次の小説が十二月上旬に出ることになりました。タイトルは『アンガジェ』。版元は読売新聞社です。
それで、唐突ですが、この小説から、僕は筆名を変えることにしました。
以前から、「平仮名ばかりの筆名で売れた作家はいない」と言われ続けてきました。パーティで某社の編集部長あたりと顔を合わせると、僕の本を出すつもりもないのに「名前変えたら?」なんて言うのですね。
読者からも、「平仮名は軽くてよくない。四コマ漫画を描いているみたい」などという意見がよく寄せられます。
中には具体的に「たくき能光」としたらどうかなどというのもありましたが、これは僕としては全部平仮名より居心地が悪い。
ちなみに現在の僕の戸籍名は「鐸木能光」で、これは生まれてから三番目の戸籍名です。
生まれたときの名前は「添田能光」(そえだよしみつ)でした。その後、両親が離婚し、母のほうに引き取られた僕は、母が旧姓に戻ったのと同時に「細野能光」(ほそのよしみつ)になりました。ある日、幼稚園で先生に「今日から添田くんは細野くんになります。身体が細いからほそのくん。覚えやすいですね」などとみんなの前で言われたのを覚えています。
その後すぐに、母が再婚し、今の鐸木能光になりました。母は新しい夫(僕の養父)に、「あなたが平凡な苗字だったら、私は結婚しなかったわ」とよく言っていました。
ちなみに母の名前は「能子」(よしこ)でして、僕と一字違いです。実父の名前には「能」も「光」も入っていませんから、僕の名前は母からだけ一字貰っていることになります。強い性格の人だなあと、つくづく思います。
「よしみつ」という名前はあまり気に入っていません。音声的にちょっと弱々しく、神経質な感じがするし、漢字もとても書きにくい。
とにかく、姓も名もすんなりと読んでもらえたためしがありません。銀行や病院でも、窓口の人は必ず名前の欄を凝視したまま暫く悩んでいます。
苗字に関しては「かぶらぎさん」「さわきさん」という誤読がかなりあります。「かぶらき」なら「鏑木」だし、「さわき」なら「澤木」ですから、どちらも完全な誤読です。
能光のほうは、「のりみつ」と読む人がかなりいます。漢和辞典を引くと、能は「ノウ」としか読まず、人名では「よし・とう・のう・たか・むね・やす」などと読ませる例があるとありますが(角川漢和中辞典)「のり」はありません。
最近、サッカーの日本代表でアトランタオリンピックでも大活躍したゴールキーパー「川口能活」(かわぐちよしかつ)とか、漫画家としてより、個性派タレントとして売れてしまった「蛭子能収」(えびすよしかず……この人も読めない名前だ)とか、「能」を「よし」と読ませる名前の有名人も少しずつ出てきたので、ほんのちょっと嬉しかったりします。
小説の新人賞に応募し始めた頃、真剣に筆名を考えました。この際、この難読な名前とはおさらばしようと。
二十歳そこそこで、群像新人文学賞で三次予選(十七編)まで残ったときの筆名は、確か「芳光祥太郎」(よしみつしょうたろう)というものでした。
なんだかんだいって、結局呼ばれ慣れた「よしみつ」という名前を捨てきれなかったんですね。あとは、石森章太郎とか安岡章太郎、守安祥太郎(夭逝した伝説のジャズピアニスト)など、「しょうたろう」という名前がかっこよく思えていたので、折衷案です。
その後、創田 仁(そうだじん)というのも使いました。最初は宗田だったんですが、似たような名前の作家がいるので「そう」の字を変えました。音読みだと「ソーダ・ジン」「ジン・ソーダ」。おいしく酔えそうでしょ。「仁」を「ひとし」と読めば、「ひとし・そうだ」→「ヒットしそうだ」で、売れるかな……という願いも込められているわけですね。
創田 仁は何回か、ミステリークイズの共同執筆などに使いましたが、今は廃業中。でも、推理作家協会への入会届に「創田 仁/たくき よしみつ」と書いて提出したので、今でも文芸美術国民健康保険証の筆名欄は「たくき よしみつ」ではなく「創田 仁」になっています。たまに病院に行くたびに、ああ、俺は創田 仁なのか……と思い出します。
ライター稼業を始めるようになってから、読めない名前は説明が面倒なので、平仮名表記にしました。小説デビューは「小説すばる新人賞」をいただく二年前ですが、このときも筆名をどうするかで悩みました。そのときの編集者は今でも「僕はあのときたくきさんが平仮名で行くというのをなぜやめさせられなかったのかと、責任を感じている」などと言います。平仮名のたくきはそんなに愛されていないのか?
で、結局新しい筆名はどうなったのかといいますと、なんのことはない、戸籍名と同じ鐸木能光です。今まで通り、「たくき よしみつ」と読みます。
しかし、僕の戸籍名は、実は「たくき よしみつ」とは読まないのです。だからさらにややこしい。なんと読むかは秘密。
平仮名で十五年以上生きてきたので、漢字の名前にまだ馴染めません。
しかし、いったい俺は何者なんだ? 四十代にして、自分の名前に悩み、自己認識を喪失しているというのも、なんだか悲惨だなあ。