄することで、自己を永遠の『正義』として聖別し、報復的暴力を正当化することができると思い込む」(今福龍太札幌大教授 朝日新聞9月17日付)
 しかし、テレビの中で、こうした発言を聞くことは極めて難しい。やくみつる氏は、小泉首相の「変化に対応しない人間は滅びる」という国会での所信表明に対して「日本は島国なんだから、ガラパゴス島のように、他国とは一線を画して特化した対応をすればいい」と発言した。日頃、プロ野球ネタなどでおちゃらけた役を演じてはいるが、いざとなれば根性を見せる。苦しい状況の中で、よく頑張った。感動した。しかし、それ以上は振ってもらえない。
 市川森一氏あたりも、発言の場をなかなか与えてもらえない感じだ。下手なことを言えば、テレビの世界から消されてしまうかもしれない。当然、彼らは葛藤しながら、必死に言葉を選ぶことになる。
 一方で、あたりさわりのない空虚な言葉を並べるだけの修辞型コメンテーターは重宝され、勢いづく。……本当に嫌なご時勢になったものだ。
  (01/10/09)

BSデジタルを本気で育ててほしい


 我が家では現在、地上波の視聴率が激減し、CSとBSデジタルがざっと8割以上だ。
 ところで、CS、BSでは、オリジナルのプログラムは極めて少なく、ほとんどは大昔の番組の再放送や映画、ビデオソフト、あるいはテレビショッピングもどき。オリジナル番組は数えるほどしかない。
 しかも制作費は「1分1万円」などと言われている。つまり、30分番組を作るのに30万円しかかけられない。1回百万円のギャラを取るタレントの起用は論外だし、ロケや取材も難しい。
 こうした壁はある程度制作側の工夫や努力で補える面もあるが、ついていけないのは放送局のBS、CS軽視の姿勢だ。番組表に載っている番組が放送されないことは日常茶飯事。一時間ずつずれて放送されているときもある。これではビデオの録画予約はもちろん、計画的な視聴はほぼ不可能だ。
 例えば、毎週欠かさず見ている『爆笑オンエアバトルパーフェクトライブ』(NHKハイビジョン)は、かなりの確率で突然放送がなくなる。
 それも、どこかで大地震が起きたとかアフガンの空爆が始まったというような突発的なニュースなどに差し替えられるならまだしも、どうでもいいような番組に差し替えられるのだからたまらない。
 放送局はBS、CSというメディアを本気で育てる気があるのだろうか? ハイビジョン画像の解像度をアピールするより、まずはまともに番組を「安定供給」していくことが先決だろうに。

(01/10/23)

アフガンからの証言者をTVに!


『オフレコ!』(TBS)で、カナダのテレビ局が制作したアフガンレポート番組を流していた。それを見ると、タリバンは極悪非道なサディスト集団で、アフガンの女性たちの人権を奪っているとしか思えない。この番組だけでなく、今、日本のテレビメディアで流れているアフガン報道を見る限り、タリバン=テロ集団のように思いこまされている日本人がたくさんいるはずだ。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 カナダの番組に頼らずとも、アフガニスタンの実情を知っている日本人はたくさんいる。NGO組織ペシャワール会の医師で、18年間アフガンの人たちに医療活動を行ってきた中村哲氏。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)カブール事務所所長の山本芳幸氏。同じくカンダハール事務所の弁務官・千田悦子氏……。しかし、彼らの生の言葉をテレビを通じて知るチャンスはほとんどない。現場をいちばんよく知っている日本人がいるのに、なぜ紹介しないのか。
 テレビ局の怠慢? それとも「何か」を怖れてのこと?
 現場を見ている日本人たちは、少なくとも「タリバンはテロ集団だから根絶やしにして当然だ」などということは言わない。日本でのアフガン報道がいかにおかしいかも指摘している。
 作家の池澤夏樹氏が、9月11日のテロ事件以降、インターネットのメールマガジンで毎日発言している。首相のメルマガなどよりよほどお勧めしたい。(http://www.impala.co.jp/oomm/index_i.html)
(01/11/08)

こんなときだからこそ 寄席に行こう


 友人の林家しん平師匠から、先日久しぶりに電話がかかってきた。彼が電話してくるときは、決まってパソコンがトラブったとき。案の定だった。
 で、そのとき結構長話をしたんだけれど、芸人さんもこの不況には勝てないらしい。地方の営業ががくっと減って、収入が確保できないと泣いていた。その反面、寄席に少しずつ客が戻ってきているんだとか。今までは平日の昼間などは出演者の延べ人数のほうが客よりずっと多いという状況が珍しくなかったのに、今はスーツ姿の中年男性客が目立つんだってさ。
 リストラされたものの、家族には言い出せなくて、出勤するふりをして寄席に来ているのかも。あるいは職安(ハローワークっての? けっ)の帰りに、暗い気持ちを癒すために立ち寄るのかしら。
 で、思うに、こんな時代だからこそ、何の演出も加工もない、寄席の番組を増やしたらどうだろう。定点カメラ1つで撮影し、編集もしないなら、制作費だってそんなにかからないはず。CSやBSデジタルなんかには向いているんじゃないかしら。
 特に落語は、BGM代わりにしていてもいいもんだよ。爆笑はなくても、含み笑いが生まれる古典落語の世界などは、今の世相にはぴったり。
 古い寄席中継VTRなども、残っているならどんどん流せばいい。名人が死んでからニュースにしたって遅いんだってば。寄席が完全に絶滅する前に、もう一度、シンプルな寄席番組を見直してほしいもんだなあ。
(01/11/21)  

「ヤラセ」じゃないことが特別?


 久しぶりに『愛の貧乏脱出大作戦』(テレビ東京)を見た。この番組、修行編よりも、放送後、本当に貧乏脱出ができているのか確かめる「抜き打ちチェック」編のほうがずっと面白い。店ごと消えてしまっていたり、本人や家族が病気になり、さらに不幸になっていたり、すぐに手抜き癖が復活して、元の木阿弥になっていたり、厳しい現実がそのまま報告される。修行の後、本当に成功し、店が繁盛しているケースはあまりない。
 ラーメン修行を途中で放り出した応募者が、修行した達人の店の名を語って商売をしていたというひどい例もあり、それもそのまま報告される。
 ヤラセに慣れきっている視聴者には、こうした筋書きのない展開が非常に新鮮に感じられる。でも、「ヤラセじゃないことが新鮮」だなんて、おかしいし、哀しいよね。
 CSの温泉探訪番組をリポートしている野口悦男という人がいる。この人のリポートはすごい。宿で出された料理を全部食べてしまい「もう食えない~」なんてやっている。
 一般の宿泊客なら当たり前のことだが、旅番組、グルメ番組でこれをやるリポーターはまずいない。カメラの前で「おいしい!」と微笑んだ後は、全部残している。じゃないと、収録の数を稼げないからだが、放送後の料理の行方がひどく気になる。
 当たり前のことを当たり前に放送できないことが当たり前になっている番組制作現場の「常識」は、もうそろそろ見直したほうがいいんじゃないだろうか。
(01/11/21)





最も純文学路線?といえる異色作↓

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