上の図(クリックで拡大)は、SPEEDIによる外部被曝のシミュレーションだが、これによれば、図からはみ出すくらいの広域ですでに一般人の年間被曝基準1ミリシーベルトに達している。外部被曝のみで1ミリシーベルトだから、内部被曝を合わせたらもっとずっと多い。
ちなみに、今問題になっている福島市や郡山市、伊達市の学校というのは、この点線で囲まれたエリアの外側にある。そういうエリアでも、現実に、一月半経った今でも学校敷地内で3.8μSv/hを超える放射線量が計測されてしまうのだ。
そんな場所に子供たちが集まっていいのか、と心配するのは、親でなくても当然のことだ。
ではなぜ文科省は「年間20ミリシーベルトまでは大丈夫」などと言いだしたのか。
文科省が4月19日に発表した
「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」という文書を読むと、
1)国際放射線防護委員会(ICRP)は、「事故継続等の緊急時の状況における基準」として20~100mSv/年、「事故収束後の基準」として1~20mSv/年という放射線量を提示している。
2)ICRPは、2007年勧告を踏まえ、本年3月21日に、改めて「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における「参考レベル」として、1~20mSv/年の範囲で考えることも可能」とする内容の声明を出している。
3)このようなことから、児童生徒等が学校等に通える地域においては、非常事態収束後の参考レベルの1-20mSv/年を学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安とする。
という論旨のことを言っている。
で、この年間被曝線量を文科省はどう算出するかという計算式も示されていて、
児童生徒が、1日のうち、木造建築物の中で16時間、屋外で8時間生活すると想定し、屋内では屋外の線量の半分程度被曝するだろうから、屋外の線量が3.8μSv/時間であれば屋内では1.52μSv/時間と考え、3.8μSv/h×8時間×365日 + 1.52μSv/h×16時間×365日 = 11096μSv+8877μSv=19973μSv=19.9mSv(ミリシーベルト)だから、年間20ミリシーベルトを超えない目安は3.8μSv/hである、という論旨なのだ。
ここで注意しなければいけないのは、
1)屋内の被曝量が屋外の半分であるという仮定のもとの計算である
2)内部被曝についてはまったく加算されていない
ということ。
要するに、もはや、政府や文科省が少し数字をいじってつじつま合わせをしようとしても、そんなことではどうにもならないレベルの状態になってしまっているということなのだ。
それでも政府が悪あがきしているのは、郡山市、いわき市、福島市という福島県の3大都市の汚染状況を従来の基準値に合わせて評価していたら、とてもじゃないけれど住民は普通の生活ができなくなるからだ。
年間1ミリシーベルトを超える被曝が予想される場所の学校は閉校とする、なんてことにしたら、福島県にはもう住めないことになる。
福島県外の人たちは知らないだろうが、これを書いている現在、福島のテレビでは、地上波放送の画面にL字型の情報枠を設けて、県内の放射線量を刻々と知らせている。
上の画面では、たまたま郡山市の放射線量が1.50μSv/hとなっているが、この日(2011年4月29日)の1時間ごとの推移を見ると、
4月29日17:00 1.63
4月29日16:00 1.56
4月29日15:00 1.57
4月29日14:00 1.48
4月29日13:00 1.52
4月29日12:00 1.53
4月29日11:00 1.50
4月29日10:00 1.58
4月29日 9:00 1.54
4月29日 8:00 1.55
4月29日 7:00 1.54
4月29日 6:00 1.52
4月29日 5:00 1.63
4月29日 4:00 1.54
4月29日 3:00 1.55
4月29日 2:00 1.56
4月29日 1:00 1.56
4月29日 0:00 1.58
……だった。
今、これを書いている川内村の自宅では、ガイガーカウンターの数値は0.40μSv/hを示している。
4月26日にここに戻ってきてから、ずっとこんな数値だ。
ひと月前に一時帰宅したときは家の中でも1μSv/hを超えていたから、半分以下に減っている。
郡山市も同じことで、ここひと月でずいぶん下がってきたのだ。
原発震災前は1μSv/h 以下(0.0x μSv/h)だった。
急変したのは3月13日の午後。
この日の13時には、0.06μSv/hだったのが、1時間半後の14時30分に、突然、4.14μSv/hという高い数値に跳ね上がった。
以後はずっと2~3μSv/h台を記録し続け、4月9日くらいからようやく2をぎりぎり切るくらいになり、現在に至っている。
郡山市合同庁舎前にずっと立っていれば、3月15日から現在(4月30日)までの47日間、ざっと2μSv/h被曝し続けていることになる。この期間だけですでに 2×24×47=2256μSv/h 2ミリシーベルト以上だ。
これは外部被曝だけだから、実際には鼻や口から吸い込んだ放射性物質による内部被曝がこれに加わっている。それを加味して、4μSv/hを1年間被曝し続けたとしたら、4×24×365=35040マイクロシーベルト=35ミリシーベルトで、軽く20ミリシーベルト/年を超えてしまう。
要するに、「年間20ミリシーベルト」を許容したとしても、郡山市はもうそれを超えるレベルで汚染されているのだ。
福島市や伊達市はもっと高い。
ましてや、スポット的に高濃度汚染を受けた飯舘村や浪江町、葛尾村の一部では、数値が一桁違ってくる。
★多分、外部被曝
だけなら、年間1ミリシーベルトも50ミリシーベルトもほとんど関係ない。無視できる誤差なのだ。問題は内部被曝で、少しでも放射性物質が体内に留まるような形になってしまうと(しかもそれが運悪くプルトニウムやストロンチウムだったらなおさらのこと)、決定的にやばいということだと思う。
しかし、内部被曝は測るのが難しい(現実的には測れない、に近い)。放射線量の多い場所にいれば、決定的な内部被曝を被ることになりえる放射性物質の体内取り込みの確率が上がる。でも、運がよければ、年間積算で500ミリシーベルトを外部被曝しても内部被曝はゼロということはあるし、逆に、年間1ミリシーベルト以下でも、あるときある場所でたまたまプルトニウムを吸い込んでしまったなんてことがあれば、そっちのほうがはるかに(決定的に)命に関わる。
……そういうことも考えたほうがいい。
いずれにせよ、最初の段階で飯舘村、浪江町、葛尾村、南相馬市、川俣町に避難命令を出していれば、どれだけの人が被曝から逃れられただろうと思うと、返す返す残念でならない。北西方面の人たちが被曝することを分かっていながら、国や県はなんの警告も発しなかった。これは未必の故意による殺人に等しい犯罪行為と言ってもいい。
こうした現実を前にして、今になっての年間20ミリシーベルト論争をしていても、虚しいとしか言いようがない。
ついでに言えば、東南海地震が確実に来ると予測していながら、その予想震源地の中心にある浜岡原発を止めないのも、未必の故意による殺人行為だ。福島で起きたことが浜岡で起きれば、首都圏がすっぽり飯舘村並み、あるいはそれ以上に汚染されることは十分にありえる。そうなれば日本はもう立ち直れない。世界から見放された無法地帯と化すだろう。
桁違いに汚染された浪江の津島や飯舘周辺に今も残っている人たちは、今から逃げたとしても、すでに確実に年間許容量を超えている。
そのことを分かった上で「牛を捨てて出ていかない」「俺は動かない」と宣言する人たち。
もう、ここまできたら、政府は事実だけを正直に伝え、申し訳ないが、こういう状況であるので、あとはみなさんの自由意志に従って生きてください、お元気で、と謝るしかないと思うのだ。
……こう書くと、パニックを煽るようなことを書くなと怒る人たちが必ずメールをよこしたりするが、その人たちはこの地にいない。遠くからテレビの画面やツイッターの書き込みを見ながら言っているだけだ。我々は今、現実に汚染された福島にいて、生活を賭けて戦っている。理屈でこんなことを言っているわけではないのだ。
我々は何も知らないバカではない。どの程度のリスクを背負うことになるかは分かった上で、それでも、どっちがマシな生き方かという選択をしているのだ。
政府が無能で無責任なことは十分に分かった。たくさん言っても駄目だろうから、ひとつだけ言いたい。
「嘘をつくな。正直になれ」
年間1ミリシーベルトだろうが20ミリシーベルトだろうが、福島県民の大半は、どっちみちそれを超える被曝をしながら生きていくしかないのだ。
知恵を出して、やれることをやっていくしかない。