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のぼみ~日記2016

2016/04/01

もしもあと25年早く、遅く生まれていたら


前ページの戦前史年表を作ってみようと思ったのは、先日の日記『小野田寛郎さんはサイコパスだった』に出てくる、ゴーストライター津田信氏と小野田さんの次のようなやりとりが頭に引っかかっていたからだ。

──(日本が)いつ頃、民主国家に変わったと思いました?
「時期は知りません。ただ、新聞に民主主義社会という言葉がさかんに使われているので、自分らの知らないうちに衣替えしたんだろうと思ったんです」

──じゃあ、小野田さんは、帝国陸海軍も消滅していることがわかっていたんですね?
「いや、軍隊は残っていると思いました。昔の軍隊はなくなったかもしれませんが、それに代わる組織ができて、まだアメリカ相手に闘っていると考えたのです」

──それに代わる組織? ああ、自衛隊のことですか。
「いや、自衛隊は国内を取り締まる武装警察で、戦争をやっているのは別の組織-戦争専門の、戦争請負業みたいなものです」

──戦争請負業?
日本は民主主義国家になったが、依然として大東亜共栄圏の確立をめざしている。だからそのために戦争請負業に金をやって、アメリカと戦ってもらっている……そう考えたのです」

──なんです、その戦争請負業というのは?
旧日本軍を引き継いだ戦争専門の組織です。その組織が日本ばかりでなく、アジア全域の防衛を担当して、アメリカとやりあっていると判断したのです」

──アジア全域とおっしゃいましたね。すると中国も含まれるわけですか。
「もちろんです」

──中国が共産主義国になっているのはご存じなかったんですね?
「いや、知っています。新聞にそう書いてありましたから」

──すると、日本は共産主義の国とも手を結んでいると考えたわけですね。
日本が尻押しして毛沢東を中国の指導者にしたのだと思いました。中国財閥の金を融通してもらうために。なにしろ中国の金持ちは桁違いですからね。その代わり戦争請負業が中国の国内からアメリカやイギリスの勢力を追い払ったのです」


このやりとりで、津田氏は小野田さんの理屈があまりに滅茶苦茶だと呆れていたわけだが、僕はこの小野田さんの思考が100%でっちあげ(自分を正当化するために適当なことを言った)とは思えなかった。半分くらいは本気でそう考えていたのではないか……と。

その後、『残留日本兵 アジアに生きた一万人の戦後』(林英一・著、中公新書 2012年)を読んで、少し納得した。
戦争が終わった後もアジア各地に残留した日本兵は数多い。およそ1万人はいたというのだ。
林氏は様々な文献、資料などを読み解き、そのうちの100人を抽出して、どういう経緯で、どこに、どういう形で残留したのかを本書でまとめている。
注目すべきは、多くの日本兵が、戦後、現地に残って独立戦争のための現地人兵士の教育や指揮、あるいは一兵士として現地人兵士と一緒に戦ったという報告だ。
ごく一部を抜き出すと、
土岐時治(1910年石川県生まれ):1941年31歳で召集。日本降伏後、連合軍の使役をしていた10月、蘭印軍のスパイになることを命じられる。しかし、ラハトの集落で情報収集をしていたとき、インドネシア軍に捕まり、山中に連行され、協力しなければ銃殺すると脅され、インドネシア軍に入る。
橘信義(1921年徳島県生まれ):中野学校出身。ベトナムで終戦を迎えた後、漂着した村でベトミンの政治委員に協力を迫られて残留。
杉原剛(1921年滋賀県生まれ):インドネシアで窃盗団に車もろとも拉致され、連行されたバタカロ族の村で村長から独立戦争への協力を迫られて残留。
……などなど

こうした事例を知ると、小野田さんが語った「旧日本軍を引き継いだ戦争専門の組織がアジア全体のためにアメリカと戦っている」という思いこみも、あながち荒唐無稽とはいえないのではないかと気づく。
欧米列強が植民地化したアジアで、日本は「アジアの長」になって欧米と張り合い、アジア地域の資源や労働力を独占しようとしていた。「大東亜共栄圏」の名のもとに軍国教育を受けた当時の日本人にとって、アメリカに負けた後もアジア各地に潜り込んで、現地の軍隊と一緒に欧米列強を相手にした独立戦争を戦うことは、それほど不自然なことではなかったのかもしれない。
もちろん、残留したいきさつは様々で、自らの意志だけで選んだ人は少ない。殺されるよりはマシという選択だったり、現地の女性との間に子供を作っていたり、日本に戻れば戦犯として処刑されるだろうという思いから現地人になりすましたりした。
彼らがその後、日本に戻れたかどうかは、日本と現地国との外交状況に大きく依存したとも説明されている。

そこで改めて考えてしまうのは、自分がそのとき、そういう場所にいたらどういう人生になっていたかということだ。
今の自分と同じ脳みそ、肉体をもって、同じような家庭環境のもとに生まれていても、生まれる時期が違えばまったく違う人生になる。
僕は1955年生まれだが、もう一世代前、25年早く、1930年に生まれていたら……。あるいは25年遅く、1980年に生まれていたら……。

1930年に生まれていたら

0歳~:昭和恐慌、昭和農業恐慌のまっただ中なので、家は貧しく、食糧事情も悪かっただろう。満州事変など、世の中が戦争まっしぐらになり、言論弾圧が激しく鳴る中で乳幼児期を過ごす。
6歳~:2.26事件、日中戦争勃発、第二次大戦、大政翼賛会……。11歳のときに太平洋戦争勃発。食べるものもない中、生きるか死ぬかと考えながら思春期を過ごす。少し年上の青年たちが特高に散ったりするのを見て、自分ももうすぐ死ぬのだと思う日々。15歳で終戦。
15歳~:めまぐるしく変化する戦後焼け跡時代が青春。多少、家に余裕があれば文学や絵画に目覚めていただろうか? 日本国憲法。女性参政権。
20歳~:朝鮮戦争勃発。戦争特需。サンフランシスコ平和条約。テレビ放送開始。公害病。岸内閣。国際原子力機関(IAEA)設立。安保闘争。
30歳~:ベトナム戦争。キューバ危機。東京五輪。新幹線開通。ビートルズ、PPM、サイモン&ガーファンクル。
40歳~:田中角栄内閣。日中共同声明。第一次オイルショック。為替レートが変動相場制に。ロッキード事件。スリーマイル島原子力発電所事故。
50歳~:アフガン戦争。CD発売。電電公社がNTTに。ポケベル。バブル景気。チェルノブイリ。
60歳~:ワープロからパソコンへ。Windows 95。パソコン通信からインターネットへ。

……とまあ、こんな感じになる。
ビートルズが登場するのが30代となると、ポップ音楽に染まる人生にはならなかったんじゃないか。還暦を超えてからようやくWindowsが登場だから、パソコンにも馴染めないじいさんになっていた可能性が高い。
家は貧しかったから、絵描きになるといった道も難しかっただろうが、可能性はある。文学も同様で、作家をめざしていた可能性はある。漫画家というのもあるかもしれない。テレビ創世記に放送や映像制作の世界に入っていたら、テレビのディレクター、プロデューサーという道もあったかもしれない。
また、20代が戦後の朝鮮特需などと重なっているから、もしかすると子供を作っていたかもしれないし、結婚・離婚を何回も重ねたかもしれない。
今も生きていれば90歳を超えているわけだが、多分、それはないだろうな。3.11も知らずに死んでいただろう。
ちなみに25年ではなく、あと30年早く生まれていたら、戦争で悲惨な死に方をしていただろう。

1980年に生まれていたら

逆に、25年遅く生まれていたら、1980年生まれで、中学生のときにWindows 95。ホリエモンみたいにネットやITで成り上がろうとしていたかもしれない。80年代のポップスに染まって音楽の道を歩んだかもしれないが、20歳のとき2000年だから、芸能界はすでにレコード会社主導ではなく、芸能事務所主導型になっていて、実力だけで道を切り開くのは難しかっただろう。
競争率も高い。誰でもデモテープ(テープですらないが)が簡単に作れる時代。才能よりも押しの強さや容姿が大きな力となる時代。
今(2016年)は30代半ばで、若いときに成功していない限り、相当苦しい生活を続けている可能性が高い。コンピュータやネットとの関わりが深ければ、やっかいなオタクになって、暗い生活が……。このままあと30年はこの日本で生きていくことを想像して鬱になっているであろうことはほぼ間違いない。
あるいはとっくに日本を飛び出しているかも? いや、性格からしてそれはないかな。

そう考えていくと、自分が「ちょうどいい時代」に生まれたことは間違いない。そうした幸運に恵まれながら社会的成功が得られなかった人生になってしまったのは情けないが、「成功しなくても生きられた時代」だったことは本当に幸せなことだ。

川縁の土筆



もちろんこのひとはそんなものに興味はない



オオカミ池の卵



こちらは方舟の卵



方舟のほうの卵がちょっと心配になってきたので、半分くらいをすくってオオカミ池に移した





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