本日、業者さんと話し合い。
結局、やはり今回掘った井戸はスッパリと諦めて埋め戻し、来春、場所を変えて仕切り直しをするということになった。今度出ないと、ほんとに悲惨なことになる。
掘削機や大型のエアマンなど、機材は数日中に撤収。とりあえずは今回のことは忘れて年を越そう。
何か気持ちを切り替える手だてが必要だなあ。
悪夢を忘れるために、出版が決まらないまま、原稿をいくつか書いているのだけれど。
話変わって、昨夜寝る前、何の気なしに曾爺さんの名前「鐸木三郎兵衛」をググッたところ、
福島市の広報紙がヒットした。
そこに、小さいながら、曾爺さんの肖像画なるものが載っていた。曾爺さんの顔は知らなかったので、へええ、こんな人だったのかと興味深く見た。
三郎兵衛については過去にもAICなどで何度か書いたことがある。
県庁所在地を郡山市に移転するという話を阻止したという「功績」で、福島市にとっては大切な人物らしいが、郡山市にしてみれば敵なのかもしれない。
僕としては県庁所在地が福島でも郡山でもいわきでもあんまり関係ない。今は偶然福島県内に住んでいるが、郡山市のほうが近いから、郡山が県庁所在地だったほうがよかったかもしれない。
でもやっぱり、福島市は生まれた場所だから、多少の愛着はある。
三郎兵衛は、男の子がいなくなった鐸木家に、宮城県から養子として迎え入れられた。
あんまり関係ないけど、今回、井戸を掘っている業者さんも、宮城県からはるばる来ている。
09/07/24 追記
母の納骨の日、三郎兵衛が晩年過ごした家を訪ねたところ、この肖像画は町長だった第十代三郎兵衛ではなく、その先代の九代三郎兵衛のものであることが分かった。
十代三郎兵衛の肖像は↓これ
この事実が判明したいきさつは
⇒こちら