2011/05/07
村内の土壌サンプル採取(4)
今日は午後から獏原人村に行こうと思っていたのだが、あいにく小雨が降り出してきた。
雨に濡れることがこんな不愉快になってしまったのも全部原発のせい。
正気を保とうとしているのだが、ありとあらゆることで、いちいち腹が立つ。
さて、獏に向かうときはいつも、荻というところから大津邊山と黒佛木山の間を越えていく道を使うのだが、SPEEDIや文科省のデータを見ると、そのへんにホットスポットが存在するらしい。
まだ実際に走っていないので、本当かどうか確認する意味でも、いつもの道を選んだ。
荻からの入り口付近ですでにガイガーカウンターの音がやまない。
1.77μSv/h。かなり高い。
ここはいわき市なので、20km~30kmに食い込んでいるのだが、緊急時避難準備区域になっていない。
いわき市が「あとは自分たちでやるから、いわき市は規制区域から外せ」と国と交渉して、外してもらったからだ。
下の図は、5月6日に発表された「文部科学省及び米国エネルギー省(DOE)航空機による航空機モニタリングの測定結果について」というデータに出てくるセシウムの累積汚染地図に実際の地図を重ねて地名をはっきりさせたもの。矢印のところに黄色い島ができているが、獏に行くにはここを突っ切ることになる。
この黄色い島が気になる↑
道を進むと、たちまち線量が上がっていった
ピークは5.5μSv/hくらい。そこを過ぎるとまた下がっていく↑
黒佛木山の向こう側、滑津川のところまで降りて、Sさんちまで行くとかなり下がる
文科省とDOEが出した汚染マップがあまりにも正確なのに驚いてしまった。車で走り抜けるだけなのに、ピッタリその通りの線量変化を示す。
本当に、何かの拍子で我が家がホットポイントに入ってしまったかもしれないと思うと、運がよかったのだと思わざるをえない。
要するに、山と山に挟まれた窪地のような地形のところには集中的に放射性物質が落ちたようだ。
3月26日に一時帰宅したとき、鬼ヶ城の脇で高い線量を記録したが、そのときなら、このホットポイントはもっと高かった(おそらく10μSv/hくらいはあった)と思われる。
その頃、獏原人村にこの道を通って入ったマサイさんもmixiで、荻の先、山越えでR-DANの数値が一時1000を超えて、あまりのことにびびったと書いていた。その証言とも一致する。
しかし、このホットポイントには民家が道沿いに点在していて、そのうちの一軒では、男性が普通の格好で雨に濡れながら大工作業をしていた。マスクもしていないしレインコートも着ていない。「平時」の意識のようだ。
いわき市が「あとは自分たちでやる」と言ったのはいいのだが、こういう細かなホットポイント情報を地元にきちんと伝えているだろうか。
あとは住民の判断だから、分かった上で普通に生活しているならまだしも、知らされていないとしたら問題だ。
ホットポイントはほんとに「ポイント」で、少し離れると線量がぐっと下がる。すでにデータは出ているのだから、地元住民に包み隠さず知らせないといけない。
……と、いささかびびりながら山越えをして獏工房へ。
まもさんはいつも通り工房で仕事をしていたが「はかどらないよねえ」とため息口調。
ほんとにそう。放射性物質のことを考えるだけで毎日疲れてしまうのだ。
獏工房でも、雨樋の下がピンポイント的に線量が高かったので、土をえぐって別の土を入れたら半分くらいに下がったとのこと。
どれどれ……と、測らせてもらったら、まだ結構な線量を記録した。
工房でひとり仕事中のまもさん
汚染土を取り除いてパイプをつけたという場所を計測
けたたましく鳴りながらどんどん数値が上がる
その後、畑の土を採取
居間には新作のバックロードホーンがあった
食卓の上。うちより若干高め
お茶を飲みながら雑談。
どうしても、「まいっちゃうよねえ」……という愚痴口調の雑談に終始してしまう。
獏工房はホットポイントからは外れているけれど、村の中心部などに比べるとかなり高い。
さてと、遅くならないうちに原人村へ向かおう。
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