追悼ゴロ(4)


2005年1月6日 初めて迎える阿武隈の冬
2005年の正月は阿武隈で迎えた。
崩壊した家から命がけの家具搬出。そんな危険な被災地にトラックを向かわせられないと引っ越し業者に断られ続けた末、ようやく来てくれた一社(ハート引越センター群馬支店)のおかげで、なんとか雪が降り出す前に家財道具を阿武隈に搬送。実に慌ただしい年末だった。
ゴロは最初の数日、阿武隈の新居に慣れなかった。長い自動車移動の末、出された場所が、慣れ親しんだ越後の8畳間ではなかったので、びっくりしたようだった。
ゴロは子供のときから僕らに合わせて二地域居住をしているので、百合丘と越後の家はすっかり頭の中にあり、移動しても全然慌てない。移動用のケージから出した途端にひとつ背伸びをして、水を飲み、ご飯を食べ始める。ところが、3つ目の家が現れたのは相当びっくりしたようだ。

2005年3月26日。新居にもすっかり慣れてきた

阿武隈の新居は越後よりずっと僻地で、高速道のインターからの距離は5倍、いちばん近い大型スーパーのある町までの距離も3倍くらい。電話回線はISDNがかろうじて引けたが、仕事環境はよくなかった。

しかし、その後、村長が頑張って光ファイバーを引いてくれたので、その後は二地域居住ではなく定住になった。
仕事は常に綱渡り状態だったが、そこそこ売れる新書も出て、なんとか食いつなげていた。
ゴロは完全に阿武隈のウサギになり、どうしても百合丘に移動させるときは気の毒だった。
7歳を越えたあたりから、あごの下の脂肪溜がどんどん大きくなっていき、心配が増えた。
獣医さんの診断としては「特に問題がないようなら無理をして除去しなくてもいいでしょう」というもの。
長期間のませ続けている薬のせいなのか、単純に歳をとってきたからなのか。

2007年10月2日。首の下に大きな脂肪溜が目立つようになってきた


2007年10月2日。首の下が重そうだ


2008年1月6日。9回目の冬を迎えた


2008年1月6日。脂肪溜がますます大きく垂れ下がる


2008年1月6日


2008年1月6日


2008年4月27日。夏を前に毛を抜かれる
ダックスさんのサイトにあるFAQに、ウサギの寿命はどのくらいか、というのがある。答えは、7年生きたら、よく頑張ったねと誉めてあげましょうとある。
2008年、ついに9歳になり、10年目に入った。

最後の1年は、歯を切ることもなくなった。最後に削ってもらったとき、「もう、歯そのものが決してよくないですね。これからはあまり伸びることもないでしょう」と言われていた。
長寿ウサギの最後は、歯がだめになり、あごに膿が溜まって死んでいくという話を、上田院長から何度も聞かされていた。
膿が溜まると眼球を裏側から押し出して、目が飛び出してきたり、鼻涙管から膿が出続けて顔がガビガビになったり、頬に溜まった膿を外に出すために穴をあけて絞り出すとか、いろいろ怖ろしい話を聞かされていたので、そういう図を見るのは嫌だなと恐れていた。
歯がだめになり、最後の数年はペレットをお湯でふやかしたものを食べていた。ウサギはどうも猫舌ではないらしくて、熱湯をかけてすぐのおかゆペレットを平気で食べていた。
2009年から2010年にかけては、何度か食べなくなり、その度に、また歯を切ってもらうかどうか悩んだが、連れて行こうとすると食べ始めて、一旦入れた予約をキャンセルし……ということが続いた。
連れて行くといっても、片道300kmだから大変だ。
老齢だし、できることならあまり動かしたくない。
そんなことが続いていたが、少しずつでもまだ食べているうちはよかった。不死身だなあと、呆れるほどの生命力。
「ゴロちゃんはほんとにいいウサギだったわねえ」「何言ってんの。まだ生きているよ」という会話を交わしたお袋は2年前にゴロより先にこの世を去った。
「あの長生きなウサギはまだ元気か?」と言っていた義父は、3年前に亡くなった。

今月初め、あごの下に炎症を起こしているのを見つけた。恐れていた事態がついにやってきたと分かった。
歯が根元から腐り始め、頬の内側から膿が外にしみ出してきているのだろう。
獣医さんに電話で相談し、家で対処する方法を教わる。ホウ酸水などでそっと消毒してやる。膿が外に出てくる分にはどんどん出したほうがいい。穴が空いて膿が出てくるならそのほうがいい。出てこなくて目の裏側に入ったりするともっと面倒だという。
最初は右側だったが、その後、左側のほうがむしろひどく炎症を起こしていることが分かった。
ウサギの膿はクリームチーズのように、白くて、固まるとガビガビになる。皮膚に付着して硬化する前になるべく優しく拭き取るようにして、あとは見守るしかなかった。

少しずつ食が細くなり、やがてまったく食べなくなり、水だけを大量に飲むようになった。

ある夜、ぎゃ〜という、今まで聞いたことのないような獣の声がした。野良猫同士が外で喧嘩しているのだろうと思って、窓から外に向かって「喧嘩するな」と声をかけたりしたのだが、外にはなんの気配もない。
どうもこれがゴロの最初の叫び声だった。
あまりにもとんでもない声だったので、そのときは気づかなかった。
その後、数日にわたり、突然悲鳴を上げてばたつくようになる。
痛いというのではなく、どうも、恐怖にとらわれるようだ。
意識が朦朧としてきた中で、死神の姿でも見ているのだろうか。思うように動けなくなったことで、恐怖を感じるのかもしれない。
自分で立ち上がれなくなって、叫び声をあげる頻度があがってきた。
そのたびに飛んでいき、頭を撫でて声をかけたり、抱いてやったりする。すると、すっと穏やかな顔になって、荒れていた息も収まる。

最後は、仕事机の横で息を引き取った。
最後の最後が分かっていれば、抱いたまま見送りたかった。それが少し心残りだ。

自分はどういう死に方をするのか……人間を含めて、死に接するたびに考える。

とにかく寂しい。どんな死に方をしても、寂しいとしか言えない。

翌日、家の前のヤマボウシの根元に埋めた。
タヌは一生を過ごした百合丘の庭、白木蓮の下に埋めた。今も毎春、真っ白な花を咲かせる。
ゴロはここ、阿武隈の地で、毎年ヤマボウシの白い花を咲かせることだろう。

ゴロの墓


その墓を見下ろすヤマボウシの花は、ちょうど今が見頃だ


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