日光は晴れていたのに、阿武隈はところどころに雪が積もっていて誤算だった。気温は零下3度くらい。凍結している道を慎重に走るため、小野ICを下りてからがいつもより時間がかかった。
家の前もこんな景色に↑
しかも風がすごい。ときどき地吹雪になって周囲が真っ白になる。
そんな中、一人黙々と荷物の片付けとゴミ処分作業。
最初に、村のコンビニに行って指定ゴミ袋を買ってきた。ごみステーションに4往復。
立つ鳥跡を濁さず、といきたいのだが、なにせものすごい量の荷物。
やってもやっても、まだ母屋は片付かない。スタジオはようやく空になった。
物置も、ほとんどがゴミだったのでせっせと捨てたが、使えるものや買ったまま使っていないものがいっぱい残っていて、そういうのはそのままにした。塗装用のはけとか補修用の防水セメントとか、田舎暮らしでは必要なものばかりだから。
まっ暗になってから帰路につく。
また紅四季で食うか……と思ったが、ガッチリ食うだけの元気も出ず、阿武隈PA上り線まで行き、あっさりと白河ラーメンを食った。
ここのラーメンはそこそこいける。高速道のラーメンとしては、佐野SAのラーメンより安定しているかもしれない。縮れ麺がつるつるしこしこでうまい。もうちょっと腰があれば言うことなしだが、そこまで求めるのは酷だろう。このラーメンよりひどいラーメンを出すラーメン専門店はいっぱいあるのだから。チャーシューもとろっとろで美味。
阿武隈PAは上下線、どちらもお勧めだ。
それにしても、百合丘に続き川内村の家も手放すことになるとは……。
百合丘の長屋と川内村の家は、死ぬまで保持するつもりだった。百合丘の長屋は東京で仕事をするときのベース基地&録音スタジオ、倉庫として。川内村の家は死ぬときのために……。森に見守られ、沢の音を聞きながら死にたいと思っていた。
それが、3.11後、どちらも手放すことになってしまった。
単純に、維持できない。そんな甲斐性はない。
本当なら、なんでこんなことになるのだ、と恨み節なのだが、不思議と、極寒の中の片付け作業でヘトヘトになりながらも、日光の家に戻り、風呂に入って、酒呑んで寝るあたりで、得も言われぬ幸福感に包まれる。
なんだかんだ言っても生きているじゃないか……。
万の単位で人が死んだ天変地異でも死ななかった。こんなにひどい世の中になっても、生きている。
支えてくれる人がいる。
助けてくれる人がいる。
なんて幸せなことだろうか……と。
しかも、これからやりたいことがまだいくらかあるし、それが、頑張ればできるかもしれない、という程度の自由が残されている。
こんなにひどい世の中なのに。まだつぶされていない。
川内村から去って行った友人の一人が「もう長くないと思うと、幸せじゃない?」って言った。
とことんひどくなる前に死ねると思えば、幸せに思える、と言うのだ。
皮肉だけれど、本音でもあるだろうな。
それだけだったら後の世代に対して無責任かもしれないけれど。
世の中は自分ひとりでは動かない。僕だって精一杯やっている。やっているけれど、世の中は滅亡に向かう。止められない。
流れが止まらないことに対してはもう諦めるしかないと思うようになった。
内田樹氏も言っているように、
私たちの国はいま「滅びる」方向に向かっている。
国が滅びることまでは望んでいないが、国民資源を個人資産に付け替えることに夢中な人たちが国政の決定機構に蟠踞している以上、彼らがこのまま国を支配し続ける以上、この先わが国が「栄える」可能性はない。
多くの国民がそれを拱手傍観しているのは、彼らもまた無意識のうちに「こんな国、一度滅びてしまえばいい」と思っているからである。
もちろん、僕自身は死ぬまでこの流れを変えたいと願い、そのために自分でできることはするけれど、全体としてはとことんダメになるまで、間違った道を突っ走るだろう。
今はそんな時代なのだ。
そんなひどい時代にあっても、今はまだ完全にはつぶされていない。少しずつだけど、やりたかったことを実現している。
そう思うと、至福の感情に包まれる。
不思議なことだが、本当に幸せを感じるひとときがあるのだ。
「社会的に」とか、そういうのはもうどうでもいいのかもしれない。
今から売れて、認められて、金が儲かって……とか、そういうのはもういい。だって、「売れる」っていうのが、この「ダメな世の中で売れる」ということなのだから。
売れるとか儲かるというのは、社会と密接にリンクしている。社会が欲しているから売れるのであり、金を出す。その「社会」の質が、正確には「今の時代の質」が、僕は嫌いなのだ。嫌いなものから認められなくてもいい。それに、生きている時間はもう長くはない。
自分の中での評価がどうか。どこまで達成できて死ねるか。
自分でできる範囲のことに集中したい。
日光に来て、今までは面倒でしょうがなかった「人との関係」に幸福を見つけられそうな気がしている。これってすごいことだと思う。
こんな世の中なのに、こんな社会なのに、嬉しい人間関係が生まれていく。そのことにとても感謝したいし、幸せを感じている。