のぼみ~日記 2015

2015/04/06の2

ライチェル&シンシア&さいもん


家に戻り、今日も卵のチェック。だいぶほどけてきた


中の卵核も丸い粒状から少しずつオタマジャクシの形に変化しつつある


家の前の桜。だいぶ咲いてきたが、今日はあいにくの曇天というか小雨


小雨の合間を縫ってコッソリープと復活の沢入り口のチェックへ向かう


満開かな

家に戻ってきて入ろうとしたらさいもんくんが犬を連れてお散歩。

ライチェル(右)&シンシア(左)


ライチェル


シンシア


二匹とも落ち着きがないので写真になかなか収まらない。家の前につないで、さいもんくんにその後の卵を見せる。もう暗くなってきていたので、照明をつけてようやく見える程度だった。

さいもんくんは今日が中学の入学式だった。さいもんママのFBでの報告によれば、いきなり忘れ物をしてブルーになっていたとか。
明日がオリエンテーションでその次が実力テストだという。新入生がどの程度の学力を持って入学してきたのかを見るのだろう。
これから6年間、いろいろあるぞ。いろいろあるようでいて、同じ環境に6年間って、かなり長く感じるかもしれない。
さいもんくんは東京オリンピックのある2020年をひとつの区切りと考えているようだ。それまではここ日光でまったり暮らすという、彼なりの生活設計?があるらしい。

さいもんくんやライチェル&シンシアのおかげで鬱がだいぶ軽減された。


今日のオマケ

禅問答?


この前ちょこっと紹介した「だいずせんせい」のブログに「林勝和尚との対話」というのがあった。
「先日、たまたま岐阜県梨本村にある林勝寺という禅宗のお寺の住職と知り合いになり、いろいろお話したところ……」と始まるのだが、岐阜県に梨本村はないし、旧梨本村は静岡県だし、林勝寺というのも見つからなかった。わざと名称を変えているのか、それともこの対話そのものがだいずせんせいの創作なのか……。
……ということは置いておいても、内容がとても面白く、鬱から脱出するのにとても役に立った。
この中の、
いっしょうけんめいやるということと、意味があるかないかは別問題ということではないでしょうか。意味があるからいっしょうけんめいやる、意味がないからやらない、ということではないようですね。
私の理解では、仏の教えというのは、あらゆる意味がありそうなものには、実は意味がないということです。

……という言葉が、特に心に響いた。

僕のような合理性や質を重視する人間は、自分がやることに「意味」がないと認めることが怖い。
質が低いことも許せない。
「新唱歌」プロジェクトの出だしでつまずいてしまったことで鬱鬱としたのも、そういうことが原因だ。
こんなつまらないメロディを作ってしまった。しかも録音までしてしまった。あ~、しょ~もな~~。

……でも、それこそが煩悩であって、何をどの程度の質で達成したところで意味なんてないのだ。
意味を求めることが傲慢なんだと認めてしまえば、行為のひとつひとつはみんな究極的には意味のないことなのだから、ぐちゃぐちゃいわずに一生懸命やり続けるしかない。
所詮人間なんてそんなもの……というような教えというかヒントかな。

色即是空、空即是色。

色が自分という「個」で、空が世界(宇宙を作っている理解を超えた何か)だと解釈すれば、自分が世界の中でどんな意味を持っているか、意味を作れるかなんて考えても仕方がない。そういう意味では、まさに意味がない。
でも、「我思うゆえに我あり」なのだから、世界は自分が感知できる「今」このときでしかなくて、それ以上でも以下でもない。「世界」の意味を求めても自分には意味をなさないのだから、自分という世界を精いっぱい生きるしかない。
――言葉にするとうまくいかないねえ。やっぱり。

うまく説明できなかったので、「林勝和尚との対話」から和尚の身の上話部分だけ抜き出して、少し紹介してみたい。まるで日本昔話みたいで、なんだか怪しい気もするのだが、面白いのだからそれでいい。
私は建設会社で働いていました。中堅企業で、小さな現場の現場監督をまかされていました。
現場監督というのは、段取りの仕事です。1週間後、2週間後にどういう作業をやるか、図面を描き、下請け業者を手配し、材料を手配しという仕事です。同時に当日の作業の指示とチェックもしなくてはいけません。そして工期です。これは絶対です。でもだいたい作業の予定は遅れがちになります。せっかく段取りしていても、前の工事が長引いてご破算となり一からやりなおしになったりします。そういうときはがっくりきます。そして工期末が迫ってくるとたいてい胃が痛くなり眠れなくなります。あれもやらなきゃ、こちらも終わってない、と次々に心配ごとが頭に浮かんできて不安になりました。最後のほうはもうボロボロでした。ものすごくやせていましたし。
それであるとき、倒れてしまったのです。もう起き上がれなくなりました。ある現場の工期末の1週間前でした。会社の上司がフォローしてくれてなんとか工期に間に合ったのですが、もう心はボロボロでそれから会社にはいけなくなり、結局そのまま退職することになりました。
もともと仏教には興味があり、本を読みかじっていたのですが、どの本だったかに書いてあった、「人は未来につぶされる」という言葉がその時、心にわいてきたのです。ああ、自分はそうだと。工期という未来につぶされたんだと。


でもよく考えてみれば、工期前に現場監督が不安になったところでしょうがないのですよ。監督が実際に作業しているわけではないですからね。たんたんと段取りをしていけばよい。先輩の現場監督には、こちらからみるとハラハラするような状況なのに、まったく動せず、いつもカラカラと笑っている人がいました。その人の口ぐせが「なるようになる」です。そして毎回、なるようになって工期に間に合っていたのです。私からみると奇跡としか思えないのですが。そしてその監督は「ほらなるようになっただろう」とカラカラ笑うのです。
会社を退職してしばらく家でゴロゴロしていたのですが、その時いろんな考えが頭をよぎっていきました。その時、ふと気づいたのです。そういえば、自分の現場も結局は工期に遅れたことはなかったっていうことです。私が倒れたあとでさえ、工期には間に合ったのでした。実はなるようになっていたのですね。自分だけがやきもきして不安になって勝手に身も心もボロボロになっていたんだと。


3ヶ月くらい起き上がれなかったのですが、その時はもう死にたい死にたいという気持ちでいっぱいでした。それで起き上がれるようになった時に、ふらふらと家を出て電車に乗ったんです。どこで降りたかも覚えていないのですが、そこから山に登っていったんです。特にこうやって死のうとか思ったわけではないのですが、何も食べずに山の中をさまよってたらそのうち死ぬだろうというような感じでした。どこをどう歩いたか覚えていないのですが、道なき道をふらふらと歩いて行きました。疲れたら木の根をまくらに寝て、明るくなったらまたあてもなく歩いて行きました。2日くらいさまよって暗くなってきて足元が見えなくなった時に、くぼ地に落っこちたんです。身動きがとれなくて、あぁ、これでもうおしまいだ、と思ったらとても楽な気持ちになりました。
そうしていたら、声が聞こえてきたんです。「みんなつながっているんだよ」「だいじょうぶだよ」っていうんです。見上げると薄明かりの中に大きなナラの木が生えてました。そいつが話しかけてきたんですね。ついに死にかけて頭がおかしくなったんだと思いました。
そのナラの木が、「生きなさい」っていうんです。「だいじょうぶだから、ここで見てるから」って。それで手を伸ばしたら、木の根っこがつかめて、ぐいっとやったら体が起き上がれたんです。それでくぼ地から出て、またふらふらと歩きました。もうろうとした意識でよく歩けたと思うのですが、暗闇の中を歩き続けて、朝しらじらとしたところで里に出たんです。それが古いお寺の裏側でした。お寺の縁側にあがってもうへたって寝込んでしまいました。


気がついたら、おばあさんがいて「あんたどっから来たかね、そんなドロドロのかっこうして」って言うんです。でもそれ以上何も聞かず、暖かいお茶を出してくれて、おかゆも食べさせてくれて、それで生き返ったような気になりました。
おばあさんはその寺の隣に住んでいて、住職のいなくなった寺のお世話をしていたんですね。それでおばあさんは、しばらくそこにいろ、っていうんです。言われるままにいたら、そのうちおばあさんが村の人に私を紹介してくれて、適当なことを言って、しばらく寺に居候するんだっていうことになりました。私も寺の掃除を手伝ったり、そのうち村の人の畑仕事を手伝ったりするようになりました。みなさんとても親切にしてくれました。


そうこうしていたら、村の人が「あんた坊さんにならんか」って言うんです。その寺は前の住職が亡くなってから、継ぐ人がいなくて無住になったのです。檀家の数も減り、高齢化して、住職が来てもやっていけないというわけです。それで村の人は法事をするにも困っていたんです。村は年寄りばかりで、これから葬式をたくさん出さなくてはいけないが、寺が無住では困るというんです。死ぬときはこの村で死にたい、その時に葬式を町の葬儀場なんかでやりたくないって。

村の人に恩返しができるならと思って、それから3年間、本山に行って修行をしました。それで住職の資格をもらって寺に帰ってきたというわけです。残念ながら私が修行に行っているあいだに、私を助けてくれたおばあさんは亡くなってしまいました。私に坊さんにならんかと言ってくれたおじいさんも、脳梗塞で倒れて町の施設に入ってしまいました。
最近は毎月のように葬式があります。ずっと村を守っていた昭和ひとけたの世代が亡くなっていきます。町の施設に入っていた人が、寺に住職がきたならそちらで葬式をあげてほしいと遺言して、わざわざ葬式をやりにきてくれることもあります。


「なるようになる」というのは、ちょっと乱暴ですが、仏の教えでもあります。
般若心経に有名な「色即是空 空即是色」というフレーズがありますが、この空というのは平たく言うと、「この世界はなるようになっている」ということです。これはよく考えれば当たり前です。この巨大な世界をだれかが人為的に操作することはできません。なるようにしかなっていないのです。
色というのは私たちの肉体のことです。つまり、色即是空とは、私たちもこの世界の一部であるということを言っています。ですから、私たちもなるようになるということです。だから心配いらない、だいじょうぶ、っていうことです。もちろん努力していっしょうけんめいやらなくてはいけません。でも最後はうまくいくようになっているのです。それを信じることが信仰ということです。


……信仰はともかく、意味がないことはやりたくない、質の高いことじゃなければ価値がない……などと悩んでうだうだし、結局「やらない」ということがいちばんしょ~もない人生なんじゃないか……と。



オマケその2

……というわけで、魂を浄化?するために?? 若い頃書いて「普通の出来」だから(あるいは歌詞が恥ずかしすぎるから)と、ずっと放っておいた曲をものすごく久しぶりに聴いてみた。

風の心
1977年前後の録音。自宅でSONYの4トラックオープンリールデッキを回しながら一人で多重録音していたと思う。
エレピアンというコロムビアが作ったエレクトリックピアノの1号機(ベニヤ板の筐体で薄い鉄板をハンマーで叩いていた) とカワセのMasterというMartinタイプのアコースティックギターを弾いている。
今から40年前にはピアノもこの程度には弾けていたのだな~。


白つめ草の首飾り
1976年10月。上智大学の講堂(とは名ばかりで、1号館の端にあった屋根裏部屋のような場所。よく演劇関係の公演をやっていた)でやったアンガジェの解散コンサートのライブ録音。
てっちゃんと二人で。


のぼみ~日記は、動画も含めて、主にオリンパスのXZ-10とStylus1で撮っています
XZ-10は明るいレンズの使いやすいカメラですがすでに生産終了。もうすぐ新品での購入が難しくなります


↑最近いちばん感動した買い物 小さな黒い箱をつなぐだけで家庭のテレビで世界の娯楽を楽しめる


『Digital Wabi-Sabi  ─As Easy As EWI』 『Digital Wabi-Sabi ─As Easy As EWI』

Tanupackから久々の新譜! これはあなたが聴いたことのない種類の音楽かもしれない!
「メロディの価値」にとことんこだわり、手段としてはデジタルを使う。これが「デジタル・ワビサビ」だ
iTunesで!    アマゾンで!    moraで!




更新が分かるように、最新更新情報をこちらの更新記録ページに極力置くようにしました●⇒最新更新情報



一つ前の日記へ一つ前へ |     Kindle Booksbooks      たくきの音楽(MP3)music      目次へ目次      takuki.com homeHOME           | 次の日記へ次の日記へ

たくき よしみつのアルバム MP3ダウンロード
たくき よしみつ のアルバム (MP3ダウンロード)
クリックした先で試聴できます



オリンパスXZ-10
のぼみ~日記の写真は主にオリンパスXZ-10で、他にオリンパスStylus1、ソニー NEX-5R+SONY 50mm/F1.8 OSSなどでも撮っています


アマゾンKindleでたくきの過去の作品がほぼすべて読めます⇒Go!

音楽アルバム『ABUKUMA』

iTunesストアで試聴する 『ABUKUMA』(全11曲)
7年間過ごした阿武隈に捧げる自選曲集。全曲リマスター。一部リミックス。新録音『カムナの調合』弾き語りバージョンも収録。
アマゾンMP3、iTunesストア、キメラなどから販売中。

⇒こちらからどうぞ
⇒ライナーノートはこちら



「福島問題」の本質とは何か?


『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書 240ページ)
『裸のフクシマ』以後、さらに混迷を深めていった福島から、若い世代へ向けての渾身の伝言

第1章 あの日何が起きたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能より怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる

今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う
⇒立ち読み版はこちら
裸のフクシマ  『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社 単行本352ページ)
ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実、メディアが語ろうとしない現実的提言が満載。

第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?
第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実
第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった
第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様
第5章 裸のフクシマ
かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛

今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う
⇒立ち読み版はこちら




↑タヌパックの音楽CDはこの場で無料試聴できます
Flash未対応ブラウザで、↑ここが見えていない場合はこちらへ


ガバサク流が推すデジカメ オリンパスXZ-10 Stylus1 パナソニックLX7、ソニー NEX-5R

詳しくは⇒こちら

たくき よしみつの本 出版リストと購入先へのリンク  デジカメと写真撮影術のことならここへ! ガバサク道場


HOMEへ 狛犬ネット入口目次へ






ドメインの空きをチェック!! 狙い目ドメインの空きをチェックドメインの空きをチェック!!
     

.COドメインが人気! ドメインゲットコム   タヌパックスタジオ本館   ギターデュオKAMUNA   あぶくま狛犬札所60番巡り   日本に巨大風車はいらない 風力発電事業という詐欺と暴力
Google
abukuma.us を検索 tanupack.com を検索