阿武隈日記 05/08/02の2

狛犬ツアー 承前



来るたびに怒りがこみ上げる羽黒神社。
一体、どういうつもりでこういう愚劣な中国製狛犬を和平の傑作の前に、ふさぐように置くのか?
宮司、氏子、誰もこの愚行を止められなかったのか?
天才・和平が鑿(のみ)でこつこつと彫り上げた芸術と、岡崎現代型のコピーをダイヤモンドカッターで彫りだしているだけの中国製の安物とはまったく違うもの。本物のミロのビーナスの前に大量生産の小便小僧の像を置くのと同じこと。
大塚さんも赤門社長も憤懣やるかたなく、車に乗って立ち去った後も、宿に着いてからも、何度も「あれは許せない!」と繰り返していた。
あのくだらない狛犬を設置した人々は、僕たちがなぜ怒り狂い、嘆き悲しんでいるのかまったく理解できないのだろう。いくら説明しても……ね。
今回最大の発見は、諦めていた波乗り兎の耳がひとつだけ残っていたこと。ひとつだけでも残っていれば、耳が折れる前の姿を想像できる。
この耳はぜひ大切に保管し、いつかきれいに修復してほしい。
小松寅吉を育て上げた謎の高遠石工・小松利平のものと思われる傑作。脱藩し、生涯、身を追われていた利平は、作品に自分の名前を刻まなかった。しかし、この波乗り兎は、奉納者や場所から考えて、ほぼ彼の作品に間違いない。全国的にもこれだけ耳がはっきり立ったウサギの石像は極めて珍しい。ほとんどの石ウサギは、耳を彫るのが難しいため、背中に耳がくっついているのだ。それにこの顔! これだけ生きた表情をした石のウサギは他に例がない。


もうひとつ、このキツネがどうやら和平の作品らしいと分かったことも収穫。
上は銘が入っていない、沢井の八幡神社社殿裏に置かれたキツネ。昭和2年1月。
↑これは石川町にひっそりあった和平が作った稲荷神社の石の社殿。この社殿にくっついていたキツネとそっくりなのだ。
社殿のキツネを見たとき、この顔はどこかで見たことがあると思っていたのだが、八幡神社の裏に回って思い出した。これは和平に間違いないだろう。
そんなこんなで寅吉・和平ツアーは無事終了。宿(小松屋さん)で打ち上げ。
朝早くから駆け足で回った疲れも見せず、大塚さんも赤門社長も興奮して「また絶対来る。今度はもっとゆっくり見たい」ときっぱり。
日本のアニメーション文化の礎を築いた巨匠にここまで惚れ込まれて、利平、寅吉、和平らもあの世で満足していることだろう。


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