オオカミ池と方舟には、今年最後の(遅生まれの)オタマが元気に泳いでいる。マツモムシに食われるほど小さくはないのだが、やはり心配で、マツモムシを見つけるとひょいと掬い上げて「オタマを襲うなよ」と言いきかせている。(正気か?)
マツモムシは水中では常に背泳ぎなので、こんな風に背中が見えることはない。
土曜日(8日)に、三依の
「ミドーリ夏フェス2015』(またはアースデーみより2015)というのに行ってみることにした。
先日、雹が降った日にうちに来ていた七田さんちで毎夏やっているお祭りらしい。中身は見事なまでに獏原人村の満月祭に似ている、というか同じ。
暑いし、気力が……と思ってあまり乗り気ではなかったのだが、yossyに「行く?」と言ってみたら「行きます!」と即答してきたので、保護者同伴みたいなノリで行くことに。
で、炎天下の野外ステージだといいギターは怖いし、完全なソリッドだとPAなしでちょこっとセッションするみたいなのに使えないしで、こういうときのために杉作を7万円もかけてネックリシェイプしたんだよな~、と、久々に取りだして音を出してみる。
杉作はエンドピンジャックにはダイレクト出力が、プリアンプを通した出力はサイドの下のジャックから……と、ピエゾピックアップからの出力線を二分岐させてつないでいるのだが、どちらもちょっと出力ジャックがガリっている感じ。
あと、杉作につけているのはもともとアントニオについていたピエゾのみのFishmanのプリアンプで、アントニオには後から単体で買ったマイク付きのFishmanをつけてあるのだが、これからはラフな場所でのライブでは杉作がメインになりそうだから、この際、プリアンプも交換したい。ついでに杉作のダイレクト出力とプリアンプ出力のジャックの位置を入れ替えたい……と思って作業を始めたところ、どんどんドツボにはまり、泣きそうになった。
まず、杉作のエンドピンジャックがどうもダメくさい。これは改造に出したときも指摘されていたのだが、少しでも自分でやれそうなことはケチって自分でやればいいや、と、断ったのだった。失敗した~。
家にあったエンドピンジャックに交換したが、音が出ない。どうも結線を間違えたっぽい。うちにあったのは3極のジャックで、ステレオ出力+スイッチ端子仕様。
この場合、いちばん短い1番ピンがホットで、2番はステレオのもう片側用のホット、3番がスイッチ用で残りがアース……となっているらしいことは後から気がついた。アンプから出ているプラス線じゃないやつはスイッチOn/Off用なので、これは2番じゃなくて3番につけなければいけないのに、間違えて2番につけていた。
このあたりでノイズもひどくなってきて、こんなことなら最初から手をつけなければよかったと後悔しきり。こんな風に大切なものを壊してしまった経験はいっぱいある。今回もいや~~な予感。
夜、寝る前にアマゾンのお急ぎ便でエンドピンジャックを注文。2極で外付け用というのを頼んだのだが、翌朝届いたのは外側から突っ込むにはギター側の穴が小さすぎた。しかも、外側から突っ込んだとしても内側からナットで止めないといけないから、どっちみち内側から突っ込まなくてはいけない。
ようやくつけたと思ったら、ノイズがひどい。う~~ん、泣きそう。
そこにyossyが音合わせのために到着。仕方なく、店を広げたままアントニオで練習。
アントニオ(スペイン製のエレクトリックフラメンコギター)のほうがいい音なのだが、ネックがクラシックと同じ52mm幅なので弾きづらい。でも、練習しているうちに慣れてきた。アントニオ持って行けばいっか……という気になってきた。
これってもしかすると杉作にアンプを載せ替えられそうになったアントニオの呪いか??
yossyが帰ってからまた修理作業に戻り、今度はピエゾピックアップから出ている髪の毛みたいに細いシールド線を細工用ピンセットでばらして分岐させるところから全部やり直してみた。
テスト段階ではノイズがひどかったのだが、完全に取り付けて弦を張ったらノイズは目立たなくなった。なんでだろ。
まあ、なんとか完了。これで晴れて杉作を持っていける。
ごめんよアントニオ。
でも、アンプは載せ替えなかった。杉作のほうが派手な音なので、マイクでミックスするような使い方はしなくていいや……と。
以上、普通の人にはちんぷんかんぷんであろうオタク話でありました。
ようやくついた新しいエンドピンジャック↑ でもつけ終わった後、ケーシングと緩み止めワッシャをつけ忘れていることに気づいた。あ~~、もういいや。やり直す気がしない。音に影響はないし。
しかし、久しぶりにこういうアナログな作業をしたなあ。昔はしょっちゅうやっていた。
お金がない中で、いかにいい音で音楽を作れるか、記録できるか……。スピーカーなんか、捨てられていた木材を拾って、自転車の荷台に縛り付けて何往復もして、電気鋸がないから手引きの鋸で何日もかけて裁断して、ユニットだけ秋葉原に行って買ってきて作ったものだ。数千円の出費(ユニットの値段)で数万円のスピーカー以上の音を出す方法はそれしかなかったから。
考えてみると、僕らの年代ほど生まれてから死ぬまでに生活環境や文化・文明が激変した時代は歴史上ないだろう。
小学生のとき、自動車はお金持ちのもので、自分には一生縁がない贅沢品だと思っていた。だから、運転免許を取るなんてこともありえないと思った。
中学生のとき、テープレコーダーに驚いた。録音された自分の声を初めて聞いたときは「これは何かの間違いだ」と思ったほどショックだった。
高校生のとき、いかに安くオーディオ装置を揃えるかで頭を悩ませ、秋葉原通いをした。金は録音機材に投入。再生装置は金をかけたくない。高音質なデモテープを作るためにはそうするしかなかった。もちろんまだデジタル録音なんてものはなくて、CDもなかった。
大学生になっても、まだ自分が車を持てるとは思えなかった。そんな金があったら音楽関係に使うし……と。でも、楽器運びをするのに友達や後輩たちの世話になってばかりではいけないと思い、20歳を過ぎてから免許だけ取った。もちろん車はまだ買えなかった。音楽はデモテープを作ることに明け暮れていた。もちろんすべてアナログ録音。バイトで稼いだ金はほぼすべて録音機材と楽器に消えた。
20代のとき、CDというものが出現した。レコード屋さんの一角に並ぶようになったが、まだレコードがメインだった。原稿書きで稼ぐようになったが、ファックスはまだ100万円くらいして、個人宅で持っている人は少なかった。30に近づいてからは、毎月1万円以上払ってファックスをリースしていた。
30代でMIDIとかDATが出てきた。そのどちらもすぐに手を出して、タヌパックスタジオを立ち上げ、CM音楽の自宅録音制作を始め、売り込んだ。小僧寿司、武富士、フロスキー……みんな四畳半のタヌパックスタジオで作った。
ケータイが出てきたのは40代になってから。最初に手にしたケータイはJ-Phoneだった。知らないだろうな、今の人たちはJフォンって。
50代、タヌパック阿武隈でようやくCubase4(OSはWindows XP)で(シーケンサーや専用録音機ではなく)コンピュータによる音楽制作が可能になった。それでもエフェクターなどはソフトでは音が歪んだりコンピュータがハングしたりして使いものにならなかった。
外部エフェクターからも解放されて、ようやくコンピュータだけで録音作業が完結するようになったのは50代も終わりの頃。Macを買ってから。そしてEWIとの出会い。
60代に突入した今は、Macで音楽や動画を、Windowsで文章中心の仕事を、という分業体制になっている。
還暦の今、デジタルの使い方を、平均的な若い人たちより知っている。技術だけじゃなくて、「使い方」を。
一生の間でこれだけ多様なことを経験できるタイミング、環境に生まれたことに感謝。
江戸時代はもちろん、明治の激動時代に生まれていても、デジタル革命ほどの変化は経験できなかったはず。
そして、これから先の時代を生きる人たちも、僕らの世代ほどの激変は経験できないだろう。
面白い人生だったと思うことにしよう。