ブログ版「裏日記」にも書いたのだが、ここにも残しておこうと思う。
昨年の日記に詳しく書いたが、私は3月26日に避難先の川崎市から川内村の自宅に「自主一時帰宅」した。避難が長期化しそうなのと、いつ立ち入りができなくなるか分からないので、重要な荷物などを回収してくることが目的だった。
守谷SA:0.33μSv/h。
(川崎市の仕事場の倍以上だが、まだまだどうということはない)
日立北IC付近、通過している
車の中で1.08μSv/h(このへんはトンネルが続くのだが、トンネルに入ると一気に下がり、0.1~0.5μSv/hくらいに一気に下がる)
関本PA:1.6μSv/h
いわき湯ノ岳PA通過:2μSv/h(時速80kmくらいで走行中の車の中でこれだけ上がった。その後、いわきジャンクションから磐越道に入るところまでは高かったが、磐越道を西に折り返すように進むにつれ、線量はどんどん下がっていった)
差塩PA:0.5μSv/h
小野ICで降りると線量は一気に下がり、町の中では
0.3μSv/hくらい
(驚くほど低くて拍子抜けした)
……とこんな状況だった。
その後、何度も常磐道を通ったが、他の地域の線量に比べると、いわき市はぐんぐん下がって、数か月後には首都圏とあまり変わらない程度になっていた。
3月下旬のときに高かったのはなんだったのだろうと、ずっと気になっていたのだが、1年経って放送されたNHKのETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図5 埋もれた初期被ばくを追え』を見てその謎が解けた。
セシウムとヨウ素では、汚染地帯が正反対だったというのだ。(上の図)
これは文科省データだけで証明できている。ただ、文科省データは別々に計測地点と数値だけを出しているから、このようにきれいに可視化されず、気がつく人は少なかった。
番組では、独立行政法人海洋研究開発機構の2人の研究者などがまとめたヨウ素131の拡散状況が公開されていた。
いわき市を通過して茨城、栃木、群馬方向に流れていったという。
セシウムとヨウ素の拡散状況がこれだけ違ったのは、放出時期とそのときの風向きによるものだろう。あのとき、風は大半が東に、つまり海側に流れていったので、放射性物質もほとんどが太平洋に流れていってくれたが、ちょっと風向きが変わっていただけで首都圏が飯舘村並みに汚染されていた可能性もあるのだ。