平伏沼への上り口に、いつもバイクで動いているじいさま(Nさん)がいるのだが、庭に出ているのを見かけたので停まって声をかけた。
一昨日まで避難所にいたという。ビッグパレットではなく、旅館だったから、三食昼寝付き入浴付きで極楽だったそうだ。
身体がなまるので、近所の公園を散歩したり……することがないのでそんな毎日。みんな調子が狂って、体調を壊す人が続出していたらしい。栄養が足りないとかではなく、運動不足。
一足先に戻ってきたMさんがカーテン閉めきりで引きこもっているから、遊びに行ってあげてくださいよ、と行ったら、今朝、入院したのだという。
片手が動かなくなり、ズボンもはけない状態だったので、病院に運んだというのだが、それって脳梗塞ではないのか。
つい先日、締めきったカーテンを開けて「生きてる~?」と訪ねていったときは普通だった。急変したということになるから、やはり脳梗塞だろう。
Mさんも避難所生活が長くなり「食い物は山のようにあるし、毎日がお祭りみたいなもんだった」と言っていた。もともとなんにもせず、家でゴロゴロしているひとり暮らし。それが避難所で寝て、食ってばかりだったから、脳梗塞にもなるかもしれない。
奥のきよこさんは、避難先の親戚の家で、気を遣いながら毎日帰りたい帰りたい、ひとりでも帰ると言っているうちに、家の中で躓いて腕を骨折してしまった。
そのきよこさんに聴いたのだが、村で「炭焼きといえばあの人」という有名人だった蒲生さんが、炭焼き窯の中で焼死体で発見された。
焼死体というよりは、完全に骨になっていて、火葬場に運ぶ必要もなかったそうだ。
そのへんのことは、
⇒ニシマキ師匠のブログに詳しく書いてある。
要するに事故なのだが、避難所生活でストレスを溜め込んでいたことも、長年の経験で培った勘を鈍らせる原因になったのかもしれない。
他にも、村内の老人たちが次々に病気、怪我、急死していて、見えない放射能に振り回されていることが大きなダメージになっていることがうかがわれる。
この土地で、いつも通りの暮らしを続けた末に死んでいくつもりだった人たちが、ある日突然村から離され、しかもその理由があまりにも理不尽な上、土地が見えない放射性物質で汚染されてしまい、簡単には元の生活に戻れない。これでは気持ちの切り替えができない。
人生の最後がこれでは、たまらないだろう。
上の写真は、周りの友人たちが次々に死んだり入院したりしていく中、2年前に拾った子犬のモモと再会し、再び以前の生活を始めようとしているNさん。
平伏沼に上っていく途中、かなり線量が高くなる場所がある。それを通過して平伏沼入り口に来ると、「かえる かわうち」のステッカーを貼った軽トラが停まっていた。先客がいるらしい。