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 たくき よしみつの 『ちゃんと見てるよ』 1995

 (週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)

 1995年執筆分 前半

 たくき よしみつ 『ちゃんと見てるよ』 1995

 
(週刊テレビライフ連載 過去のコラムデータベース)


 
 1995年1月から6月まで


年末年始特番やらない勇気を!





 今さらながらの年末年始特番のひどさ。もしも、平然とレギュラー番組を流し続ける局ってのがあったら断固支持するのだが、そんなのは政治家に理念を持てというくらい無理なお願いなんだろうか。
 いろいろあげていけばきりがないけれど、中でも目眩がしたのは二七日夜、TBSが二時間半かけて垂れ流した『94芸能界オールスター人間関係総崩れ特番!無礼講にて大忘年会!』だ。 当日の新聞番組欄にはこうあった。「酔っぱらいタレント続出スタジオ騒然!芸能界の常識を破る私生活大暴露大会に怒る人・泣く人…総勢五〇人の芸能人がTVカメラの前に素顔をさらす!……」。
 これだけ読めば、普通は『もぎたて!バナナ大使』や『たかじんnoばぁー』あたりのチクリネタ、仲間内暴露トークショーを大々的にやるのかと思う。ところが、ふざけたことに、二時間半のうち、この「暴露」コーナーというのはほんの一〇分かそこいらしかなかった。しかも、内容がまったくない。いちばん暴露らしい暴露が、「松本伊代は海外ロケに行ったとき一週間ウンチがでなかった」だもの。
 あまりのひどさに、呆れるのを通り越して恐怖感さえ覚えた。テレビっていったいこれからどうなっちゃうんだろうという。
 大晦日には日本テレビがしょーこりもなくまた「禁断の野球拳一色で五時間一五分を押し通す前代未聞の生放送」と開き直ってくれた。いいよ、ちゃんとやるならそれでも。ちゃんとやらないじゃん。普段ぜーんぶ見せているタレントまでが胸さえ見せない。こんなんは野球拳じゃないやい。
 結局、見せてくれたのは千葉に集まった一般人(?)だけ。今度やるなら、いっそ「全日本野球拳大賞」とかなんとか銘打って、オール素人さんでやったらどう? ルールも明文化して、隠すのはバスタオルじゃなくて四〇センチ四方のフェイスタオル一枚とか、オプションでブラジャー争奪騎馬戦とかさ。そこまで‘真面目に’やって始末書書く覚悟がないならやめましょう。
『電波少年インターナショナル3世界中でまたまた怒られてきました』(日本テレビ)とか、『新春TVチャンピオンスペシャル・世界大食い選手権』(テレビ東京)なんかは、やっぱりパワーが違うもの。普段から気合いが入っている番組が拡大枠で用意したスペシャルと、やる気のない企画会議から生まれたお茶濁し単発特番の差をまざまざと見せつけられた年末年始ではありました。

■近況■

正月早々、読売新聞で僕のCD『狸と五線譜』が紹介された。その日以降、問い合わせの電話が鳴りっぱなしで仕事にならない。テレビ、ラジオ、果ては国際通信社まで取材申し込み殺到。メディアの力は凄いと痛感。




非常時に分かる隠れた品性




 兵庫県南部地震の報道ぶりについては既にいろいろなことが言われている。パソコン通信などを通じて、被災地付近の人たちの声もリアルタイムで入ってくる。例えば「被災地は見せ物ではない。よりショッキングな映像、興味深い話題を求めて報道陣がうろうろするのは迷惑だ」という声。確かに現場で生きるか死ぬかの体験をした人たちにとっては、外へ向かって映像を流すばかりで何ももたらしてくれないテレビ報道は、邪魔なだけだったのだろう。
 行政の対応の悪さを盛んに言うテレビ局も、各民放の連係プレーや役割分担などはほとんどできていないのではないか、その証拠にどの局も同じように、倒壊した高速道路や避難所の老人の姿ばかり映しているではないか、という指摘もあった。こういうときにはこういう映像が「欲しい」というテレビ局の悲しい性なんだろうけれど。
阪神地区では当初二日間はCMを自粛していたらしい。でも、制作局が東京だから、CMの時間は無音声で火災現場の映像などが流れていただけらしい。これでは意味がない。比較的有意義な情報を流していたのは地元神戸のサンテレビだったとか。いざというときはラジオかU局ということなのだろうか。
 腹が立つのは下品な学者や行政マンが次々に登場すること。東洋大の某教授などは、誰も訊いていないのに「日本で唯一絶対安全な建物があります。それは原子力発電所です」などとほざいている。御用学者の忠誠心をこんなときにも真っ先に発揮する哀しさよ。
 ロスやシスコの地震のときに「日本では高速道路や鉄道橋脚の倒壊はない」と言いきった学者が、再び出てきて偉そうに講釈垂れている。あのときの「安全宣言」を証拠VTRとしてしっかり流しなさいと言いたい。タレントが離婚すると、結婚発表のときの笑顔やのろけの映像をしっかり流すくせに、アカデミズムには甘いんだから。「あのときあんたはこう言ったぞ」という証拠をつきつけなきゃ。
 それと、スタジオで妙にきれいな作業服にネクタイという恰好でインタビューされている役人や行政マン、学者のみなさん、その言い訳じみた変なファッションやめてくださいな。政府の視察団が、東京を出発するときからヘルメット被っていたりね。こういうのは下品です。
とにかく、こういうときにこそ、普段偉そうにしている人間の化けの皮が剥がれる。大阪府の知事の暴言が好例。みんな、しっかりチェックしておこう。

■近況■

地震報道の影響で、ラジオ出演が次々延期に。NHK横浜FM『夕べの広場』への出演は二月一七日放送に。文化放送への電話出演も当日になって延期の知らせ。神戸地区のみなさんには心よりお悔やみ申し上げます。あ、もうすぐ新刊が出ます。『グレイの鍵盤』(翔泳社)。よろしく。




ケンカ・エンターテインメント




『天才!たけしの元気が出るテレビ』の中の「口喧嘩王選手権」や、フジテレビの『ケンカの花道』など、このところケンカを見せ物にする番組が目立つ。
 ケンカが視聴率につながることを最初に強烈に教えてくれた番組は『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)だったのではないだろうか。明け方近くなって感情コントロールが効かなくなったタレントや学者が、突然怒鳴りだしたりする頃、我々視聴者は「おお、ようやくエンジンがかかってきたな」と感じる。大島渚が「バカヤロー!」と怒鳴るのを見届けるまではすっきり眠りにつけないというファン(?)もいる。
 こうした演出外の(大島渚はあれをしっかり「芸風」にしているという説もあるが)ケンカに比べ、最初からエンターテインメントとして計算されたケンカというのはどうも妙なものだ。
『元気が出るテレビ』の口喧嘩王選手権は、完全なキャラクター・ショーで、可愛い顔をした女子高生がえげつない台詞で相手をののしるという意外さが受けた。でも、番組を通じて相手と仲よしになって「試合」の後、感極まって涙ぐんだりする場面なんかもあったりするのは、やっぱりなんか変だ。
 それに比べると『ケンカの花道』はずっとえぐい。やり合うのが実際の夫婦だから、言葉の一つ一つが生々しい。正直言って笑えないシーンも出てくる。おいおい、そこまで言うか……と絶句することもある。
 しかし、考えてみると、この番組に出てくるということは、夫婦で「あなた、この番組に応募してみない?」「ん? 商品は出るのか? そうか、じゃあおまえ応募しとけ」というようなやりとりがあったわけで、なんだ、ちゃんと夫婦の意思の疎通はあるんじゃないかと思ったりもする。本当に仲が悪かったら、一緒にテレビになんか出てこないもんなあ。やっぱり変。
この「変」がエスカレートしていくと、そのうちにテレビの中の「怒り」はすべて演出され、コントロールされるようになるのではないかと、漠然と予感している。既に涙(悲しみ)や「ほのぼの」感、笑いなど、怒りの他の感情は、画面の中ではとっくに演出されている。震災報道などを見ていても、最初から「これは涙を誘えるいい絵が撮れる」「これは悲しみと絶望の中にもほのぼのとした話題として絵になる」というような計算の元ですべて構成されている気がする。この調子で怒りも演出され始めたら怖い……と思うのはちょっと飛躍しすぎかな?

■近況■

2月20日にNHK『こんにちは1と6けん』に出演予定。例のタヌキネタだが、主役のたぬが風邪でダウン。一時は死ぬかと思ったがなんとか持ち直した。でも、大事をとってテレビ出演は飼い主だけになった。タヌキのご機嫌次第で大の大人が右往左往というのもなんだか情けない。なんだかなー、である。




たぬちゃんテレビ出演騒動記




 売れない小説家である僕が、年明けからひと月半で二つのテレビ番組、二つのラジオ番組、さらには国際通信社のロイターによる全世界配信VTRへの出演という体験をした。
 ことの始まりは一月四日の読売新聞での紹介記事だった。「タヌキの鳴き声調べに乗せて」と題して、六段組・写真入りの扱い。去年の夏に作った自主制作の音楽CD『狸と五線譜』が、ようやくメジャーなメディアで紹介されたのだった。
 このCDには自然界の音(野生動物の鳴き声や雷鳴、せせらぎなど)と、僕のオリジナル音楽九曲が収められている。その中の二曲に、我が家の庭で放し飼いしているタヌキの「たぬ」の鳴き声が入っているというのがニュース性を呼んだ。
 読売新聞の記事が口火となって、同日中にロイターとフジテレビから取材の申し込みが来た。フジテレビ『スーパーワイド』では九日に放送。ロイターは十一日にカメラクルーを含む取材陣が訪れた。その後、地震があって中断してしまったが、一月三十日には文化放送『吉田照美のやる気MANMAN』、二月十七日NHK横浜(FM)『夕べの広場』、二十日NHK総合テレビ『いっと6けん』と、このCD『狸と五線譜』の紹介がらみでの出演が続いた。
 反響は大変なもので、「コンサートはないんですか?」「なぜお店で買えないんですか?」「ぬいぐるみを作らせてください」「お年玉三万円送ります。追加で二十枚ください」などなど、連日我が家のポストは注文や感想、礼状で埋まった。
 このCDは、当初出版社やレコード会社などに相当売り込んだのだが相手にされず、三年後に結局自費で五百枚作ったという代物。まったくの草の根的口コミのみで売っていたのだが、ついに最後の三十枚に。
 しかし「作者」としては結構複雑な思いもある。この場合、スターは僕ではなく、たぬのほうなのではないか? 僕あてのファンレター(?)の封筒に、タヌキのイラストが描いてあったりすることも多い。まさしく「たぬきおやじ」になってしまったわけだ。
 しかし、たぬが縁で、今まで出逢えなかった多数の人たちが僕の作品に目を向けてくれる。それはそれでいいのかもしれない。大分の十八歳の学生に言われた。「囚われのタヌキを救ったのが縁で、数年後にCDができてみんなに喜ばれる……うーむ、日本昔話のようですね」。
 さて、これから「脱・たぬきおやじ」に向けて精進せねば。

■近況■

2月20日のNHK『こんにちは1と6けん』では、タヌキの鳴き声のテープを間違えて半分のスピードで再生していた。おかげでやたらと眠そうな声に。
 本当はあんな声じゃないんですよ。一オクターブ高い、もっと澄んだ声なんです。
 目下、次作のCDに取組中。




やっぱり二冊別々に出すべきよ




 梅宮辰夫の娘さんと元「いいとも青年隊」の一人である男性タレントが一緒に絡み合っている(お、なんだかおっさん臭い表現だな)写真集というのが発売された三月六日、各局のワイドショー番組はこぞってこれを大々的に取り上げた。
 梅宮父娘のネタをここまで追求するワイドショーのしつこさも不思議だが、そもそもあの写真集を「出そう」と企画した人の意図もよく分からない。
 中年の女性(元)有名人のヌード写真集の購買層は、中年サラリーマンが中心だという話を聞いたことがある。かつては胸の谷間(お、またおっさん臭い表現が出てしまった)さえかいま見ることが難しかった憧れのあの女優が、歌手が、お天気お姉さんが、これでもかと全裸を公開するわけだから、買ってしまう人の気持ちは分かる。
 また、宮沢りえのように現役ばりばりの若い美人が脱いだというのなら、元気な青少年も買うだろう。しかし、羽賀・梅宮写真集はそのどっちでもない。
 もしも宮沢りえの『サンタフェ』が、貴花田と抱き合っている写真で埋まっていたら、果たしてどれだけの人が買っただろうか? ある種の好奇心はそそられても、男性にしてみれば「使えない」写真集である。しかし、今回はまさにそういうものが出てしまったのである。
 これがもし別々に売られていたら、それなりに用途は見えてくる。羽賀研二のヌード写真集は、ホストクラブへ通い詰めるようなおばさま族や優男嗜好のゲイなどがこっそり購入するかもしれないし、梅宮アンナのヌード写真集もそれなりに一般的な用途として売れるかもしれない。しかし、世間の人は「へえ、そうなの」という程度の好奇心だけで数千円を出してこの写真集を買うほど暇ではないだろう。結局、出版社は梅宮辰夫に「俺は見ないし、見るつもりもない」と何度も繰り返しコメントさせるために(つまりはその絵をテレビに流させるために)この写真集を作った気がしてならない。
 しかし、いちばん不可解なのは、この写真集に対して「ハーフだから、グロじゃないですよね」という突飛な意見を述べる女性「エッセイスト」の頭の構造である。この人、ワイドショー番組にはよく登場するのだが、いつも「素敵ですね」「ひどいですね」という子供でも言わないような形容詞か、とんでもなく発想のずれたコメントしか言わない。こういう人を「ゲストコメンテイター」として起用し続ける番組制作の現場が、いちばん不思議だったりする。


■近況■

次の単行本『グレイの鍵盤』は四月一五日発売(翔泳社)に決定。今、一緒に同名のタイトルの音楽CDを発表するべくレコーディング中。今度のは全曲ギターデュオによるオリジナル。絶対の自信作なんだけれど、前回の『狸と五線譜』のようにはいかないだろうな。




愚痴おやじ三連発




 重箱の隅シリーズというよりは、今回はぶつくさおやじシリーズとでも名付けようか……。
 まずは最近の言葉の乱れを嘆く、まさにぶつくさおやじ編。
 タモリも怒っていたらしいが、なぜ最近の若い女性は自分のことを話すのに途中で「?」(抑揚)を挟むのだろうか。
「夕べさあ、ビール? 呑んだのよ」……という調子。自分のことなのにいちいち相手に「?」と問いかけてどうするの。
 これって言葉というものに自信を持てない不安の延長にあるような気もする。
 同様に「……じゃないですか」という付加疑問文(懐かしいな。英語で習ったよね。…,isn't it? というようなやつ)を連発する傾向も気持ちが悪い。フジテレビの重鎮・露木アナさえ使っている。そのうちにアナウンサーがニュースで「これは超困った問題ですね」なんて言い出すのも時間の問題か?
ぶつくさ第二弾。
今まで他局の番組の後追いばかりだったテレビ東京が、最近では逆にパクられる立場になったのはお見事だが、パクるほうの曲のスタッフの気概を疑う。
『金曜テレビの星! 芸能人一〇〇万円均一買い付け勝負!世界の秘宝で大もうけ!』(TBS)などは、明らかに『開運!なんでも鑑定団』のパクリだが、番組予算のあることとゲスト依存体質が災いして全然つまらないものになっている。『鑑定団』のおもしろさの秘密をまったく理解していない証拠だね。
 ぶつくさ第三弾。
 3/7放送の『火曜サスペンス劇場・松本清張スペシャル・微笑の儀式』はなかなか面白かった。感心したのは大道具・小道具・セット・ロケ地における昭和三十年代の再現のリアルさ。まるで西岸良平の漫画『三丁目の夕日』を彷彿とさせた。今時未舗装路を捜すことだけでも大変だろうに。
しかし、このドラマ、背景のリアルさに比べて、登場人物のメイクがまったくなっていない。三十六年の年月を経て再会する主人公の法医学者(役所広司)と彫刻家(内藤剛志)が、全然老けていないのだ。顔はつやつやで、白髪混じりのカツラをちょこんとのせただけという印象。
大道具やロケ地選択にあれだけの労力と細心の注意を払っているのに、基本である俳優のメイクがこの程度では興ざめだ。
ドラマや映画というのは、スタッフ全員がしっかりいい仕事をしないと、どこかでバランスが崩れるのだなあと、改めて感じてしまった。


■近況■

DATが一台壊れてしまい、秋葉原へ買いに行った。ところが今や据え置き型DATというのは二社しか製造していないとかで選択の余地さえない。店員曰く「今の人はそもそも録音ということをしないんです」。与えられたものしか享受しない受け身型文化……嫌な時代だね。





迷彩服の謎~サリン事件雑感




 前回の原稿を入れた直後に、「地下鉄サリン事件」が勃発した。以後、テレビはサリンとオウム一色(二色か?)。遅ればせながら、例によって斜めからの視点をいくつか。
1)なぜ迷彩服か?
 消防庁の特殊部隊がオレンジ色の派手な宇宙服のようなものを着て地下鉄構内に入っていったときは「ほう」と思った。しかし、迷彩服に防毒マスクをつけた警官がオウムの施設に突入する様は本当に奇妙だった。
 迷彩服というのはジャングルでのゲリラ戦を想定した戦闘服である。自衛隊の車両が迷彩色に塗られているのも不思議だが、一体何のための迷彩色なの?
2)サティアンってなんだ?
「上九一色村第七サティアン前です」なんて中継が当たり前のように連日行われていたけれど、そもそもその「サティアン」って何語でどういう意味だ?
 一応英和辞典を引いてみたけれどそれらしい単語は見つからなかった。英語じゃないのかな。
もしかしてオウム語? いずれにしても、解説なしで当たり前のように使ってほしくないよね。
3)オウム広報係の二人に「出演料」は出ているのか?
 上祐某と青山某という二人が、連日朝から晩までテレビ局を回ってオウムの広報活動をしていたけれど、あの二人には番組への「出演料」って出ているのだろうか? 局としては「出演させたい」人物なのだろうが、麻原氏が入った風呂の水を金で売るという人たちだから、金の問題にはシビアな気がする。「出演料の高い順に出ます」くらいのことは言いかねない。どういうふうになっているのか、ぜひ確認しておきたいものだ。
 それにしても「宗教迫害」だとか「我々は弱者」だとか言うけれど、本当の弱者ってのは、どんなに理不尽な目に合っても、マスメディアで意見を述べることもできない無名の人々のことを言うのだよ。あれだけ派手な広報活動をしておいて「弱者」ってことはない。
 そもそも宗教集団ってのは決して弱者じゃない。税は優遇され(ほとんど免除)、何かというと「信仰の問題だから」と腫れ物に触るような扱いをされる。彼らが「同好会です」と名乗っていたら、マスコミもこんなに丁重な応対はしないんじゃないか。「科学技術省? バッカじゃないの?」とはっきり言うに違いない。
「世の終わり」は間違いなく来るだろうけれど、それに「科学」で向かおうって姿勢がそもそもダメなんだよ、リムジンに乗った「解脱者」さん。

■近況■

「小説のお試し版」というのを始めた。小説単行本の一部をフリーテキストとしてパソコン通信で公開するというもの。恐らく日本で初めての試みではないかと思う。今のところ「最後まで読ませろ」など、風当たりも強い。何事もパイオニアは辛い。
『グレイの鍵盤』(翔泳社)四/一五発売です。よろしく。




頑張ってるなあテレビ東京




 毎週必ず見ている『開運!なんでも鑑定団』が、四月の番組改定に合わせて三時間特番を組んだ。他局でよく見られる、新番組や人気番組のレギュラー出演者をゲストに迎えてわいわいやるというパターン。出演者の一人山田邦子がいみじくも開口一番こう言った。
「おめでとうございます。テレビ東京もついに特番を持てるようになったんですねえ」
 随分と失礼なコメントだが、業界人の多くはまさにこうした感慨を抱いたのではないだろうか? 相変わらず制作費が安そうな作り方の番組が多いけれど、そこがまたテレ東の魅力。
 そんなテレ東の新番組の中で、『クイズ赤恥青恥』というのがなかなか面白い。
 様々な年代、職種の一般人・有名人一二人に、常識問題を出題。誰が答えられるかをスタジオの解答者が当てるという趣向だ。北野大が「自民党総裁」の名前を答えられなかったり、精肉店の店長が「国産牛と和牛の違い」を知らなかったり、意外な展開が笑える。
 出題もなかなか考えられている。「オーストラリアの首都は?」なんていうのはなかなかの出題だ(正解はキャンベラ。地理で習う以外は馴染みのない都市だものね)。
 誉めてばかりでは仕方がないので少しだけ要望を。
1)やっぱり、素朴な露天商のおじさんや下町のおばさんが答えられないのを見ているよりは、金権政治家や生意気なエッセイストや評論家が珍解答をするのを見てみたい。ワイドショーのコメンテイターなんかもいいな。そういう連中を極力引っ張り出しましょう。司会の高田万由子なんかも、本当なら質問される側に最適な人材なんだけどな。
 政治家大会、評論家大会なんてのも、そのうちぜひやってもらいたい。もちろん質問は芸能ネタなんかじゃなくて、「憲法九条の条文は」というようなものに限る(かつて『EXテレビ』でこれをやったら、出演した政治家が全滅だった)。
2)質問はなるべく、本当の常識問題にしましょう。唱歌『お正月』と『一月一日』の違いなんていう「意外な盲点」という趣向の問題は、NHKのクイズ番組に任せておけばいい。
 それよりもやっぱり「イギリスの通貨は?」というようなストレートな常識のほうが面白い。
(ちなみに鶴太郎は「セント」、井上晴美は「ドル」と答えた)
 多分、この番組はそのうち今の夜十時台からゴールデン枠へ昇格するだろう。成功の鍵は、有名人に媚びないことだ。


■近況■

数年前プラグを突き刺した足の裏に腫瘍ができ、切除することに。怖いよう。手術なんて、子供のときアデノイドを切って以来。考えてみると俺って入院の経験もないし、結構健康なんだな。今年の冬はついに風邪もひかずじまいだったし……。




やらせと演出の境界線





 あるワイドショーで、菜食をモットーとするはずのオウムの教団幹部が、ファミリーレストランでハンバーグやステーキなどの肉料理をたらふく食っていたという話を伝えた。幹部がやってきたというレストランの全景が映し出され、そこの従業員が生の声で証言をする。そこまではいい。しかし、例の修業服(?)を着た故・村井秀夫氏にそっくりの後ろ姿の人物が、ムシャムシャとハンバーグか何かを食べている映像が何の断りもなく流されたとき、思わず頭の中が?でいっぱいになってしまった。これは役者を使った「イメージ映像」という名の演出なのか、それとも実際の映像なのか(だとしたらどうやってそんな場面を撮影できたのか?)まったく説明がないのだ。上祐氏でなくとも「情報操作だ!」と突っ込まざるをえない。
 もう一つ、これは危ないなと思った例をあげよう。
『投稿!特報王国』(日本テレビ系)で、「時を止める男」というのが放送された。腕時計や掛時計などに拳をかざすと秒針が止まってしまうという特技の持ち主だそうで、実際に見事に秒針を止めた映像が流された。さらには砂時計の上から下へ流れ落ちる砂をも止めてみせた。
 これがなんのトリックもない「超能力」だとしたら大変なことだが、なぜか「スクープ大賞」にはならなかった。なぜ?
 ビデオに撮ってあったのでもう一度よく見てみた。すると、この男、妙に両袖の膨らんだ上着を着ている。砂時計を止めるシーンは画面の上下が不自然に切れていて、状況も分からない
 スタッフに言いたい。あれが「トリックではなかった」という自信があるのか? トリックだと分かっていて映像を「作った」という意識はこれっぽっちもないと言い切れるか? 特に砂時計を止めるという映像は、なぜ上下が切れているのか? どういう台に砂時計が設定されているのかさえ見せていないのはなぜなのか?
 これは例の「ええー?」という派手なリアクションでやりとりされる「演出」とはまったく違う次元の「放送のモラル」を含んだ重大な問題である。ただのマジックならば、あの番組のネタとしてはそぐわないだろうし、放送するとしてもあんな形でしてはいけないはずだ。
 何しろ世の中には、座禅を組んだ麻原氏がぴょんと飛び上がった写真を見ただけで、「空中浮揚だ!」と驚嘆し、会社や大学院や弁護士事務所や暴力団を辞めてしまう「ナイーブな」人たちが大勢いるのだから。


■近況■

最近「大人」から長文のファンレターがかなり届くようになった。ほとんどはCDに関しての手紙で、CDに感激したので小説も買ってみたという人が実に多い。やっぱり音楽の力のほうがはるかに大きいのだろうか?。





硬派スポーツ・バラエティの提言




 各スポーツ界の代表選手を集めて運動能力を競わせる番組というのは、昔からたまにあった。しかし、最初から軟弱なお遊びとして企画しているので、見ていても少しも面白くない。
 ところが、最近、かなり本気で戦わせる番組が出てきた。TBS系の特番『筋肉バトル!スポーツマンNo.1決定戦』がそれだ。一対一の綱引きや跳び箱、懸垂、腕立て伏せなど、競わせる種目がシンプルなのがかえって新鮮だった。
 第一回のときは、ヤクルトの飯田外野手が体操の池谷と同じ高さの跳び箱を跳んだのに感動を覚えた。
 二回目では、ロシアから体操の現役世界チャンピオンを連れてきた。背の低い彼が、二メートルを超すバレーの選手などを尻目に、身長の倍近い高さの特製跳び箱を軽々と超えていく姿は本当に素晴らしかった。
 この回では、ハンマー投げの元アジアチャンピオン・室伏重信の息子・広治や、一〇〇メートルの前日本記録保持者・井上悟らが出てきた。TVライフの解説には四〇〇メートルの高野進が出るようなことが書いてあったが、出なかった。実現していたら興奮はさらに高まっただろう。それでも陸上選手(日本の場合はプロではない)がこうしたテレビ番組に出てくるというのは快挙だ。
 ハンマー投げの室伏ジュニアが池谷と互角に跳び箱の勝負をしたり、実績ではまだまだの池谷・弟が、兄に勝つという予想外のドラマもあった。
 ぐっとおちゃらけになるが、『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日系)の特番で、世界トップクラスの短距離走者(二〇〇メートル世界歴代三位!)フランキー・フレデリクスが出てきて、中野浩一の自転車やポニーに乗った競馬騎手と一〇〇メートル走をしたのも面白かった。きわものであっても、勝負がはっきりしてシンプルなものは面白いのだ。その意味では、イカンガーにはやっぱり走ってもらわねばならず、稲川淳二と組ませて池の上に宙吊りにしてはいけません。
 今後ぜひ実現させてほしい企画は、世界トップの女子選手と全日本クラスの男子選手の真剣勝負。パンチ佐藤とロサ・モタの八〇〇メートル競走なんてのは多少近いが、もっとずばり、例えばナブラチロワと辻野のテニスの試合なんぞを見てみたい。他には一流の女子専門選手チームvs男子十種競技選手の七種競技対決。中山竹通vs高野進の千五百メートル対決。見たいぞー見たいぞー見たいぞー……。

■近況■

去年出した『天狗の棲む地』には、地下の秘密実験室で怪しげな秘密結社が生物兵器やDNA組み替え実験をしている……などという話が出てくる。出版社からは「リアリティがない」と言われたが、今ならそういう批評は出ないだろうなあ……。ほんの少し早すぎたかな?





世界一高価で不出来な映像?





「ルート5」事件も一段落し(本当はちっとも解決されていないのだが)、テレビのオウム特番も「総論」的なものになってきた。そんな中で、TBSが六月二日に放送した『オウム事件報道!メディアは何を伝えたか!?』は、とても考えさせられる番組だった。
 中でももっとも驚いたのは、故・村井秀夫氏が刺殺された現場に朝から張り込んでいたテレビカメラマンが、刺した徐容疑者の不審さに早くから注目し、彼の姿をきっちり映像に押さえていたということだった。
 特に、アタッシュケースの留め金を一つ外したままにしているのがおかしいと睨み、その留め金をアップで撮影しているのには驚いた。つまりこのカメラマンは、このアタッシュケースの中には凶器が隠されていて、すぐに開けられるようにわざと留め金を一つ外してあるのではないかということまで見抜いていたことになる。そこまで察知していて、警備の警察官になぜ一言耳打ちしなかったのか?
「そこまでは頭が回らなかった」と言うが、んなわけないだろ。一方、警官も、徐容疑者の不審さになぜ気がつかず、丸一日近くも放っておいたのか。一民間人が気がつくことを、警備のプロが気づかずにいたというのはどうしても納得できない。これは一種の「未必の故意」ではないのか?
 もう一つ、考え込まされたのは「Xデー」に向けてのテレビの異常対応ぶり。あれだけの金と人間と機材を投入しておいて、撮影できたのは松本智津夫容疑者の目の周りだけがピンぼけに映った一瞬の映像のみ。ヘリコプターも、オートバイ決死隊も、なーんにも役に立たなかった。これだけコストパフォーマンスの悪い(かけた金に見合わない)映像というのも珍しいのではないか? 法的な問題があるのだろうが、あそこまでやるなら、やっぱり天井から飛び出した隠し部屋にジュースと現金を持って寝そべっていた松本氏の「誰だ?」「グルである」ちゅう逮捕現場をリアルタイムで見たかったよね。今回の事件で、もっともプライバシーが守られた人物は松本氏かもしれない。
 ところで鈴木前都知事は、青島知事の都市博中止を「都政という電車にサリンをまいたようなもの」と言ったが、そもそも数々の問題が指摘されながら、何者かの圧力に負けて(?)オウムを宗教法人に認可したのは誰なのよ。おまえにサリンを口にする権利はない。そのへんを誰も突っ込まないので、最後にそれだけは言っておくぞ。


■近況■

『クイズ赤恥青恥』で「テトラポッド」という出題があったが、あれは商標です。アクアラング、ホッチキス、セロテープ、マジックインキと同じ。普通名詞としては「消波ブロック」なんて言うらしい。校正者に教えてもらったんだけどさ。いい出題とは言えんなー。



四十で知る向田ドラマの味




 すみませーん。むちゃくちゃ地味な話書いてもいいですかあ?
テレビライフの読者って若い女性が多いようだし、このページにしたっていつも上の美人系と釣り合いがとれないんであるが、今週はさらに中年ぶることを許したまえ。
NHKが昼間に昔のドラマの再放送を流している。六月は向田邦子・脚本、深町幸男・演出の『あ・うん』『続 あ・うん』をやっていた。この原稿を書いている時点で、まだ『続~』のほうは見ていないのだけれど、これっていいわ。
これらの最初の放送は八〇年と八一年(続編)。一五年前のNHKのドラマって、黄金期だったんだなーとつくづく再認識させられた。
読者で見た人なんてほとんどいないだろうから説明すると、一言で言うとこれは「文学」の世界。舞台は戦前から開戦にかけての東京。「軍需景気」「エンタク」「自由恋愛」なんていうテレビライフ読者の多くは理解不能であろう世相や風俗が出てくる。お話にしても、オウムの前まではわがもの顔だった「トレンディドラマ」「コースタードラマ」なんてのとは対極にある地味~なもの。人間の心のひだというか、口には出さない深い心情の世界を「もしかしたらそういうことなのかな?」と思わせる程度に控えめに控えめに描写し続けるのである。
つまり、およそドラマチックという意味での「ドラマ」ではない。BGMにしたって時折クラシックがささやかに流れるだけ。でも、劇画調のオウム一色に染まってしまった今のテレビで、こうした正統派の「文学」世界を味わうというのは、逆にとても新鮮な体験だった。
向田邦子さんに関しては、「飛行機事故で死んでしまった脚本家」というイメージしかなかったが、要するに十五年前の僕にはこうした渋い人間ドラマを味わう余裕がなかったんだな。同じ昭和初期ドラマを書いても未だに能天気な辛抱美徳ものになってしまうH田S子さんの世界に比べると、向田さんのドラマ世界のなんと高尚で深いことよ。それに役者がみんなうまいし(岸本加世子って、子役と言ってもいいくらいの歳のこの頃からうまいんだよなー)演出も渋い! NHKも、このレベルのドラマってこのところとんと作れなくなっている気がする。
オウム事件を生んだ社会の病巣だのなんだのと知ったようなことを言うよりも、こうしたドラマの中にこそ現代人が失った大切なものがある……なんて、言ってみる私は四十歳。


■近況■

今さらスーファミを買っていろいろ試しているのだが、PCエンジンの『天外魔境』シリーズなどに比べるとどれもこれも物足りない。大人を唸らせるような奥の深いゲームソフトはないものか? 『天外3』は出ないのだろうか? PCエンジンに戻りたい気分じゃ。




テレビショッピング考現学




 宝田明、あべ静江、麻丘めぐみ、土居まさる、愛川欽也、林与一、服部まこ、長野智子……さて、共通項はなんでしょう?
 答えは、最近テレビの通信販売番組で案内役をやっているのを見かけたタレントである。
テレビショッピングの案内役というのは、実はとっても難しい仕事なのではなかろうか。
「いやあ、これは素晴らしいですね。肌触りが断然違いますよ。本物だけの肌触りですねー。でも、さぞお高いんでしょうね。え? こ、これがたったの一万九八〇〇円? 嘘でしょー!」
 基本はこんな感じだが、宝石だろうが布団だろうがミシンお針箱だろうがウナギの蒲焼きだろうが、何が出て来てもこの基本を崩すわけにはいかないのだ。精神がタフでなければならない。
また、当然明るいキャラクターが望まれるが、かといってお笑い系タレントはギャグでいちゃもんをつける癖が抜けていないので危険である。
「ロレックス? 本物かよこれ。ダイクマで九八〇〇円で売ってるの見たよ」なんて言ってしまったらおしまいなのである。
 そう言いたいのをぐっとこらえて演技したとしても、例えばたけし軍団や爆笑問題あたりがやっても全然信憑性がない。
 CMに引っ張りだこのタレントでも、テレビショッピングには向かなそうな人もいる。大地康男が「い、いいいですね、これ」なんてやっても、ちょっと違うんじゃないかと思われてしまいそうだし、所ジョージが「いーんじゃないのー」なんてやっても、誰も買いそうもない。
 ところで、テレビ東京で夜中(というよりは明け方に近い)にアメリカのテレビショッピング番組をそのまま流しているが、あれなどは進行役が完全に専門職として確立されている。日本でも、テレビショッピング専門タレントというのが出てきてもいい気がする。ヨイショヨイショで大スター。どんな難しい商品が現れてもがんがん褒めちぎり、強引に売り込む。みのもんたあたりはうってつけなんだが、最近はやらないのかな。
 しかし、夜中の三時四時にルアーフィッシングの針セットとか洗車ホースとかダイエットトレーニングビデオとかを売ろうとする根性も凄いよね。一体誰が見ていて買うってんだ?
 かく言う私は、妻の「あれ欲しい」の一言に負けて、「トニー・リトルのターゲット・トレーニング・ビデオ」なるものを買ってしまったのだった。明け方の四時過ぎに電話してすぐに相手が出たのには感激した。あ、やっぱり客はいるんだ。

■近況■

『鳩よ!』の企画で浅野八郎氏に手相を見てもらった。「非常に創造性が高く、空想力も高い。文学者の典型的な手相、表現する手相です。若いときは駄目だけど、二七、八歳くらいから運を掴んで伸び始める。金銭運も今はいい」そうだ。しかし、もう四〇だが、全然売れないぞー。






四畳半のタヌパックスタジオで生まれた初アルバム↑

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