阿武隈日記 06/08/14の5

亜鉛閣(5)


せっかくだから、外でお茶にしましょうか、と、ベランダに。
冷えたくずきりをごちそうになる。目の前には雄大な庭園。なんか、高級料亭を貸し切って豪遊しているみたい。贅沢すぎて、今ひとつ現実感がないというか、奇妙な気分だった。
家の中に戻り、亜鉛閣ができるまでの記録ビデオを見せていただく。大学の授業にも使っているとか。
中でも興味深かったのは、土壌浄化システム。僕らも越後の家で実際に作り、十何年使っていたが、広い土地と豊かな土壌環境がある場所なら、最も優れた浄化システムではないだろうか。なにしろ、維持費が不要。投入エネルギーゼロでいいのだ。合併式浄化槽などよりよほどいいと思うのだが、政治がからむからだろう、推進している自治体はないと思う。過疎地に本下水を引くような愚行を続けていた越後の地を地震が襲ったとき、場所に合っていないインフラがいかに脆いか、自然は強烈に教えてくれた。
基礎工事も興味深かった。外周布基礎の両面に型枠兼用の断熱を施した上で、最終的にはベタ基礎にするという徹底した断熱設計。これをしないと、OMソーラーの熱効率が生かされないらしい。
建物はツーバイフォー。もちろんメーカー工場で作られているわけではなく、オリジナル設計だから、枠組壁は工務店が作る。
メインの工務店は三春町の宗形工務店。例の喫茶店「碧い月」の隣にあり、碧い月の大家さんでもある。
山下さんは、日本でツーバイフォー工法が導入されるようになったツーバイ黎明期から、建築家としてこの工法にこだわり、熱心に導入を進めてきたらしい。それだけに、自分の家は必ずツーバイ(正確には寸法は関係なく「枠組壁工法」ということになるだろうが)で建てるのだという信念のようなものがあったのだろう。
このへんのことは、専門外かつ勉強不足の僕には分からないのだが、多分、素人が考える以上に、いろいろなこだわりや哲学・信念といったものが結集しているのだろうなあ。
そうこうするうちに夜になった。ライトアップされた木が、池の向こう側に怪しく浮かび上がる。手前は大理石のテーブル。

昼間、買ったばかりのK100Dが突然おかしくなり、本日はコニミノのA200が孤軍奮闘。この写真などは一眼レフで撮りたかったのだが、まあ、いっぱい撮って、中にはこの程度に写っているものがあった。もちろん後から補正しまくり。
遅くなったのでおいとますることに。リビングを出るとき、右手の玄関に通じるこのガラス戸に思いきりぶつかってしまった。割らなくてよかった(^^;;
玄関の外。このドアも、明るいときにもっとじっくり見て、撮っておけばよかった。海外製と聞いた気がするが、どこ製だったか失念。カナダ製?
亜鉛閣は、ものすごすぎて、辞した後もしばらくはちょっと熱に浮かされたような気分だった。
少し時間をおいてから考えた。で、分かった。
ああ、あれは「大人のテーマパーク」なのだ。「住宅」だと思っていくと当惑する。あまりに次元が違うものだから。
テーマパークだと思えばとてもよく理解できるし、全体像を正確に把握できる。
そう考えていくうちに、この村、あるいは南福島一帯は、将来、ちばりーひるずのように、富豪が集まってくる別天地になるのかもしれないなどという想像も一瞬したのだが、多分、そうはならないだろう。これだけの条件(山や自然が好きで、山の自然に囲まれて人生を過ごしたいと欲し、かつ、それをこのレベルで実践できるだけの経済力と実行力が備わっている……などなど)が揃う人間は世の中にそうそういないだろうから。
経済といえば、公共工事に関わる人たちは、この亜鉛閣一帯を手本にするといい。日本全国あちこちにある「○○市民憩いの杜」とか「自然ふれあいひろば」とか、そういうレベルの事業に似ていると思う。
しかし、その手の公共事業で、これだけ上品にまとまった場所は見たことがない。たいていは、考えなしにコンクリートを流し込んで造成しておしまい。巨額の税金を注ぎ込んで自然破壊をしているような場所がたくさんある。要するに経済が目的で、土地開発における哲学や愛がないわけだ。
亜鉛閣は、個人宅だからこそ理想を追求できた。そういう側面もあるだろう。
とにかく、いろんなことを考えさせられた「亜鉛閣の一日」だった。
山下さんは本当に山がお好きなようだ。地図を揃え、今度はこのへんを探索したいとか、ここには廃線跡があるはずだとか、いろいろな話が飛び出す。今度一緒に山歩きしましょうと誘われた。とても楽しみだ。



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