一つ前の日記へ一つ前へ |  目次へ   | 次の年度へ次の日記へ

 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ』 1995

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 1995年執筆分 後半

 1995年7月から12月まで



汚れなき声で歌うおじさん





『タモリの音楽は世界だ』(テレビ朝日系)で、カストラートのことをやっていた。カストラートってのはボーイソプラノを保つために、変声期の前に少年を去勢してしまうという音楽版の宦官のようなもの。番組には、タマ抜きはしていないけれど、かつてのカストラートばりに高い声を出す歌手が出ていた。
 ところで、高い声で歌うおじさんといえば、以前『投稿!特報王国』(日本テレビ系)に出てきた「汚れなき声で歌うおじさん」というのを見た人も多いのではないかと思う。名古屋の頭の薄いおじさんのほうじゃなくて、山口の病院勤めのおじさんのほう。実はあのおじさんに、つい数日前会ってしまった。
 大分を旅行中、中津市の「サンルート中津」というホテルに泊まってマッサージさんを呼んだら、なんとあのおじさんが深夜訪ねてきた。
 僕の顔を見るなり、「あ、テレビで見たことがあります。タレントさんじゃないですか?」なんて言うんだな。確かに今年に入ってからタヌキがらみで『スーパータイム』なんかにも出たことは出たけれど、今考えてみれば自分がテレビに出たときの話をしたくてそうふってきただけだったんだろう。
 なんでも昼は山口の病院でほとんどボランティアのようなことをして(報酬と自前の通勤定期代が同じだから完全にボランティアなんだとか)、夜は中津のそのホテル専属のマッサージとして働いているんだそうだ。
 音域が三オクターブあるとか、あの番組のヤラセの実体とか、うっちゃんと一緒に映った写真とサインを後で送ってくれると言っていたのに送ってくれないとか、あれから有名になってあちこちのイベントなんかにも呼ばれるけれど、「ギャラは三万円。タクシーで来てください。交通費として別途お支払いします」という約束が、行って歌うと、「はいお疲れさまでした」だけで知らん顔されて踏み倒されたとか、いろんな話をしてくれた。五三歳、独身。番組に出た後は暫くあのセーラー服姿で通勤していたけれど、評判が悪いんで今はやめているとも言っていた。うん。それがいいよ。
「私、テレビに出るためならなんでもやるんですけれどねえ。今度何かあったときにはギターで伴奏してもらえませんか?」なんて言われてしまったが、にこやかにご辞退申し上げた。
 テレビって、いろいろ罪作りだなあと改めて感じた中津の夜だった。あ、ちなみにマッサージ代は三千円だった。取材費だと思えば、なんとお安い!



物真似タレントは本家を超えるか?




 ガソリンスタンドのCMで、ルパン三世が出ているシリーズがあるが、あれが流れたのは山田康雄さんが亡くなった後だった。亡くなる前に収録したのか、それとも誰か天才的な物真似タレントが代役をやったのかと悩んでいるうちに第二段が流れ始めた。さらに『ルパン三世』の新作映画では物真似の栗田貫一が山田さんのあとを継いでルパンをやるというニュース。さては……と思ったが、CMのほうは山田さんが生前に収録した「遺作」なのだそうだ。合掌。
「刑事コロンボ」の新作シリーズが始まったとき、僕は最初の数分間、声優が代わったことに気がつかなかった。事前に「あの小池朝雄の名調子にとって代わる新生コロンボの声優は誰か?」という話題が持ち上がっていたのにである。
 新シリーズからコロンボ役をやっている石田太郎さんは、別に物真似タレントではない。普通の声優さんだ。しかし、コロンボ役以外での彼の声は全然違う声だから、コロンボをやるときは相当意識して小池さんの物真似をしているはずだ。そのせいか、新生コロンボの声は結構わざとらしく聞こえることもある。「小池朝雄はもっと自然に吹き変えていたよなあ」なんて文句言うのも妙な話だが……。
 これらの例はいずれも「本家」が亡くなってから出てきた代役だから正当性(?)があるが、もしも本家がまだ生きているときにそっくりさんが仕事をしたとしたらどうなるんだろう?
 声には「著作権」なんてのはないだろうが、芸風を盗まれた本家は「損害賠償」を請求できるだろうか?
 某自動車用品メーカーのCMで、忌野清志郎そっくりの歌声を流す作品があった。「中小企業(失礼)なのに随分ギャラを奮発したなあ」と感心して見ていると、全然無名の歌手の名前が画面の右下に小さくクレジットされる。そこで初めて別人だと分かるのだが、あれは断らなかったらみんな清志郎だと信じただろう。そういうのっていいのかなあ。でも、歌っている本人が「これは俺の声であり俺のスタイルで、たまたま誰かに似ていたとしても関係ない」と言い張ればいいだけのことだものね。かく言う私は、かつて「桑田のそっくりさんにいかにもサザンらしい曲を作ってくれ」という仕事を受けたことがある。これはもちろん悲しき確信犯。
 そういえば、「神田聖子」のヌード写真集は松田聖子に「意匠権」を払っているんだろうか? いるわけないな、うん。


■近況■

ノートパソコンを買った。さっそくさっき、タイヤ交換しに行くのに持参して、待合室でこの原稿を書いていたらあっと言う間に電池切れ。間抜けな図だ。他人なら大笑いしてやるところ。なんか悲しいねえ。




テレビが半分ない夏休み





 毎年恒例の新潟山奥別荘生活日記。十月、十一月と続けて本が出るので(十月はエッセイ『狸と五線譜』、十一月は長編ミステリー小説『フィリップの祈り(仮)』)、その打ち合わせなどがなかなか終わらず、こちらへ来たのが八月十日夜だった。世界陸上のまっただ中。
 山崎が高野に続いて二人目の「世界ファイナリスト」トラックランナーになったのは見届けたけれど、決勝レースは見られなかった。
 この地ではどう頑張っても日本テレビ系列が入らない。TBS系、フジ系の一部とNHKだけ。それもほとんど砂嵐のかなたにかすむ蜃気楼のような映像だ。
 最終日のマラソンを中継しているとき、妻からわざわざ電話がかかってきた。
「今、中村がトップを走っているわよ」
 そりゃあ大変だ。中山以来の大器を予感させる中村祐二がもしかして優勝? その瞬間を見られないなんて……。
 砂嵐のテレビに向かって格闘を再開。どこかのUHF局が中継しているのを拾えないだろうかと受信調整つまみを回し続けたけれど徒労に終わった。
 再び電話が鳴る。
「あなたに電話した直後、ずるずると遅れ始めて、もう駄目よ」
 テレビがまったく映らない環境なら諦めもつくが、こんなふうに「ちょっとだけよ」のじらし状態というのはよくない。
 しかし、テレビや新聞がなくても、人間はそれほど困ったり孤独になったりすることはない。こちらにきてからパソコンのモデムの調子がおかしくなり、ホストコンピューターになかなかつながらなくなってしまったのだが、これはこたえた。ニフティの中の作家が集まる秘密倶楽部にも出入りできないし、原稿の送受信もままならない。二日間パソコンと格闘してようやく原因を突き止めたのだが、今の僕にとってはテレビよりもパソコンネットワークのほうがはるかに大切なメディアなのだということを思い知らされた。
 PHSがサービス開始になったが、そのうちに街行く人の大半が電話を持ち歩くような社会になるかもしれない。パソコン通信ももっと普及していくことは間違いない。そうなると、人の心は電話線に縛られるようになる気がする。
 直に顔を見て話すことなく、声だけでつながる相手を頼る。ライン一本で心と心をどれだけつなぐことができるのか? 考えてみると編集飯村ちゃんの顔を一度しか見たことがない。声だって、さっき電話で久々に聞いた。さらには、顔も声も知らない友達が、僕には十人以上はいる。それって便利な社会なのか不自由な社会なのか……なーんてことをノートパソコンの画面に打ち込み、これから編集部に送信するのであった。

■近況■

水を張りっぱなしにしていた浴槽が無数の虫の墓場と化していた。強烈なのは十五センチもあるムカデの死骸。浴槽の底にへばりつき、たわしでこすってもくっきりとムカデ型の跡が……。その風呂に毎日入っている。




民放テレビの光と陰




 政治の堕落と同じで、テレビ番組も制作側の「こんなもんでいいだろう」という慣れが積み重なると、いつしかひどく荒廃したものを見させられることになる。
 最近、それを痛感したのが『金曜テレビの星!/ミステリーパニック超常怪奇物を見たV』(TBS)なる番組。別に「鬼のミイラ」や「涙を流す人形」といったものを馬鹿にするつもりは毛頭ない。むしろ僕としては大好きなネタなのだが、番組作りの姿勢があまりにも荒んでいるのだ。
 五回目ともなればネタ切れなのだろうが、それにしても今回のはまず取り上げた題材がひどすぎる。明らかに彫刻というか、異端の「制作物」であることが明白な双頭の龍とか鬼のミイラといったものを、きちんとリポートすることもなく、ひたすら「怪奇だ」と騒ぎたてる。その実物の全体像をまともに映し出すこともなく、一部分とリポーターのびっくり顔のアップの繰り返し。まともに撮影したらそのお粗末さに番組が耐えられないのだ。例えば、どこかのお寺の境内にある木の瘤を、家康の顔だとか決めつけてイメージ映像まで挿入する。それもごく最近になって「発見」されたのだというが、だとしたらなぜその木の瘤が家康の顔だということになるのか?
 オカルトやゲテモノを題材にするにしても、最低限度の番組制作のエチケットが必要だろう。先日、大分県の大乗院にある鬼のミイラ像の実物を見たのだが、あれなどもやっぱりミイラというよりは「制作物」ではないかという気がした。そうだとしたら一体誰がどういう目的でこんなものを作ったのかというのが気になる。似たような作風のものがオランダにあるなら、果たして「作者」は同一人物なのか? あるいはこうしたものが「作られる」風土、背景というものを知りたいではないか。
 福井県の吉崎御坊にある「嫁威し肉付き面」は願慶寺と吉崎寺にそれぞれ「本物」がある。それを比較してみるなんてのも面白そうだ。せめてそのくらいの工夫はしてほしい。
 同じTBSの番組でも、『情報スペースJ』などは、毎回、他番組とは違うアプローチを試みていて好感が持てる。坂本弁護士一家殺人事件の報道でも、「遺体は出るか?」という興味本位の実況中継だけではなく、なぜこんなに警察の動きが鈍かったのかをしっかり過去に遡って検証していた。それこそあの事件のポイントなのだが、きちんと報道した番組は少なかっただけに、「本質をつきたい」という制作スタッフの意気込みが感じられた。
 同じ題材を扱うのでも、制作方針に魂が込められているか否かで、番組の出来はまったく違ってくる。制作費を捨てているような番組が今以上に増えるのを見たくはない。


■近況■

花火の生産地で名高い新潟県片貝の花火を見に行った。ところが物凄い人出で三キロ以内には接近できない。おまけにお目当ての四尺玉は雨雲に隠れて音だけ。あーあ。




NHKの光と陰






 民放の番組の出来が制作スタッフの気概の有無で決まるのに対して、NHKの番組の出来は、気概よりもセンスのよしあしで決まる比率が大きいように思う。
『紅白歌合戦』や『喉自慢』に見られるような形式主義を全面否定はしないけれど、センスのいい娯楽番組が皆無というのはやっぱり大問題だ。ドキュメンタリーでは、水俣病の真実を、今になってチッソの社員に語らせるなんていう凄い番組を作るNHKに、なぜ「普通の娯楽番組」ができないのか?
 最近、若手お笑い芸人たちを一堂に集めて吉本もどきのような番組を放送していることがある。『お笑いダンクシュート』だったかな? フォークダンスで鳴子坂やますだおかだの持ちネタをじっくり見せてくれるなら、それはそれで十分満足だ。ところが、よせばいいのに考えられないような馬鹿な演出をする。一回目では黒マント姿(悪魔のつもり?)の萩原流行に浮きに浮いた司会をさせ、さすがはNHKと唸らせてくれた。二回目では司会はほんじゃまかの恵らに代わったが(しかし、ほんじゃまか恵のばら売りは見ていて不愉快だ。事務所はダチョウ倶楽部の「何が何でも三人一緒に」というポリシーを見習ってほしい。そもそも恵よ、あんたは舞台で演じる側にいなければならないんじゃないの?)、何をとちくるったか、出演者に万歩計のメーターを上げさせるゲームをさせるという、とほほを通り過ぎて脳味噌ハルマゲドン状態の演出をかましてくれた。そういうしょーもない演出ってのは、民放の夜中の番組に任せておけばいいことで、天下のNHKがやること
ではありません。  英国BBCは日本のNHKにあたるような放送局だが、二十年前にあのナンセンス番組の名作『モンティ・パイソン』を生み出した。『モンティ』の中のコントでは、BBCの幹部連中(老人)の頭に蜘蛛の巣が張っていて、ボケまくった企画会議をしているというシーンまで出てきた。NHKにこういう芸当ができるのはいつのことだろうと羨ましく思いながら見たものだが、二十年後に万歩計ゲームかあ……。号泣だ。
 音楽番組だって、『ときめき夢サウンド』を見ていれば、お笑い同様に事態は深刻だと分かる。例えば普通のジャズライブを楽しませる番組がなぜできない? 演出はいらない。良質のアーティスト(有名無名に関係なく)を呼んで、十八番をやらせるだけでいいのだ。
間違ってもデイブ・スペクターに台本棒読みの司会をさせようなどと思ってはいけない。ご老体の作家に構成台本を書かせるのもなし。
 手始めに、『テレビで復活!渡辺貞夫・マイディアライフ』『下北沢ライブ天国』『ベンガル&綾田の今夜も渋いぜ』『坂崎&なぎらのフォーク寄席』なんてどうだ?



■近況■

もうすぐ初エッセイ『狸と五線譜~ポンポコライフ雑記帖』(三交社、一三八〇円)が出る。タヌキの霊力で売れるか……!?



モザイクの向こう側




 これが掲載される頃には消えているかもしれないが、最近、「週刊マーダー・ケースブック」なる雑誌のCMがやたらとテレビで流れている。実際にあった殺人事件を分析した雑誌が毎週毎週出るというのだ。物凄い宣伝費をかけて売り出したところを見ると、よほど勝算があるらしい。実際、書店では目につくところにうず高く積まれ、一応、推理作家協会員である僕も、ついつい「資料になるかな?」と思い、買ってしまった。
 中身はほとんど猟奇雑誌の趣。写真の並べ方などはもろに下世話な好奇心に訴えている。
 第二号は、パリ留学生人肉食事件のS氏(フランスの裁判で無罪が確定している身なので、敢えてイニシャルのみ)の特集。表紙にいきなりS氏の顔。中にはS氏の父親の顔と本名(会社社長なのだが、社名もちゃんと出ている)まで堂々と掲載されている。そんなのってあり?
 ちなみにこの号の「論点」というページに、こんな記述がある。
[○○(S氏が殺害して肉の一部を食べたとされるオランダ人女性)殺害の模様を詳しく記述した出版物が欧米で売られたら、激しい議論を巻き起こすことは容易に予想できる。もっともこの問題に関する大衆の反応は、ダブルスタンダード(二重基準=相手によって基準を使い分けること)である。16世紀の英国では、犯罪者は公開の場で絞首刑に処せられ、刑場では、生い立ちや罪状を記したパンフレットが飛ぶように売れたといわれる。(中略)今日でも『捜査実録』など、犯罪の実録ものは世界中で売れている。Sの本が出版されれば、S自身による執筆を非難した人間の多くがこれを読むだろうことも想像に難くない。](注・記事では実名表記)
 これは皮肉にもこの雑誌創刊の本音でもあるんだろう。けれど、考えてみたら、今のテレビ番組の多くは、まさにこういう本音で作られていないだろうか? とりあえず刺激的な映像、下世話な好奇心を満たす場面を作り出せればいいという発想。十月改編期の特番など、ある日のゴールデンタイムはどの局もずらりと「衝撃映像もの」が並んだりした。人が死ぬ場面のオンパレードだ。
 ワイドショーのオウム事件報道も同じだ。ある時期から一斉に「一般信者」の顔にモザイクがかけられるようになったが、あれは逆に番組制作側の下品さを露呈している気がする。そのモザイクの向こう側に隠したいものは、一般人のプライバシーなどではなく、視聴者の刺激を直説法で追求する番組の制作姿勢ではないのかな。とりあえずモザイクかけときゃ大丈夫……という。
 直接的な刺激はもういい。もっと豊かな想像力を刺激する番組を増やしませんか?


■近況■

社会にかけられたモザイクの正体を知りたい人は、新刊『狸と五線譜~ポンポコライフ雑記帖』(三交社)を読もう! タヌキの霊力であなたの人生が変わるかもしれないぞ。




今後が気になる番組あれこれ




 うちではテレビをリアルタイムで見ることは非常に少ない。大体ビデオ収録しておき、寝る前にビールを飲みながらその日に録画したものを見る。これが一日の終わりを告げる儀式になっている。
「毎週録画」にセットされている番組としては、今のところ『噂の東京マガジン』『投稿!特報王国』『天才!たけしの元気が出るテレビ』『開運!なんでも鑑定団』『クイズ悪魔のささやき』『クイズ赤恥青恥』……などがある。 かつてはこれに『マジカル頭脳パワー』なんかも入っていた。見なくなったのは、知能パズルものが減って、あまりにも子供の番組に変質していってからだ。「マジカルバナナ」なんて、さすがに俵孝太郎はやれなくて辞めたのかとも思うのだが、俵氏が辛うじて参加できる程度の番組であり続けてほしかった。でも、あの番組の生き残り方としては、ああいうNHKっぽい子供番組化は正解だったのかもしれない。
『進め!電波少年』などは、毎回やらせなしの迫力に驚いていたのだが、最近は特に海外特番ものに露骨にやらせ演出の形跡が見える。なぜそこにカメラがいるの? と突っ込みたくなるようなできすぎの画面も多いし。この番組が『特報王国』化していったとき、今の面白さは消えていくだろう。
『赤恥青恥』は今が成否の分かれ目という感じだ。僕が以前このコラムで予告したように、十月からゴールデン枠に進出した。で、解答者をロケ側、スタジオ側共に減らした。これはテレビ東京のことだから単に予算が厳しいからというだけかもしれないが、普通は滅多に見られない英断といえる。
 ただし、出題内容はつまらなくなった。あくまでも「常識」を答えられないドキュメンタリー性を追求してほしい。
『悪魔のささやき』や『鑑定団』は今のところ初志貫徹というか、下手な妥協をすることもなく本来の面白さを維持している。『悪魔』はくだらなさと救いのない悲劇が同居している猥雑さを、『鑑定団』はゲストも「東京都からお越しの○○さんです」と呼び出すあの生真面目さを失わなければまだまだやっていける。
『TVチャンピオン』は少しダレてきた。大工さん選手権はちょっと面白かったけれど、ケーキや和菓子職人ものは飽き竹城だ。
 十月から『ザ・筋肉番付』が「毎週録画」のリストに加わった。肉体能力バラエティものってのはまだまだ開拓の余地がある。前にも書いたように『さんまの何でもダービー』の硬派版番組をどこかに作ってほしい。
 しかし、こう並べてみるとバラエティばっかじゃないの。他に見てないのか? ……あ、ワイドショーなら毎日見てるぞ(なお悪いわい)。

■近況■

十一月に発売予定だった書き下ろしミステリー単行本『G線上の悪魔』(廣済堂出版)が、表紙デザインの遅れで十二月にずれ込んでしまった。なんと、依頼していたイラストレイターの仕事場が火事になってしまったんだとか。とほほである。



MXテレビは「期待」できるのか?




 MXテレビが放送開始になった。一月にCD『狸と五線譜』の関連でNHK横浜放送局に取材を受けたのだけれど、そのときの取材担当アナウンサーが春からこの局に転職していたので、東京に新しいUHF局ができるということはかなり前から聞いていた。基本的には地上波テレビ局が増えるのは大歓迎だ。UHFはもう十局ぐらいあってもいいと思ってる。
待ちきれなくて、まだテストパターンしか出ていないときから、屋根に登り、UHFのアンテナをマリンタワー方向から東京タワー方向へ向け直した。(これでTVKは完全に見られなくなってしまった。『新車情報』が惜しい…)
 さて、その待ちに待ったMXテレビだけれど、東京都が多くを出資しているということで、一見してお役所臭さがぷんぷん。この「東京離れ」したダサさは、世紀末的退廃の色濃い民放各局に比べて「新鮮」と言えなくもないけれど、内容の事なかれ主義や形だけのニューメディアかぶれはやはり困る。
 世界の名画だの祭だのっていうのは、いくら穴埋め時間帯用でも安直すぎる。競馬や野球中継も他のUHF局やテレビ東京がやっている既定路線だし……。
 一方、形だけのニューメディアかぶれというのは、例えば、やたらと出てくるワイド画面がいい例。小型のデジタルビデオで取材してきた映像などは元が普通サイズの映像のはずで、それを無理矢理ワイドに引き延ばしているだけに見えるのだけれど、違うのかな?
「インターネットとの連携」というのも、今のところただの呪文にしか聞こえない。パソコン通信の本質を知らないおじさんほどこの呪文に弱いんだよねえ。企画書にインターネットの文字があるとすぐに通るという笑い話もある。
 それと、「二十四時間ニュースを流し続ける」と聞いていたのに、日曜深夜などはさっさと放送休止しちゃってる。静止画像を流して「ニュースがあり次第流します」というのも意味なしほーいちだ。
 MXテレビに望める範囲でのリクエストを少し。例えば、パルテノン多摩などと提携したジャズライブや芝居の中継。一つのプログラムを何度繰り返してもいい。ジャズの番組というのは今のところBSも含めてほとんどない。もしやってくれたら、これだけでUHFアンテナは東京タワーに向けたまま固定することを約束しますよ。
「変な人探訪」番組もいいな。役所の福祉課が喜びそうな「いい人」やボランティアだけじゃなくて、例えば、下水道行政に反対して土壌浄化槽を研究している頑固な民間研究者とか、土木課が困惑するような人が出てくれば楽しい。(宮崎綾子さん、頑張ってね!)
 最後に青島都知事にお願い。都の関係部署にくれぐれも「金は出しても口は出すな」と通達してね!


■近況■

十一月二日から三日間、Nifty-Serveの推理小説フォーラム統一オフ(お祭り)に参加するため名古屋へ。綾辻行人氏らとバンド演奏するのが最大目的だったのだけれど、疲れた~。生まれて初めて憂歌団なんかやっちゃったよ。




東京国際女子マラソンの憤慨





 これを書いている今は、一一月一九日夕方。さっき、東京国際女子マラソンの中継(テレビ朝日)を見終わったところだ。
 で、僕は今、とても気分が悪い。今回は一視聴者モードになって、中継の憤慨観戦記を書いてしまう。
 レースは稀に見る白熱したものだった。最後の五キロほどのところで、優勝候補のエゴロワの他、吉田直美、浅利純子、原万里子、後藤郁代の四人が集団で競っていた。そのとき、突然浅利が転倒し、巻き添えを食う形で吉田と後藤も転んだ。吉田は靴が脱げて履き直したため、あっと言う間に先頭から百メートル近く遅れてしまった。
 レースはその後、転倒に巻き込まれなかった原とエゴロワの二人が抜け出したが、ゴール直前で追走してきた浅利が逆転して優勝した。中継は「転んだのに勝利への執念で逆転した浅利」への賛辞一色になった。バルセロナオリンピックの代表選考に漏れ、二年近くレースから遠ざかり、一時は故郷の秋田に帰って競技生活を辞めてしまいそうになっていた浅利の「復活」というドラマが、願ってもない形で実現した瞬間だった。
 しかし、ちょっと待ったァ!コールである。あの転倒がどうにも腑に落ちなかった僕は、転倒シーンをすぐにビデオに録画して何度もスロー再生して見た。すると、とんでもないことが分かった。
 浅利は前を行く吉田のかかとを踏んづけて靴を脱がせた挙げ句、一人で勝手に転んでいるのだ。靴を脱がされた吉田は弾みで転倒し、後ろにいた後藤も巻き添えを食って転んだ。
 吉田は遠くへ飛んでいった自分の靴を拾い、履き直して追走。最終的には浅利に十秒差まで迫った。つまり、転倒後からゴールまでの距離をいちばん速く駆け抜けたのは、間違いなく吉田なのだ。単純に考えれば、浅利に靴を脱がされなければ吉田が優勝していた可能性が非常に高い。しかも、後ろからかかとを踏まれた吉田にはまったく非がない。
 それなのに、ゴール後、吉田に同情する声はほとんど聞かれなかった。まるで、あらかじめ用意されていた「浅利復活ドラマ」の完成にケチがついてはいけないので、吉田のことには極力触れまいとしているかのようだった。
 吉田はリクルートの所属だが、同じリクルートの有森は先の北海道マラソンで優勝して「オリンピック当確」のニュアンスがある。「メダリスト有森の復活」ドラマにケチをつけられる雰囲気はみじんもない。同じ会社の吉田はますます「暗黙の邪魔者」にされる可能性が強い。「ドラマ」を望むテレビが世論をリードし、その陰でまた一人の若者が涙を呑む……という図が見えた気がした。
 吉田直美よ、負けるな。名古屋で優勝し、代表になれ!

■近況■

長編ミステリー書き下ろし『G線上の悪魔』(廣済堂出版)刊行!
 ここだけの話、バイオリニストの古澤巌って竹中直人に似ている。ダブルキャスト(同一人物の)でテレビドラマ化してくれないかな。そのつもりで書いたのだけれど。





そりゃ過剰反応だよ~毒蜘蛛騒動






 セアカゴケグモ……漢字で書くとしたら「背垢苔蜘蛛」。風呂に入るのが嫌いで背中に垢とか苔とかが……違うって。多分「背赤後家蜘蛛」なんだろな。フェミニスト団体からクレームが来そうな名前だ。そもそも今まで日本にいなかったのに「後家」なんて名前が付いているのも不思議だね。
 それにしても、連日の報道はまるでホラー映画のノリ。「恐怖!殺人グモ」なんていうあおりで報じているニュースもあったりする。
 紀伊半島からも発見されたと言うし、完全駆除なんてもう無理だよ。むしろ、ああいう報道の仕方によって、現代人の心に野生生物全般への異常な嫌悪感、恐怖心が増殖されていくことのほうが怖い。
 アリの巣を全滅させる毒薬のテレビCMを見たときも怖かった。クモを見たら皆殺しとか、マムシやハチは「咬まれる(刺される)と死ぬ場合もあるから絶滅させよう」というような論理がまかり通ったらどうなるんだろう。山を追われて人里に下りてきたクマも、発見され次第撃ち殺すのが当たり前という調子で、ニュースで淡々と「撃ち殺されました」と報道される。何度も見ているうちに、そういうものなのだと思い込まされてしまう人が増えるとしたら、そうした「すり込み」のほうがクマよりよほど怖い。
 今度のクモは、いじめなければ刺すこともないし、刺されても「赤ん坊なら死ぬこともありえる」というんでしょ。だったらブヨのほうがよっぽど怖いわい。春に刺されたところがまだかゆいもの。

■近況■

新刊ミステリー『G線上の悪魔』(廣済堂出版)の表紙には、悪魔の頭を持つバイオリンのオブジェが使われている。このオブジェ、火事になったイラストレイターの仕事場のがれきの下から甦ったんだとか。じっと見ているとなんか凄みがある。



どこまでいく? 過剰編集症候群





 バラエティであろうがニュースであろうが、生放送でない限り、放送される画面というのは必ず編集されている。
 しかし、このところ「切ってつないで」という従来の編集以外に、新手の編集法がやたらと出てきた。
 例えば、出演者の言葉の一部を文字にして画面に出すというアレ。ぽろっと本音が出たり、失言したり、言い間違えたり、あるいは予想外のコメントが飛び出したりしたときに、すかさず入る。一体誰が最初に考えたんだろう。
CMの入れ方というのもずいぶん変わってきた。昔は切れ目のいいところですまなそうにCMに入ったものだが、最近はとんでもなく唐突にCMに突入する。そればかりか、CM後にCMに入る一分くらい前まで戻って同じシーンを繰り返すというのもある。
「……ところがここで実はとんでもないことが起きたのである」とナレーションが入った途端にCM。CM後は当然その「とんでもないこと」が続くのかと思うと、少し前まで戻って「復習」させられてから、再び「ところがここでとんでもないことが……」となるわけだ。なんか馬鹿にされてる気がしてしまうよな。
 こういう過剰編集の画面ばかり見せられていると、テレビの中の現実と虚像の区別というものがますます分からなくなる。そのうちニュースまでこうなったら怖いだろうな。
「今夜七時過ぎ、福井県の高速増殖炉もんじゅで……」とアナウンサーが言ったまま、突然デンコちゃんのCMになったりして……。

■近況■

本格的なシーケンス(自動演奏)ソフトを買ったのだが、全然動かない。パソコンを買ったときの悪夢がまた甦った。なんだか道具に翻弄されている時間が長くなる。便利なようで息苦しい時代だな。





この当時に書かれた小説↑

一つ前の日記へ一つ前へ |  目次へ   | 次の年度へ次の日記へ  | takuki.com