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のぼみ~日記 2015

2015/09/13の2

 川内村野良猫日記(12)

違和感が増していく


2011/09/20 村の直売所「まあらっしぇ」で放射能勉強会。テレビ局も取材に来た。

この頃から、村では「早く帰村して生活を取り戻そう」という人たちと「今のままの避難生活をなるべく長く続けたい」という人たちの対立がはっきりしてきた。
避難先の郡山市より、川内村の中心部はずっと線量が低い。特に役場周辺、小学校のあたりはほとんどなんでもないレベルで、都内とあまり変わらない。
村は広いので、かなり汚染されたエリアもあるが、浪江町や飯舘村のように村が壊滅的に汚染されたわけではない。
多くの人たちは避難先の郡山より川内村の自宅のほうが線量が低いことも知っていた。だから、「いつまでもこんなところにいることはない。早く帰ろう」と思うのは当然だ。
しかし、「避難を続けたい」派のほうが数は多かった。
理由は賠償金。避難している期間はひとり毎月10万円の「精神的賠償金」が支払われる。それは基礎年金みたいなもので、その他に就業補償やら農地の賠償やら避難に関わるもろもろの費用(交通費から避難生活のために新たに買った日用品などまで)が、請求すれば支払われる。
はっきり書けば、避難する前より収入が増えてしまった家がいっぱいあった。
しかも、仕事をしなくても前よりも収入があるという異常な状態。
津波で家が流されて住む場所がない、という避難ではない。家は前のまま、ちゃんとある。避難先郡山より線量が低い。その家には足繁く戻っている。
郡山では借り上げ住宅の家賃は出してもらえる。夜中でもコンビニがある便利な生活。このままの生活が続けられるならそんなにいいことはない……と考えてしまうのも無理はない。

村長や商工会長は帰村派だったので、「帰村したくない」派の村民から突き上げられたりした。

そんな中、全村が帰宅困難地域になって空っぽになった飯舘村にはもうドラマはないと考えたか、マスメディアは「帰村に向けて頑張る」というドラマ、一種の「絵作り」を川内村に求めた。
いろんなイベントが企画され、都市からは芸能人やらなにやらがやってきてはコンサートとかさまざまな「復興イベント」をやる。
そのイベントに対して帰村したくない派が文句をつける。避難していることになっている村なのだから静かにしていろ、と。

その一方では、除染バブルが本格化して、高額の除染日当を目当てに外から日雇い作業員が入ってきて、村は3.11前より一見して賑やかになったりしていた。
廃屋になっていた縫製工場は除染作業員の飯場になった。その後、不審な作業員死亡事件があった後、不審火で全焼。「ビジネスホテル」という名前の飯場として新しい建物が建った。
僕は縫製工場の物置を借りて荷物の一部を保管していたのだが、知らないうちに消滅していた。
頑張って郡山から自家用車で商品を小規模に仕入れて店を再開していたローカルコンビニの「モンペリ」も、店主が倒れて入退院を繰り返し、ついには閉店となった。その後、建物はファミリーマートになり、朝夕は除染作業員が弁当や酒を求めてレジ前に列をなす光景が見られるようになった。
長い間閉まっていたスナックにも夜の灯りが灯るようになった。

我が家は村の中心部からは離れていたから、そうした風景はあまり見ないで済んだが、県道は日増しに大型トラックが砂塵を上げて通るようになり、あちこちに除染で出た廃物のフレコンバッグの山ができ、チャッピーとの散歩も息苦しさを増していった。

違和感の最たるものは、賠償金をもらえず苦しい生活を余儀なくされている人たちに賠償金生活をしている村民が助けられている、という図だった。
村の郵便局で働く局員のひとりはいわき市の久ノ浜という津波被害を受けたところから通ってきていた。自宅は津波で流されてしまったが、仮設住宅がなかなか建たずに大変だという。家を失ったいわき市民の仮設住宅より、原発避難者のための仮設住宅が先に建ったりしているという話も聞いた。
郵便配達をしている人も同様だった。バイクでの配達だから、土埃をいっぱい吸い込む。
「正直、放射能は怖いですよ。でも、たくきさんがここにいるうちは大丈夫かな、って思うようにしてます」
なんて言われたこともある。
とても複雑な気持ちだった。
決して「大丈夫」ではない。僕だって、家にいるときは怖くないが、チャッピーと散歩しているとき、県道を猛スピードで走っていくダンプカーからこぼれる土埃を吸い込むのは怖い。

クロネコも毎日配達しに来てくれて感謝しきれないほどだったが、その配達員は、以前は近所の人だったのだが、避難後はいわきの人に変わっていた。
たったひとりで広野と川内村の両方を担当しているとのことで、申し訳なかった。
クロネコになるべく負担をかけないようにしようと、宅急便より郵便を多く使うように心がけたりもした。
で、今まで配達してくれていた村の人は、郡山の借り上げ住宅で仕事をしないで生活しているという。

こういう状況が、どんどん耐えられなくなっていった。
まったく外の人間なら、例えば東京に住んでいてこういう状況を知ったら、「それは変でしょ」「おかしいよ」と意見表明するが、僕はこの村に来て7年目で、村の人たちの日々の暮らしを知っているし、仲よく暮らすためにそれなりの努力もしてきた。
こんなことで、今まで築いてきた関係を壊すのはあまりにもやりきれない。
早くここから離れなければ……と、決意を新たにする日々だった。

2011/09/25 「世界一木を植えた男」宮脇昭教授を迎えての植樹祭。これも全村避難中の村で何をやっているのかと、一部の村民からはクレームをつけられたと聞く。



村長は参加して、宮脇さんと一緒に「ウバメガシ!」「タブノキ!」などと例の連呼をさせられていたが、このイベントも村の公式行事ではなかった。「全村避難して村民がいないはずの村で、村が主催のイベントをやるのはありえない」ということだろう。役場の中でさえ、意思統一がなかなかできていないような雰囲気が伝わってきた。



移転先を求めて山梨県にも行った。この神社の隣に見えている空き家を見るために。お祭りのときはうるさくて一晩中眠れそうにないし、おもしろい物件だったけれど、ここはやめた。



川崎の仕事場にのぼみ~を連れて戻ったとき、ゴロでずっとお世話になった麻生獣医科へ健康診断と予防接種に。名医・麻生獣医科の上田院長ともこれが最後かなあ、と思いながら。



川崎の仕事場にて。ずいぶんでかくなった。



どんどん金がなくなるし、この川崎の仕事場はいずれ引き払わないといけないだろうな……ということで、四畳半スタジオの荷物整理も始めた。



2011/10/14 引っ越しのために、10万km超えの中古のバネットバンを買いに、格安専門店へ。リース切れ引き揚げ車を売っているお店。相場より10万円くらい安く買える。



2011/10/28 あちこち飛び回ってはまた川内村に帰る、という日々だった。



チャッピーとの散歩や……



やねお一家への餌やりも、もうすぐできなくなる。





須実ちゃんとマックも大分大きくなり、チョロとあまり変わらなくなった。もう大丈夫だろうか?



よしたかさんの奮闘ぶりはいろいろなメディアが取り上げた。『裸のフクシマ』も出版された。



チョロは可愛いやつだった。できれば連れていきたいなあと何度も思ったが、最後まで触れるほどには近づけなかった。手を伸ばすとサッと逃げてしまう。

おまえら、まとめて面倒みてやりたいところだけれど……。



みみちゃんとシロ。気がつくとジョコも姿を現さなくなっていた。しんちゃんも……。4匹いた兄弟で残ったのはみみちゃんだけ。みみちゃんはいちばんおとなしく優しい性格だったが、兄弟の中で生き残り、野良猫としての人生を歩んでいる。



ああ、やねお一家やしんちゃん一家に比べておまえらは……ほんっとにもう……



2011/10/18 軽く100を超える物件を見て回った末に、ついに「これは!」と思える家にたどり着いた。

当初、考えてもみなかった日光市。
なぜ日光市を除外していたかというと、結構汚染されていることが分かっていたから。
川内村の自宅周辺とあまり変わらないかもしれない。
でも、日光市は広い。北部はかなり線量が高そうだが、鹿沼寄りのあたりはぎりぎり許容範囲かもしれない。
そう思って、線量計を複数台持って物件を見に行ったのだった。
線量は矢板のリゾート分譲地より低かった。雨樋の下などではそこそこあるが、川内村の自宅よりは低い。
それに、移転する最大の理由は線量そのものではない。除染バブルや違和感だらけの「復興」の掛け声から距離を置いて暮らしたいということだった。
あちこち見て回った末に決めたので、ほぼ納得はできた。
今までの環境とはずいぶん違うが、発想を変えて創作活動に打ち込みたい。そのためにはいい物件だった。
そして何より、価格が安い。
川内村の家より安かったのだ。
塙町や矢祭町など、もっととんでもなく不便な山村の古い家よりもずっと安かった。
金銭的にも3.11後は疲弊しきっていたから、これが最終的にはいちばん大きな決定要素だったかもしれない。

こうして、川内村からの移転に向け、最後の力を振り絞った。






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「福島問題」の本質とは何か?


『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書 240ページ)
『裸のフクシマ』以後、さらに混迷を深めていった福島から、若い世代へ向けての渾身の伝言。
複数の中学校・高校が入試問題(国語長文読解)に採用。大人にこそ読んでほしい!

第1章 あの日何が起きたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能より怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる

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裸のフクシマ  『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社 単行本352ページ)
ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実、メディアが語ろうとしない現実的提言が満載。

第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?
第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実
第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった
第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様
第5章 裸のフクシマ
かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛

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